たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

アメリカのヤバさに気づいていないのは日本だけ?!

2024年01月13日 19時01分20秒 | 気になるニュースあれこれ

新春特番【2024/1/9】生放送「我那覇真子さんと激論!2024年いかにしてグローバリストと戦うか!」 - 2024/1/9(火) 19:00開始 - ニコニコ生放送 (nicovideo.jp)

 

【アメリカ崩壊】米軍分裂?!内戦の危機迫る! 足りない米軍兵を補充するため不法移民を軍隊に(マックス×石田和靖)@tokyomax (youtube.com)

 

(31) 暴力に屈するな。ケネディ大統領暗殺からアメリカはどう変わったか?226事件とその後の日本。歴史の類似性。≪Xライブより音声のみ≫ - YouTube

 


中学生だけで集団疎開?!

2024年01月13日 12時22分45秒 | 気になるニュースあれこれ

輪島市の中学生401人 約3時間かかる場所へ『集団疎開』検討 教委は取材に「保護者は希望しても同行できない」(TREND NEWS CASTER)|dメニューニュース(NTTドコモ) (docomo.ne.jp)

「能登半島地震で、大きな被害が出た輪島市の中学生401人を、集団疎開させる検討をしていることが、輪島市教育委員会への取材でわかった。

現在意向調査中

輪島市教育委員会によると、対象となるのは、輪島中(328人)、東陽中(19人)、門前中(54人)の生徒。

中1〜受験を控えた中3生まで、保護者の同意が得られた生徒全員となる。

現在、12日午後1時締め切りで、保護者への意向調査を実施している最中だという。

約3時間かかる場所

疎開先は、石川県白山市の「白山ろく少年自然の家」と「白山青年の家」を予定。

なお、輪島市と白山市の距離は、約130kmで、現在車で約3時間かかる。

教育委員会の担当者は、トレンドニュースキャスターの取材に「輪島中には、被災者約600人が身を寄せており、授業再開のめどが立たない」と話す。

「そのため、生徒たちに学習環境を整えてあげる必要性が生じている」と語った。

保護者は同行できない

疎開できるのは、生徒のみで、保護者は希望しても同行することはできない。

よって、一時的に保護者と離れ離れの生活となる。

「最大で2か月程度で、生徒たちを戻せないかと考えている」と教委担当者。

また、輪島市内に校舎がある日本航空高校石川も、4月からは山梨県内にある系列校の仮校舎で、全生徒約600人が学ぶことになるという。」

 

子供を親から引き離そうとしていることになんとなく違和感がありますね。

まことしやかにSDGSやらLGBTQやらの看板を掲げて弱者の味方のふりをしたNPO・LGBT活動家たちがすでに被災地に入り込んでいるようです。日本では全く報道されませんが、子供たちの人身売買が都市伝説ではなく現実に行われていることが明らかになりつつあります。親御さんたちはよくよく注意していただきたいです。

 

XユーザーのAtsuko Yamamoto🇯🇵さん: 「🚨🚨🚨 被災地で子どもだけを集めようとする団体に注意してください。 https://t.co/XHw2LSjaNi」 / X (twitter.com)


2000年『エリザベート』プログラムより-ウィーン初演から東宝ミュージカルまで『エリザベート』上演史

2024年01月13日 10時53分45秒 | ミュージカル・舞台・映画

東宝初演『エリザベート』_一路さんインタビュー記事 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)

 

なつかしの雪組『エリザベート』日本初演 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)

 

(2000年東宝初演『エリザベート』プログラムより)

 

「ウィーン初演から東宝ミュージカルまで『エリザベート』上演史-小藤田千栄子(映画・演劇評論家)

 

‐日本では宝塚雪組から‐

 最近の日本では、いちばん人気とも思えるミュージカル『エリザベート』は、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場でスタートした。1992年9月3日のことである。ウィーンは、ヨーロッパのなかでは、ロンドンに次いでミュージカル人気の高いところで、英米の有名作品は、ほとんど上演しているほどである。やはり根本には、オペレッタの伝統があるからだと思うが、オペレッタの専用劇場フォルクスオーバでも、よくミュージカルを上演しているようである。英米の人気作だけではなく、ウィーン・オリジナルにも意欲的なところで、一時期、フロイトを主人公にした『フロイディアーナ』という作品が、日本でもかなり語られたことがある。

 こんなウィーンから生まれたミュージカルの決定打が『エリザベート』なわけだが、私が最初にこの作品を知ったのは、1993年6月のNHKBS2‐トニー賞特集のときだった。ブロードウェイのトニー賞のついでに、ロンドンとウィーンの最新作紹介があったのだが、そのとき『エリザベート』が入っていたのである。舞台面が一部紹介されたが、なんだか大掛かりな作品だなあという印象しか持たなかった。

