たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

過去が遠ざかっていく

2016年03月26日 20時40分41秒 | 祈り
 今日も後味がいいとは言えない一日でした。怒りとストレスのはけ口になるし、中からも色々と怒られるし、今の仕事で後味がいい日なんてこれからもほとんどないでしょう。責任者の女性は、いちいちなんでわざわざそういういやな言い方をするんだろうっていう言い方しかできない方みたいだし、冷静に状況がちゃんと見えたうえで色々と言ってくるわけでもないことがもうわかったのでいやな言い方をされるたびに残ってしまいます。ひとつひとつ気にしていたら身がもちません。今の仕事に応募することを私に薦めた人に少し前に相談したところ、いい評判をきいたことがない、自分もその人を知っている、よくない責任者にあたってしまって大変だと思うけれど気にしてエネルギーを奪われるなんてもったいない、気にしない方がいいと言われました。毎日顔を会わせちゃうからなかなか難しいですが続けるならそうするしかありません。どこにいってもあることです。こういう人ってどこにでも一人ぐらいいそうな類の方です。仕方ありません。自分には合わない仕事だと思っても、過去を過去として忘れていくために今の時間は私に必要なことなのかもしれません。忙しくして疲れてしまっているとおのずと過去のことをあれこれと考える時間はなくなり、過去は遠ざかっていきます。ただ今の仕事。接遇経験者求むとかそういう募集のかけ方をすべきだったのではないかと思う仕事内容だし責任者からそういうスキルを求めるようなことを言われ続けます。作業自体は単純なので別に大量の書類を次々とさばいていくような事務経験とか必要ない、前職でしみついた感覚はかえって邪魔っけです。ちょっとしたこともその感覚でやってしまうと責任者からいやみな、つっかかるような言い方をされるので、ほんとにいやだなあと思ってしまいます。これまでやってきたことは何の役にも立たないんだと思ってしまいます。前職の、くさったような会社で頑張り続けてしまった10年以上の日々は私にとってなんだったのだろうと考えてしまいますが、社会に対して言うべきことはいったのだからもうそんなことを考えても仕方ないのかもしれません。人生の時間には限りがあります。色々な過去が私の中で遠ざかっていくような感じがあります。かなり久しぶりに、20年前の自分の日記を振り返ってみたいと思います。妹とのお別れから一年半ぐらいの、必死にもがいていた私がいます。

「1996年3月3日(日)Fine

ひな祭り。春。ほのかな香り漂う私の好きな季節である。
花粉症はちとつらいが・・・。
この2日間も十分に眠れず、せっかくの休日を楽しめないまま終わってしまったのが残念ではある。
昨夜はまた久しぶりにカウンセリングを受けて、まだまだ話したいこともたくさんあるように思えたが、限られた時間ではあるし、まあこんなもんだろう。
3か月前のわたしは、まだうつむき加減だった。今は背筋を伸ばして歩いている。
変わりつつあると思う。身体がどこか気持ちよくなっている。もう少しだという気がする。
今またつらさが増してきている。このヤマを乗り越えられたら、わたしはもっと楽に、そして強くなれると思う。
物事にはいい面もあれば悪い面もある。どちらも否定もしなければ肯定もしない。
どちらかに決めなければいけないことはない。評価をせず、ただあるがままに受けとめようとしているわたしがいる。風の如く、流れのままに・・・。なんて気持ちよくて素敵なことなんだろう。
今までのように頭の中だけで理屈をまわして自分を閉じ込めることに必死になって・・・。
でも、求めて変わろうとしているのはわたし自身なんだから、外に向かって扉をひろげようとしているわたしもいっぱいいるんだ。自分で心の扉に鍵をかけてきた。
そんなことをようやく身体で感じるなんてちょっとおそいけど、今までは今まででそうしないではいられなかった。その分気づかないでいたことも多いけれど、それはそれでいい。
本当は今すごく誰かにもたれかかりたい。がんばってるよな、って言ってほしい。
そんなわたしをわたしが支えている。
わたしはわたし自身で受けとめていくのだ。
今年に入ってからは、私にしては人と会う予定が続いたけど、もうなんにもなくて、ちょっと淋しいかな。
明日からまた会社でのキツイ日々が始まる。
気持ちは休まらない。静かにがんばれよ、わたし。
合宿中の人間関係が心地よかった分だけ、相対的な人間関係の会社はつらい。お互いを探り合っているのだから・・・。友達といっても、話すことをやっぱり選ぶし・・・。少しでもたくさんの素直なわたしを出せる場をみつけられるといいね。
今を過ぎれば、きっと強くてやさしいわたしをみつけられる。身体で受けとめられるわたしがいる。
がんばれ、わたし。」


写真はなんども載せていますが、春のプリンス・エドワード島の高い空。
オーウェルコーナー歴史村の草の上で寝ころんで見上げました。
自分も宇宙の一部なんだと感じたひとときでした。





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