たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

月曜日、始まってしまいました

2018年01月29日 22時39分30秒 | 日記
 昨夜はスパを2時間のクイック利用、慌ただしかったですが毒を洗い流してすっきりしました。お給料一時間半分ですが、こうしないともりません。今日はちょっとあたたかな月曜日。朝、土曜日の夜部屋を間違えたらしき上の階の住人にドアを開けられそうになってこわかったのでドアに貼り紙しました。昨日不動産屋に言いましたがどうすることもできずわたしがガマンするしかないわけで自衛のためにこうする以外に手立てはありません。案の定帰ってきたら管理組合のじいさんが剥がしたらしき足跡。貼り直しました。明日また見にきて剥がすんでしょうね。いやらしい。苦労して家賃を払っているのにいいことない部屋、出たいけど今は身動きできず。

 昨夜は悪寒がしたので鎮痛剤をのみ、さらに眠剤ものんだら5時間あまりよく眠れてしまいました。月曜日の朝から、今日は研修。なんかむずかしくって頭に入りませんでした。ああこういうことなのかって勉強になるはずのことばかりなのですが、肝心のことを頭の中で整理するために資料を読んでゆっくりと理解する前に、どうしようもない人たちにがんがん振り回されてしまい、疲れてしまって肝心なことが頭に入りません。結局聞くしかなく、聞いても一度ではわからずなんどもなんども同じことを聞くしかありません。こんなことの連続。ここまでやってきてようやくわかってきたことがあります。人はなんでも与えられてしまうとだめなんだと、なんでも与えてしまうことは人をだめにするんだと。わたし、大会社に使い捨てにされたあと一円も稼ぐことができなくなった自分がただただ情けなくってつらくってたまりませんでした。立ち直りの道はどこにあるのか、出口のみえないトンネルの中を彷徨い続けるような思いを日々でした。仕事がなければ一円も稼ぐことができないわけで、一円稼ぐのだって大変なこと。ようやく2年ぶりにわずかでも給料が入った時は嬉しかったです。そういう気持ち、とっても大切なんだとわかりました。自分で稼ぐから、観劇は感激の時間としてより深まるわけだし、プリンス・エドワード島への旅も大会社で苦労に苦労に苦労を重ねた分だけ喜びは大きかったです。どれもただで与えられたものだったらここまで嬉しくないんだろうなあって思います。ただで与えられたことないのでわかりませんがそうに違いないような気がします。自分で稼いでないから一円のおもみがわかんないんだろうなってわかりました。人は哀しい生き物なんだなあって思います。一度与えられてしまうとプライドもなにもなく、ただただ甘えが出て楽をしたくなる一方でどうしようもなくなっていくばかりみたいです。やりきれなさと怒りでいっぱいになりながら今日も帰ってきました。最近毎日こんな感じです。全部が全部そうというわけではなくほんの一部そうではなく力になれたらいいなっていう気持ちになることもあるから、なんとかやっていますが、なんだかこれはほんとにやっていられないなあっていう感じです。この先どうしていきましょうかね。年齢と会社で働くことはもうできないことを考えるとこれしかありませんがもういいかなあ、どうしましょうかね。

 明日はまだ火曜日、雨降りませんね、落ち着かない。しばし息抜きして現実を忘れます。

 明日もなんとか無事に一日が過ぎていきますように。