「西部に入った私たちは、ミシシッピ河畔の町ワバシャで、ランチをとった。
今はひっそりした町だが、アメリカの南部と北部を結ぶミシシッピ河の水上交通が盛んだったころは、にぎやかな土地だったのだろう。河のほとりには巨大な穀物倉庫があり、その取引の事務所だったと思われる建物がならんでいた。
実は、ここワバシャもローラにゆかりがある。一家は、物語に書かれているよりも、ずっと頻繁に各地を移動していて、この近くに住んだこともあるのだ。
『プラム・クリークの土手で』(1937年)の舞台ミネソタ州ウォルナット・グローヴで、イナゴの大群にあって大不作となり、暮らしに困った一家は、エリザおばさんとピーターおじさんの家に、一時期、身をよせた。それがここワバシャ群なのだ。」
(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年幻冬舎文庫、168頁より引用しています。)
収穫祭の飾りつけでしょうか、街のあちらこちらでこんな光景を見かけました。
すごくかわいた感じがします。
お昼にいただいた野菜のハンバーガー。
西部のナンバープレート。
街の古いホテルの入口、ラブリーな内装の写真は次回。
今はひっそりした町だが、アメリカの南部と北部を結ぶミシシッピ河の水上交通が盛んだったころは、にぎやかな土地だったのだろう。河のほとりには巨大な穀物倉庫があり、その取引の事務所だったと思われる建物がならんでいた。
実は、ここワバシャもローラにゆかりがある。一家は、物語に書かれているよりも、ずっと頻繁に各地を移動していて、この近くに住んだこともあるのだ。
『プラム・クリークの土手で』(1937年)の舞台ミネソタ州ウォルナット・グローヴで、イナゴの大群にあって大不作となり、暮らしに困った一家は、エリザおばさんとピーターおじさんの家に、一時期、身をよせた。それがここワバシャ群なのだ。」
(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年幻冬舎文庫、168頁より引用しています。)
収穫祭の飾りつけでしょうか、街のあちらこちらでこんな光景を見かけました。
すごくかわいた感じがします。
お昼にいただいた野菜のハンバーガー。
西部のナンバープレート。
街の古いホテルの入口、ラブリーな内装の写真は次回。