早いもので母との突然のお別れから丸三年になります。もう会うことはないのだという実感がいまだにありません。三年前の今日、新幹線に乗るために駆けつけた駅に、たまたま今日用事があって来ています。急逝の知らせに茫然と気持ち立ちすくみながら、週末だったので夕方の新幹線の切符を買ってこの駅で乗車時間を待っていたことを思い出しました。
色々な思いが湧き上がってきて、これからの用事を考えるとPCの画面をみない方がいいのですが、こうして書かずにはいられない感じがあります。
プライベートなことをどこまで書いていいものやらという気もしますが、人のことではなく私自身のことなので正直に書こうと思います。
二年前の手帳の記述を振り返ってみます。
「2013年2月12日(火)
母の一周忌は終わった。
昨年の今頃告別式が始まろうとしていた。
今日と同じ、雪がちらつきそうな寒い日だった。
今だ信じられない。実感がわかない。
いつもの部屋で寝ていないのが不思議だ。
Y君はすぐに救急車を呼ばなかったことを後悔している。
自分を責めている。時が癒してくれるのを待つしかない。
救急車で運ばれたら家で最期を迎えることはできなかっただろう。
母の本望ではなかっただろうか。
ただ傷のあったことは痛ましい。
父と母の衣類を整理していたら、Mちゃんの遺品が出てきた。
母だろうか、細々した物が箱にまとめられていた。
Mちゃんがまとめたものを、母がタンスの中にしまっていたのか、よくわからないが
奥の部屋にあった。
Mちゃんの日記が出てくる。
亡くなった年の5月6日から9月18日まで。
私には辛いシロモノだ。うつにとりつかれて幻聴も起こっていたようだ。
死にたい気持ちが綴られている。
まともには読めなかった。やめよう、今さら自分を責めるのは。
その分まで、私が一生懸命生きればいい。それでいい。
それしかないんだ。言い聞かせる。」
なぜなのか、なぜ私の家族なのか・・・。
その答えを探し続けてきたけれど、どこにもなかった。
どこにもないということを引き受けながら生き続けていくのが私の役割。
私が人生から何かを問われている。
何を問われているのか、その答えはまだ見つからない。
熱い思いだけが空回りし続けている。
重い話が続きましたね。
次回はまた旅日記か観劇日記を書ければと思います。
プリンス・エドワード島の春は6月、お化けの森の散歩道にはたんぽぽが咲いていました。
母とのお別れが一つの区切りでこのブログを始めました。
こんなささやかなブログへの訪問、ありがとうございました。
色々な思いが湧き上がってきて、これからの用事を考えるとPCの画面をみない方がいいのですが、こうして書かずにはいられない感じがあります。
プライベートなことをどこまで書いていいものやらという気もしますが、人のことではなく私自身のことなので正直に書こうと思います。
二年前の手帳の記述を振り返ってみます。
「2013年2月12日(火)
母の一周忌は終わった。
昨年の今頃告別式が始まろうとしていた。
今日と同じ、雪がちらつきそうな寒い日だった。
今だ信じられない。実感がわかない。
いつもの部屋で寝ていないのが不思議だ。
Y君はすぐに救急車を呼ばなかったことを後悔している。
自分を責めている。時が癒してくれるのを待つしかない。
救急車で運ばれたら家で最期を迎えることはできなかっただろう。
母の本望ではなかっただろうか。
ただ傷のあったことは痛ましい。
父と母の衣類を整理していたら、Mちゃんの遺品が出てきた。
母だろうか、細々した物が箱にまとめられていた。
Mちゃんがまとめたものを、母がタンスの中にしまっていたのか、よくわからないが
奥の部屋にあった。
Mちゃんの日記が出てくる。
亡くなった年の5月6日から9月18日まで。
私には辛いシロモノだ。うつにとりつかれて幻聴も起こっていたようだ。
死にたい気持ちが綴られている。
まともには読めなかった。やめよう、今さら自分を責めるのは。
その分まで、私が一生懸命生きればいい。それでいい。
それしかないんだ。言い聞かせる。」
なぜなのか、なぜ私の家族なのか・・・。
その答えを探し続けてきたけれど、どこにもなかった。
どこにもないということを引き受けながら生き続けていくのが私の役割。
私が人生から何かを問われている。
何を問われているのか、その答えはまだ見つからない。
熱い思いだけが空回りし続けている。
重い話が続きましたね。
次回はまた旅日記か観劇日記を書ければと思います。
プリンス・エドワード島の春は6月、お化けの森の散歩道にはたんぽぽが咲いていました。
母とのお別れが一つの区切りでこのブログを始めました。
こんなささやかなブログへの訪問、ありがとうございました。