たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

小さな旅の思い出_奈良飛鳥路

2020年05月30日 21時04分57秒 | 小さな旅の思い出
 2019年5月星組公演『鎌足』を振り返っていたら、飛鳥路へ旅したことがあったことを思い出しました。旅日記を読み返してみると、昭和63年10月31日から11月3日まで3泊4日の旅でした。西暦にすると1988年、郷里を離れる数カ月前、まだ生きることのきびしさを知らなかった頃でした。

 つたない旅日記。歩ける距離ではないところをわたしはふらふらになりながら歩いたようです。石舞台古墳、おぼろげな記憶で、巨大な人が横たわっているようにもみえて不気味な不思議さを感じました。

「昭和63年11月2日(木)雨、くもりのち晴

6;45 起床(奈良ユースホステル)

8:10  市営球場前⇒JR奈良駅前

8:38 JR奈良駅発

9:08 桜井駅着 近鉄八木駅⇒橿原神宮前駅で乗り換えて飛鳥駅へ。

10;00頃 飛鳥駅着
 徒歩にて飛鳥路めぐり。
 高松塚古墳壁画館⇒鬼の爼(まないた)⇒飛鳥板葺宮伝承地⇒石舞台古墳⇒酒船石⇒飛鳥寺⇒甘樫丘⇒川原寺跡⇒亀石⇒高松塚古墳⇒飛鳥駅

16;38 飛鳥駅⇒橿原神宮前駅

17:09 橿原神宮前駅⇒八木駅⇒桜井駅

17:59 桜井駅発

18:08 柳本着 徒歩15分 天理山の辺ユースホステル泊

飛鳥駅前を歩き始めた頃は雨、ひょっとして橿原神宮前へ戻るかも・・・なんて思って荷物を持ったままあるいたのがとんでもなかった。高松塚古墳へ行ったあと、また駅へ引き返して荷物を置いて再び飛鳥路へ。
ぼつぼつと歩いた、お天気もよくなってきてあたたかだった、景色はよいし。
かなりの田舎、のどかな田園風景がひろがった山あいの村、奈良が好きになりそうだ。
甘樫丘から飛鳥駅へ引き返す途中道を間違えたりしたけど時間的にはわりとゆったりゆごせたそうに思う。

引き返す頃には足元ふらふら、今ひとつ景色を楽しむどころではなかったけど・・・。

また奈良へ来たいなあ。せっかく万葉集を勉強したけど全部忘れちゃった。ゆかりの地をのんびりたずねられたらいいな、でも徒歩だときついかな。

修学旅行生や遠足の子どもが多くてなんとも賑やかだった。そのせいか少しもわびしい感じはしなかった。奈良は穏やかな雰囲気でよいね。」


当時購入した『飛鳥路全集』より

「石舞台:花崗岩30数個、推定総重量2300トンの巨石を使って築き上げられた石舞台古墳は、嵩峻(すしゅん)天皇をほしいままに殺した逆賊、蘇我馬子の遺体を葬った桃源陵で、埋葬間もなくあばかれ、石室もあらわに、千数百年の風雪を経てこのような姿になったものと伝えるが、さだかではない。天日にさらされ、雨露に洗われた今、情熱、怨念などの、人間くささを超越して、ただ巨大は飛鳥の自然とともに、永遠の沈黙を守りつづけている。石舞台の名前の由来は、この石の上で狐が女に化けて舞いをまったということから、素朴な村人が、いつとはなしにそう呼ぶようになったものであろうか。自然の岩肌をむき出してくみ上げた、それはまさしく天然の舞台のように見える。」





「飛鳥寺:崇峻天皇元年(588)、百済から仏舎利と寺工、画工らが献じられ、真神原に寺を造られたのがわが国最初の公式寺院、飛鳥寺である。法興寺や元興寺とも呼ばれ、この寺で催されたけまりの会での中大兄皇子と藤原鎌足の劇的な出会いの話は大変興味深い。寺の完成から10年を経た推古13年(605)、天皇は銅造の丈六の釈迦如来像を造ることを決意され、止利仏師に制作を命じられた。千三百数十年の歴史を経た今、現存最古の仏像として損傷はなはだしいが、前にたたずめば、はかり知れない歴史の重みを感じさせる。昭和31年よりの発掘調査により、南門、中門、塔、金堂、講堂が一直線にならび、塔の両横に東西両金堂、北側に中金堂がある堂々たる釈迦配置であることが確認された。」



 紅ゆずるさんたち出演者は、公演前に実際この飛鳥路を訪れたそうです。蘇我馬子は『鎌足』で華形ひかるさん演じた蘇我入鹿のお祖父さんですね。大化の改新で藤原鎌足と中大兄皇子によって暗殺された入鹿。悪のイメージが先行していますが、『鎌足』では有沙瞳ちゃん演じる皇極天皇のちに斉明天皇の深い孤独に触れた入鹿が、父蝦夷から認められていないと思い知らされた自身の孤独と共鳴し守るため対立する勢力を次々に消していき、気がついたときには血にまみれながらも後戻りできなくなっていたと描かれました。そんな入鹿を、少年の頃、入鹿から弓の手ほどきを受けた鎌足が、まさにその弓で入鹿を射たという物語でした。最後に天寿光希さん演じる船史恵尺(ふねのふひとのえさか)が、自らしたためてきた「歴史」を破り捨てる場面がありました。飛鳥の地には、恵尺によって歴史から葬り去られた敗者の魂が今も息づいているのかもしれません。こんなこと考え始めるとちょっとこわいですがやめられなくなります。

 高松塚古墳のことは、2014年に上野の国立博物館でみた『キトラ古墳展』の振り返りと共に書きたいと思いながらなかなか。深いものがあるのでいつか・・・。





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