久しぶりの晴れ間、一日だけの休日、わたし自身のための、記憶が薄れてきている旅の振り返り。
2007年10月21日(日)、旅の二日目、午前中ライン川クルーズを楽しみ、午後バスでロマンティック街道の出発点ヴォルツブルクへ。2時間ほど徒歩で観光。マリエンベルク要塞を訪れました。
「マリエンベルク要塞 Festung Marienberg
1253-1719年まで、歴代ヴュルツブルク大司教の居城となっていた。城壁で守り固めてあり、要塞兼居城としてかなり堅固で複雑な構造になっている。
アルテ・マイン橋から、ザールガッセを渡って右に行くと、細い階段の路地が延びている。途中から左に曲がり上って行くとノイトーアNeutorという門に着く。ここが外側の要塞の入口門で、さらに上るとようやく2番目の城壁内に入る。マイン川対岸に旧市街を見下ろしながら、3番目の城壁と建物に取り囲まれた本城へと回っていこう。要塞のすぐ外側、マイン川に面した東側と南側斜面はぶどう畑に利用されている。
本城への入口は、シェレンベルク門Scherenbergtorで、広い中庭には、深さ104mの井戸Tiefer Brunnenと、1200年ごろに築かれたベルクフリート(主塔)Bergfried,706年創立のマリエン教会Marienkircheがある。」
(『地球の歩き方-南ドイツ ’07-’08』より。)
10月といってもヨーロッパは日本の12月ぐらいの気温。冷たい空気の中を歩いたと思います。『地球の歩き方』にマリエンベルク要塞へ上る急斜面はかなりハードだと書かれています。Wikipediaをみると長い石の坂の画像があります。わたしここを上ったはず。
マリエンベルク要塞の入口
ヴュルツブルクの高台に鎮座するマリエンベルク要塞
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上記2枚の写真は、南ドイツ観光案内サイトよりお借りしました。
http://south-germany.jp/ac/2013/08/post-248.html
国内の旅、英語圏への旅、いつも自分で予定を決めて宿や移動手段を確保しての一人旅。ツアー旅行への一人参加は不安でした。すぐ人に溶け込むことができないし、自分だけ浮いてしまったらいやだなって。案の定一人参加はわたしだけでしたが何気ない心遣いで声をかけてもらえることが多く、疎外感を感じることはほとんどなくすみました。ツアー旅行、あちらへこちらへと連れて行ってもらえるので正直観光名所のことってあまり覚えていません。移動の途中、バスの中からみた景色や何気ない街の風景などが、なんとなくふっと思い出されます。
正直、この旅。どこでもよかったというわけではありませんが、行き先よりもとにかく遠くに飛び立ちたいという想いでした。ストレスため込みながら二人分労働をせざるを得なかった日々。オレ達海外出張に行くからあとのことはよろしくね、って言われて、ストレスをため込みながらひとりぼっちで大変な思いをしながらカイシャで留守番していた自分が時にはたまらなくみじめに思えてどうしようもなく、思いっきり遠くへ飛び立ちたかったです。2007年1月末、精神保健福祉士の国家試験受験。3月に合格発表。有給休暇を使い果たしてしまったのでその年の9月まで一日も休むことなくカレンダー通りに出勤して二人分労働。10月1日付でようやくまた有給休暇が発生。9月の中間決算の整理がついた10月後半、ようやく9日間連続の休日をゲットし、遠くへと飛び立ちました。休暇に入る前日はカイシャに一人で10時過ぎまで(夜ですよ)残ってもろもろ段取りをつけ、やっていることが多すぎたのできりがなく、お隣の部署の社員の女性にお願い事項をメールで送信、部署内のメーリングリストに休暇をとる旨送信して、ようやくパソコンを落とすと机の上に「たんぽぽは10月20日から28日まで休みます」と張り紙して消灯、退社。空港へトランクまでも大変だったので、ほんとうに、やっと、やっとでした。だからフランクフルトの空港から、ドイツが輝くような黄葉でわたしを迎えてくれたときはほんとうにうれしかったです。ヤッター、晴れ女パワー。到着日の夕方、黄葉の絨毯に包まれた公園をひとり散歩した時は、いいようのない幸せ感に満たされていました。その時間を忘れることはありません。
この頃、モンゴメリさんの最期が自死だったと知り、妹のことがあるので『赤毛のアン』を封印しました。だからプリンス・エドワード島に旅するという発想はこの時はありませんでした。結果的に、『エリザベート』を観劇したり、昨今の世界ニュースをみるにつけ、こうして一度はドイツ語圏に行っておいてよかったと思います。安くはないお金と時間をかけて、その場に行かないとわからない空気を体感することは大切ですね。
