たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『東北歴史紀行』より‐千歳のかたみ<みちのく遠(とお)の朝廷(みかど)>(1)

2024年05月20日 00時53分16秒 | 本あれこれ

「奥の細道‐

 芭蕉の旅では、王朝みちのくの風流のさきがけとなり、「とどまらんことはこころにかなへども いかにやせまし秋の誘ふを」の別離の歌を残し、飄然(ほうぜん)とみちのく歌枕の旅に出て、その旅のうちに死んだ陸奥中将(陸奥守兼近衛中将)藤原実方(さねかた)の墓をたずねるのが、一つの大きな目標になっていました。芭蕉の風流のはじめにくる人のひとりで、「古人も旅に死せるあり」の古人のうちには、当然数えられていたはずの人です。その実方中将の墓は仙台の南、名取市愛島(めでしま)笠島というところとされていました。今日もあります。芭蕉はそこをたずねようとしたのですが、道を迷い、折からの五月雨の悪路になやまされ、ついにここをたずねるのをあきらめ、句だけを残しています。「笠嶋はいづこさ月のぬかり道」。これは、無念の句というより弁解の句です。この日、芭蕉たちは、ぜひとも仙台入りする予定になっていたのです。いつの時も、スケジュールというものは、容赦しないのです。

 5月6日、特別に、他国者通行禁止の大手門口から、仙台城の郭内を通り、城の西の守り鶴岡八幡宮に詣で、翌7日、いよいよわれわれと同じように、宮城野の歌枕をめでながら、多賀城に向かったのです。

 ここで注意すべきことがあります。それは、奥の細道ということを、仙台のほうから多賀城に向かう山際(やまぎわ)の特別な古道についていっている、とうことです。この前にも、宗久(そうきゅう)という人の奥州文学紀行『都の苞(つと)』(苞はみやげ)にも、多賀城から近くの末の松山という歌枕の地に行く道を、このことばでよんでいます。ですから、奥の細道というのは、芭蕉の造語ではなくて、陸奥国府多賀城をめぐる歌枕の文学探訪の道として、すでに成立していた歴史的用語だったことがわかります。芭蕉はこれを、みちのく全体の文学探訪の道にひろげたということになります。

 

多賀城碑‐

 芭蕉にとって多賀城碑は壺の碑でした。壺の碑は今日、多賀城碑といわれているものです。歴史的な多賀城理解を決定してきたものです。『おくのほそ道』は、その理解の整理に役立ちますので、意訳して紹介しておきましょう。

「壺の碑は、市川村にある。高さ六尺(180センチ)余、横三尺(90センチ)ばかり。苔むして文字もかすかである。四方国界からの里数をしるし、この城は神亀元(724)年、按察使(あぜち)(総督)・鎮守府(ちんじゅふ)将軍大野朝臣東人(おおのあそんあずまんど)の置く所、天平宝字6(762)年、参議・東海東山節度使(とうかいとうさんのせつどし)・同将軍(鎮守将軍)恵美朝臣朝(えみのあそんあさ)かり修造、12月朔日(ついたち)、とある。聖武天皇のときのことになる。昔から歌枕としてよまれているところは多いが、山も川も変わり、道もあらたまり、石は土の中に埋まり、古木は若木となって、時とともにわからなくなるものが多いのに、これは、疑いもなく千年のかたみであって、眼前に古人の心を見る心地がする。旅のありがたいところはここにある、生きることのよろこびはここにある。旅のつかれも忘れて、涙も落ちるばかりである」。

 多賀城碑は、ここにあるように、多賀城がどの位置にあるかを、最初にしめし、神亀元年に建置、天宝字6年修造と、この城成立の年代と、この碑建造の年代をのべたものです。この通りでした、1261年前に城ができ、碑は1223年に建ったことになります。江戸時代にはこれはそのまま信ぜられ、下野(しもつけ)国那須国造碑・上野(こうづけ)国多胡建郡碑(たごけんぐんひ)と並べて、日本三古碑と称され、今日にいたっています。明治以降、これを疑う人が多かったのですが、最近はまた実物を見る人が多くなっています。

 これを壺の碑と称するは、近世初期、これが出土したとき、これを坂上田村麻呂が建てたと伝えられていた壺の碑と考えたことによるものです。しかし、伝承の壺の碑というのは、本来、都母(つぼ)の碑の意味で、場所は、青森県上北方面のことです。またその碑文は日本中央とあったといいますから、この碑とは別です。すなわちこれを壺の碑というのは誤りですので、以下、多賀城碑とよぶことにします。

 この碑は、多賀城外郭南辺の中央の位置にあります。それではいったい、多賀城は、ほんとうに神亀元年に建てられたものだったのでしょうか。そもそも多賀城は、どういう性格の城だったのでしょうか。

 

(岩波ジュニア新書『東北歴史紀行』63~67頁より)

 

 

 

 

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