 この日から2年数か月後の1995年9月、宝塚雪組での製作発表があった。のちに宝塚のプロデューサーに聞いた話では、宝塚には、かなり早い時期から「向いている」という情報が入っていたそうである。だがこのころ宝塚は、新しい宝塚大劇場が出来たり、ブロードウェイからトミー・チューンを招聘するなど、企画がめじろ押しで、『エリザベート』はそのままになっていたのだそうである。それが雪組で浮上してきたのは、多分、名歌手=一路真輝を擁していたからだと思うが、とのかく96年2月~3月=宝塚大劇場、同年6月=東京宝塚劇場と発表された。

 この発表を聞いて、私はモーレツにウィーン・オリジナルを見たくなった。宝塚版を見る前にウィーン・オリジナルを見たかったのである。それで厳寒のウィーンに行った。アン・デア・ウィーン劇場は、その昔、モーツァルトの『魔笛』が初演されたところだそうで、なかなか由緒ある劇場なのだが、のちにオペレッタの専門劇場となり、1960年代以降はミュージカルの名作をたくさん上演するようになったという。馬蹄型の見やすい劇場で、ここで初めて『エリザベート』を見た。

 ウィーン・オリジナルの『エリザベート』は、基本的にはスペクタクルと前衛が合わさったような作りであった。これは演出=ハリー・クプファーの好みだと思えたのだが、全編を歌で進め、さらに大掛かりな装置のスペクタクル性は、ロンドン・ミュージカルのの影響も見て取れたのである。なにしろ舞台面は、8つのセリが切られていて、それが上下に動くのである。オープニングなど見ていて恐いほどだった。

 こんな大掛かりな装置で驚かすものの、次第に狂言回し=ルキーニの案内で、ハプスブルク家の内部を語っていく緻密な構成が見事だった。知っているエピソードもあれば、全く知らなかった話もあるのだが、死=トートの誘いを振りきりつつ、皇妃エリザベートの人生が語られていく。

 ウィーンで見ていて強く思ったことは、実在のエリザベートという人自体が、大変なスターだったらしいということである。きっとどのエピソードも、ウィーンではおなじみの、よく知られているものなのであろう。それを死=トートを出して、ハプスブルク家を崩壊の視点から描いたところが、このミュージカルのいちばん新鮮なところであり、現代劇たりえているところだと思った。

  ウィーンから戻って、ほどなくして宝塚雪組の初演を見た。よく知られているように、宝塚は男役の世界である。いかにタイトルが『エリザベート』であっても、男役が主役でなければ収まらない。そこで潤色・演出=小池修一郎は、かなり手を入れて男役トートを前面に出してきた。

 ウィーン・オリジナルよりも、まず第一に出番が多いし、ほとんどすべてのエピソードに、トートが関わっているという構成にしていた。このあたりはすべてウィーンのオリジナル作家たちと相談ずみだそうだが、加えてトートのために新曲まで用意してしまった。サブ・タイトルにもなっていた「愛と死の輪舞」である。これを歌うことによってトートの存在は、さらに引き立つようになっていた。そしていかにも宝塚らしい豪華な舞台作りも魅力だった。トートは、ほとんどのシーンで10人の黒天使を引きつれて登場し、華やかなダンス・ナンバーも加わったのである。特に私は、フィナーレの群舞が好きだった。

 この公演は、一路真輝のサヨナラ公演でもあり、いかにもカッコいい男役トートを作りあげて、宝塚時代の代表作とした。サヨナラ公演で代表作を出した人も珍しい。雪組の主な共演者を記すと、エリザベート=花總まり、フランツ・ヨーゼフ=高嶺ふぶき、ルキーニ=轟悠、ルドルフ=香寿たつき(宝塚大劇場)、和央ようか(東京宝塚劇場)。

 

‐宝塚では星組・宙組も ‐

 雪組の東京公演が終わったあと、宝塚は星組での続演を発表した。麻路さきの星組である。96年11月~12月=宝塚大劇場、97年3月=東京宝塚劇場。

 この星組公演が始まる前に、ヨーロッパでは、ハンガリーでの公演が始まった。96年8月から、98年4月にかけてである。最初は東南部の古都セゲドで、ついで首都ブタペストのオペレッタ劇場での公演だったが、見てきた人の話によると、なんと宝塚版の、つまり小池修一郎潤色・演出版が、かなり取り入れていたそうである。加えて一路真輝のための新曲「愛と死の輪舞」も歌われていたとか。ということは宝塚版を見たオリジナル作家たちが、宝塚の作りを気に入り、許可を出したということなのであろう。