書き始めると止まらないので、また長文になってしまいました。
2007年10月21日(日)、旅の二日目、午前中ライン川クルーズを楽しみ、午後バスでロマンティック街道の出発点ヴォルツブルクへ。2時間ほど徒歩で観光。マリエンベルク要塞を訪れました。
「マリエンベルク要塞 Festung Marienberg
1253-1719年まで、歴代ヴュルツブルク大司教の居城となっていた。城壁で守り固めてあり、要塞兼居城としてかなり堅固で複雑な構造になっている。
アルテ・マイン橋から、ザールガッセを渡って右に行くと、細い階段の路地が延びている。途中から左に曲がり上って行くとノイトーアNeutorという門に着く。ここが外側の要塞の入口門で、さらに上るとようやく2番目の城壁内に入る。マイン川対岸に旧市街を見下ろしながら、3番目の城壁と建物に取り囲まれた本城へと回っていこう。要塞のすぐ外側、マイン川に面した東側と南側斜面はぶどう畑に利用されている。
本城への入口は、シェレンベルク門Scherenbergtorで、広い中庭には、深さ104mの井戸Tiefer Brunnenと、1200年ごろに築かれたベルクフリート(主塔)Bergfried,706年創立のマリエン教会Marienkircheがある。」
(『地球の歩き方-南ドイツ ’07-’08』より。)
10月といってもヨーロッパは日本の12月ぐらいの気温。冷たい空気の中を歩いたと思います。『地球の歩き方』にマリエンベルク要塞へ上る急斜面はかなりハードだと書かれています。Wikipediaをみると長い石の坂の画像があります。わたしここを上ったはず。
マリエンベルク要塞の入口
ヴュルツブルクの高台に鎮座するマリエンベルク要塞
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上記2枚の写真は、南ドイツ観光案内サイトよりお借りしました。
http://south-germany.jp/ac/2013/08/post-248.html
国内の旅、英語圏への旅、いつも自分で予定を決めて宿や移動手段を確保しての一人旅。ツアー旅行への一人参加は不安でした。すぐ人に溶け込むことができないし、自分だけ浮いてしまったらいやだなって。案の定一人参加はわたしだけでしたが何気ない心遣いで声をかけてもらえることが多く、疎外感を感じることはほとんどなくすみました。ツアー旅行、あちらへこちらへと連れて行ってもらえるので正直観光名所のことってあまり覚えていません。移動の途中、バスの中からみた景色や何気ない街の風景などが、なんとなくふっと思い出されます。
正直、この旅。どこでもよかったというわけではありませんが、行き先よりもとにかく遠くに飛び立ちたいという想いでした。ストレスため込みながら二人分労働をせざるを得なかった日々。オレ達海外出張に行くからあとのことはよろしくね、って言われて、ストレスをため込みながらひとりぼっちで大変な思いをしながらカイシャで留守番していた自分が時にはたまらなくみじめに思えてどうしようもなく、思いっきり遠くへ飛び立ちたかったです。2007年1月末、精神保健福祉士の国家試験受験。3月に合格発表。有給休暇を使い果たしてしまったのでその年の9月まで一日も休むことなくカレンダー通りに出勤して二人分労働。10月1日付でようやくまた有給休暇が発生。9月の中間決算の整理がついた10月後半、ようやく9日間連続の休日をゲットし、遠くへと飛び立ちました。休暇に入る前日はカイシャに一人で10時過ぎまで(夜ですよ)残ってもろもろ段取りをつけ、やっていることが多すぎたのできりがなく、お隣の部署の社員の女性にお願い事項をメールで送信、部署内のメーリングリストに休暇をとる旨送信して、ようやくパソコンを落とすと机の上に「たんぽぽは10月20日から28日まで休みます」と張り紙して消灯、退社。空港へトランクまでも大変だったので、ほんとうに、やっと、やっとでした。だからフランクフルトの空港から、ドイツが輝くような黄葉でわたしを迎えてくれたときはほんとうにうれしかったです。ヤッター、晴れ女パワー。到着日の夕方、黄葉の絨毯に包まれた公園をひとり散歩した時は、いいようのない幸せ感に満たされていました。その時間を忘れることはありません。
この頃、モンゴメリさんの最期が自死だったと知り、妹のことがあるので『赤毛のアン』を封印しました。だからプリンス・エドワード島に旅するという発想はこの時はありませんでした。結果的に、『エリザベート』を観劇したり、昨今の世界ニュースをみるにつけ、こうして一度はドイツ語圏に行っておいてよかったと思います。安くはないお金と時間をかけて、その場に行かないとわからない空気を体感することは大切ですね。
書き始めると止まらないので、また長文になってしまいました。