たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

祈り-冬の空の下で

2013年12月23日 16時15分56秒 | 祈り
モノをため込むのは簡単だけれど、お別れしていくのはエネルギーが要りますね。
自分の過去と出会い、この時どうしてたかと思い出し、これは自分にとってこれからも必要かと考える。
たいていはもういい、思い切ってお別れしていこう、いずれお別れの時はくるのだから、とお別れの作業をずっと続けているとなります。
でも頭の中ではもうお別れしようと決めても、いざ手に取るとなかなかお別れできない、
そんな一頁を、重いですがまたよろしかったら一緒に読んでやってください。


自分のことなのに自分のことでないような、遠い、誰かの出来事のような、でも本当に自分に起こったことなんですね。いまでも信じられないといえば信じられない。


妹とのお別れから1カ月とちょっと、二度目の日記です。
世渡り下手、不器用人間が必死にもがいています。

「1994年10月30日(日)

ようやく秋らしく寒くなってきた。今年はなんていやな天候がつづいていたことだろう。
このむし暑かった空気と共に、一生忘れることのできない年になってしまった。ほんの少しのことでいいからクリスマスまでに明るい材料をみつけたいと思う。
今でも信じられない思いだ。わたしがまだ過ごすであろう長い時間の中であの子に会うことはもう二度とないという事実-
死の一週間前の電話の声が、今も耳元からはなれない。思い返せば、すでにあの時、あの子は死に向かって走り始めていたのだ。
自分を責めた。父と母を恨みもした。そして、あの子自身を責めた。どうして踏んばれなかったのか、・・・と、でもなにがどうまちがっていてこんなことになったのか、本当にはわからない。なにか、理屈にならないものが存在することを感じる。
わたしがこの世での旅を終える時まで消えることのない深い傷を負ってしまった。お星さまになったあの子にわたしの声は届いているのだろうか。安らかに思ってあげたい。」


自分で読み返しながら心が痛くなってしまいました。
帰り道、冬の星空を見上げながら思います。父と母と妹、お星さまになっちゃったんだなあって、見守っていてくれるかなあって、一生懸命生きていくしかないんだなあって・・・。
わたしのなぜ?の答えはどこにもない。どこかにあるに違いないはずだと思ってずっと探し続けてきたけれど、どこにもない。そのまま受けとめていくしかない。

自分のこのような体験を社会に還元できないものかという思いが心の片隅にいつもある。
思いが空回りするばかりで現実にはなにもできない自分自身への歯がゆさをこらえつつ、明日も仕事に行くしかない。
自死遺族の一人であるという自分と、派遣というドライなシステムの上にのっかって働いている自分とが心の中でバランスとれなくてすごく息苦しい。機械的なことに耐えられない。心の中はもがき続けている。年末年始の行事、できるだけ避けるようにしている。(従業員区分に関係なく、声かかる職場はまだあったかいのかあとは思いつつ・・・)。心から思っていないのに口先だけの挨拶ができないので気が重い。みんななんでもないように言っているから不思議でたまらない。

今の自分よりももっともっとはるかに一日一日命をつないでいくことに必死だった人々がいた。いや今も世界の中には日々命の危険と向き合いながら暮らしている人々がいる。(どうして日本でそういうことがもっと報道されないのだろうかと不思議に思います。)

そんな時代があって今の私たちの暮らしはある。
わたしたち日本人はモノに満たされすぎている。
いろんな命のつながりの中で今わたしは生かされている。
一生懸命生きていかねばと思います。

ガブローシュ君が歌っています。
♪毎日が戦いなのさ♪
生きていくことは難しい、大変なこと。

レミゼへの思いもまだまだ書き切れず、年末にまたいろいろと書き連ねていくと思います。

このようなブログに訪問くださり、ありがとうございます。
よろしかったらまた読んでやってください。