たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

幼い頃の思い出とお別れ

2018年01月21日 18時33分42秒 | 祈り
 なんとか生き返りつつある日曜日、でもあまり眠れずようやく7時間、歳のせいですかね。今日も少しでも荷物を減らすべくがんばりましたがひとつひとつ考えながらお別れしていくので時間かかるし、部屋にいるの、限界になってまたスパへ逃げ出してきています。(今日はポイントたまっているので無料)。外階段を下りてくるすごい足音が聞こえたかと思うと激しいピンポンが自分の部屋かと思ったら最初は自分の部屋で、次はひきこもりのオッサンの部屋に行ったのか、最初からオッサンの部屋なのかわからないまま緊張、なんかトラブルがあるのか、気味悪いやね。今年の秋、引っ越すのか、実家に帰るのか、もうクソ大家に家賃を払うの悔しいので更新したくないですが、引っ越しはすごくお金がかかるし、稼ぎが悪くって残念ながらわたしこんな部屋に住む力しかありません。家賃と住民のクオリティは比例することがよくわかったので悔しいなり。でも今はどうすることもできず・・・。

 二年前の今頃、実家に引きこもって遺品整理をしていたらこんなのが出てきました。1970年大阪万博に家族で行った時のチケットなど。断片的に記憶があります。高度経済成長期の始まり。万博は盛り上がっていました。同級生で仲良しだった女の子は両親が自営で平日学校を休んで行きましたが、うちは父がその頃は会社員だったので日曜日に出かけました。新幹線で日帰りしたということですね。その記憶は全くありません。太陽の塔と、アトラクションでわたし、妹、弟の三人で遊んだことは覚えています。その写真は今も実家のアルバムにあります。

 家族が幸せだった頃の記憶の断片。その20数年後に、母は統合失調症となり妹は自死をするという苦しみの時がが訪れるなど思いもしなかった頃の幸せの記憶。時は流れました。父も母も旅立ち、日本も世界もこれからどうなっていくのかわからない混迷の時代。日本は高度経済成長期のしわ寄せがきていて、高度経済成長期ってなんだったんだろう、っていう時代になりました。のたうちまわるように苦しんだ記憶もわたしの中で遠い記憶になりつつあります。

 苦しみの時が訪れたけれど、子供の頃、たしかにうちの家族は幸せで、わたしの体は幸せを記憶しています。だからこうしてなんとか生きながらえることができているのだと今の仕事を通して、乳幼児精神保健学会での学びを通してわかりました。結婚していないのは格好つかなくって情けないですが、お給料が安いのは情けないですが、母よ、「わたしは子育てを間違えた」って自分を責める必要はないと思うよ。母が一生懸命に育ててくれたからさ、わたし、試練の連続でもかろうじて自分の足で立っていられるんだよ。妹は可哀想だったけどさ、こうしてわたしと弟は生きながらえていて、やさしい男の子を育てて、十分じゃないの、母・・・。

 
 断捨離していると古い写真のネガフィルムなんかも出てきてなかなかお別れできませんが、まだまだ長く先があるっていうわけではもうないし、そんなに写真もいいのかもしれませんね。かなりプリントアウトされているものはほぼスキャンしたり、スキャンもしないままお別れしたりしていますが、そんなにもういいのかな。また今度の休みに考えましょう。

 明日からの一週間のためにこれからお風呂に入って、先週あびた毒を洗い流しすっきりしなければなりません。『レディ・べス』と『Pukul』の観劇日記を書こうとしていましたが、写真の整理だけで時間切れとなってきました。

 母がお世話になったという気持ちもあるから、なんとかやっているきつい仕事。赤の他人のことだから距離を置くことができます。身内に距離を置かれるどころか、縁を切られている人たくさんいます。現実はすごいね。お風呂入って少しすっきりして、現実逃避の時間も少しつくってからの一週間、長い。今はなんとか持たせることを考えるしかありません。かくして休日の時間は少しぼけぼけしているとあっという間に過ぎていくのでした。









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