 宝塚星組の『エリザベート』は、雪組版と同じ台本、同じ楽譜であるにもかかわらず、味わいとしては、かなり異なるものになっていた。これはもう出演者たちの個性としか言いようがないのだが、分かりやすく言えば、麻路さきのトートは、よりビジュアル系と言えようか。主な出演者を記すと、エリザベート=白城あやか、フランツ=ヨーゼフ=稔幸、ルキーニ=紫吹淳、ルドルフ=絵麻緒ゆう。

 1997年3月に、星組の東京公演が終わり、『エリザベート』とも、もうこれでお別れかと思ったのだが、なんと私はウィーンで、もういちど『エリザベート』を見るチャンスに恵まれた。92年9月に始まったウィーンの『エリザベート』は、途中、シーズン・オフということで休場したこともあったが、1998年4月25日に千穐楽を迎えた。上演回数1278回、観客動員130万人の大ヒット作である。この千穐楽のフィナーレの舞台に、日本のオリジナル・トート=一路真輝と、星組のエリザベート=白城あやかが特別出演し、同時取材ということで見せて頂いたのである。

 ウィーンの千穐楽は、もう『エリザベート』オタク全員集合という感じの盛り上がりであった。取れないチケットを、やっと手にした興奮が伝わってくる。ミュージカル・ナンバーはといえば、もう1曲歌うごとに、すごい拍手。1曲ごとのショー・ストップ状態であった。そして物語は進み、いよいよフィナーレ。われらがスターの登場である。ウィーンのエリザベート女優さんが「日本から来た一路真輝」と紹介をし、一路真輝は宝塚から空輸されたトートの衣装をつけて「最後のダンス」を歌いはじめる。この時点で客席は、全員がステンディング・オヴェィション状態なので、後ろのほうの席からはよく見えない。ところが一路真輝が歌いはじめると、一瞬にして客席はシーンとなって、全員が着席し、一路真輝の歌に聴き入ったのである。私はこのとき、一路真輝の歌唱力とは、こういうことなのかと、あらためて感嘆したのであった。「最後のダンス」は、途中、マントを翻して踊るパフォーマンスもあり、ヴィジュアルも要素もたっぷりの、魅惑のワン・パースン・ステージとなった。歌い終わると、すぐさまスタンディング・オヴェイションになったのは言うまでもない。

 続いてハンガリーから招かれていたエリザベート女優さんが「私だけに」を歌い、ついで白城あやかが「愛のテーマ」を歌いながら登場した。衣装は、これも宝塚から空輸されたもので、その豪華なこと。曲の後半では、ウィーンのトート役が登場してデュエット。大トリでは白い衣装に着替えた一路真輝が再び登場して、ウィーンのエリザベート女優さん、ハンガリーのエリザベート女優さんなど、みんな登場しての大コーラスとなった。なんとも豪華なウィーンの千穐楽であった。

 このあと日本では、宝塚宙組も上演した。1998年にスタートした新組の、2本目の作品が『エリザベート』であった。98年10月~12月=宝塚大劇場、99年2月~3月=TAKARAZUKA1000days劇場。トート役は、歌では定評のあったしづきで、エリザベート役に、雪組時代に一路真輝と組んだ花總まりが、再び登場したのが話題だった。『エリザベート』は、上演するには非常に難しい作品なのだが、このあたりになると観客のほうは見ることに慣れてきて、なんとなく安心して見ることの出来る舞台となっていた。すでに『エリザベート』経験者が、何人も出ていたことも大きい。姿月あさと、花總まりのほかに、主な出演者を記すと、フランツ・ヨーゼフ=和央ようか、ルキーニ=湖月わたる、ルドルフ=朝海ほかる(宝塚大劇場)、樹里咲穂(1000days劇場)。

 

-新曲が入って東宝ミュージカル-

 このあとヨーロッパでは、1999年末から2000年にかけてスェーデンのカールスタッド劇場で、ほぼ同じころのスタートでオランダ・ハーグの劇場で『エリザベート』の上演が始まった。オランダ版は、かなりのロングランが想定されているようで、見てきた人の話によれば、これまでの『エリザベート』の集大成版とも言えるものだそうである。

 そしていよいよ東宝ミュージカルの『エリザベート』である。演出の基本は、エリザベート中心の、つまりはヒロインものとしてのウィーン版に戻すのだそうで、なんとエリザベート=一路真輝のために、作者たちは、また新曲を書いたそうである。出演のたびに、オリジナル作家たちから新曲を書いてもらっている一路真輝は、なんとも幸運なスターだが、それだけ信頼を得ているということでもある。となると、これはもう世界一のエリザベートを見せなければ、と勝手にプレッシャーをかけておこう。」