たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

脱税は違法行為ですよね

2024年01月30日 15時27分10秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年1月29日TBSNEWSDIG

岸田派の不記載3059万円「全額残っていて裏金ではない」衆院予算委で岸田総理が強調 | TBS NEWS DIG (1ページ)

「国会で岸田総理は、自身が会長を務めていた岸田派で不記載となっていた3059万円について、全額が銀行口座に残っており、流用されたり、裏金として使われてはいないと改めて強調しました。

共産 塩川鉄也 衆院議員
「2018年から20年の3年間で3059万円のパーティー収入を、収支報告書に記載しなかったということでありますけれども、この3059万円というのはどこにあったんでしょうか」

岸田総理
「パーティー収入については基本的に全て銀行口座に入金しており、口座に存置されております。これが流用されたとか、そのほかで裏金となったとかいうことではないと認識をしております」

衆議院の予算委員会で岸田総理は、岸田派の元会計責任者が政治資金収支報告書への不記載で略式起訴されたことについて、▼どの議員の紹介によるパーティー券か不明な分を別に保管していた、▼転記ミス等の事務的なミスが重なり、結果として不記載が生じたなどと説明しました。また、処理の仕方等については、報告を受けていなかったとしたうえで、「監督責任が問われるところであると認識をしている」と語りました。」

 

Xユーザーの田舎暮しの唱悦さん: 「日本国民は年金生活者でも雑所得20万円以上は確定申告し納税義務 怠ると、所得税+加算性+延滞税支払義務 岸田派の不記載3059万円「全額残っていて裏金ではない」 衆院予算委で岸田総理が強調 ↓ 収支報告書を訂正して無罪。 明白な悪意ある脱税。 所得税も加算税も延滞税払わない。 なにこれ? https://t.co/ncId16ySNq」 / X (twitter.com)

 

立法府たる国会の場で最高責任者である総理大臣が自らの脱税を正当化。

国会を一日あけるのに〇千万かかるっていう話だったか、、億単位だったか、忘れてしまいましたが莫大な予算をつかって、パンデミック条約、IHR改訂、能登半島地震、コロナワクチン被害・・・、問題山積みなのに肝心なことは全く議論が行われることなく裏金に始まり裏金に終わっていく。

命がけの仕事であったはずの政治家がお金と権力を手にするための手段になりはてた腐敗国家。こんな国で未来を思い描くことなどできようはずがない。

 

 

Xユーザーの室伏謙一さん: 「国民不在の政治ごっこ。危機感も緊張感もまるでなし。更に売国政策のオンパレード。これじゃこの国滅びるよ。https://t.co/FsOTW0HXjK」 / X (twitter.com)

 

「国民不在の政治ごっこ。危機感も緊張感もまるでなし。更に売国政策のオンパレード。これじゃこの国滅びるよ。」

 

「菅義偉と組む」「金正恩と会う」…派閥と自民党をぶっ壊した岸田文雄が「麻生太郎の退場」のあとで考えていること(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) (gendai.media)

 


2014年『キトラ古墳壁画展』-その4

2024年01月30日 12時14分12秒 | 美術館めぐり

 

 

2014年『キトラ古墳壁画展』-その3


会場におかれていた朝日新聞の別刷りより。

「謎の赤い棒執念の追跡-「曲がり方、弓とは反対」

 2001年12月、奈良県明日香村の特別史跡、キトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)の石室に入ったデジタルカメラが、「怪人」の像を映し出した。顔がトラ、体が人間。「高松塚古墳のような男女の群像が描かれているのでは」。そんな予想を裏切られた関係者らは騒然となった。

  北から時計回りに、各壁3体ずつ描かれた獣頭人身の十二支像。北壁のネズミ(子ね)とウシ(丑)は石室に流入した水に洗われて不鮮明だったが、着物の襟と、手に持った棒状の器物は赤い線として鮮やかに残っていた。

 この器物を「古代中国の武器、『鉤鑲(こうじょう)』では」と指摘したのが、関西大名誉教授だった故・網干善教(あぼしよしのり)だ。

 1972年に高松塚古墳の発掘を指揮して「飛鳥美人」などの極彩色壁画を発見し、キトラでも四神(ししん)すべての発見に立ち会った網干にとって、飛鳥の古墳壁画研究はライフワーク。最晩年に取り組んだのが十二支像だった。

「国内外のあらゆる類例に関する文献を集め、比較研究するのが先生のスタイルだった」。網干の教え子、来村(きたむら)多加史・阪南大教授(日中考古学)は振り返る。器物を多くの研究者が「弓では」とみる中、網干は「上下の先端が外向きに曲っているのは弓とは反対だ」とこだわり、来村の協力を得て集めた膨大な中国の資料から類例を探した。

 その結果、漢時代の石に刻まれた絵から、上下が外向きに湾曲 した鉄棒で敵の刀や矛を受け止める防御用武器・鉤鑲(こうじょう)を見つけだし、04年に北京で開かれた学会で発表した。

 網干は十二支像の論文などを集め、著作集「壁画古墳の研究」として刊行しようとしたが、06年1月、突然の体調不良に襲われた。診断結果は末期の胆管がん。病床で執筆や校正を続けた。

 やはり網干の教え子で、出版社とのやりとりを仲介した宮内庁陵墓課の徳田誠志(まさし)・首席研究官は「亡くなる1か月ほど前、『あとがきを書いたから出版社に届けてくれ』と電話があった。それが最後の指示でした」。送られてきた原稿には、来村と徳田への感謝の言葉があった。網干は7月、78歳で死去。著作集は2か月半後に刊行された。

 自らもキトラの壁画を研究する来村は「子や丑の鉤(かぎ)は実用品にしては大きすぎる。寅(とら)や午(うま)が持つ矛とともに、『武者の舞』のための小道具では」と推測する。」