たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

赤毛のアンを原書で読むセミナーのことなど徒然に

2013年12月22日 13時45分43秒 | 『赤毛のアン』
昨日は松本侑子さんの『赤毛のアン』を原書で読むセミナーに参加し、第32章「合格発表」の中から読みました。
土曜日の夕方、大混雑の新宿まで行くのはそれだけでかなりのエネルギーを要しますが、行けば心のエネルギーが満たされる時間を過ごせます。

クリスマスプレゼントに手作りのお菓子をくださった方がいらっしゃって、妹の写真の前にお供え。あとでわたしがいただきます。

最後の文章が本当に美しいので書きたいと思います。

季節は春から夏へと移り変わった頃、アンが初めてグリーン・ゲイブルズにやってきた時から4年が過ぎ、クイーン学院を受験したアンはギルバート・ブライスと同点の一位で見事合格。合格の知らせを親友のダイアナから知らされたアンの一日の終わりの場面です。


That night Anne,had would up the delightful evening with a serious little

talk with Mrs.Allan at the manse,knelt sweetly by her open window

in a great sheen of moonshine and murmured a prayer of gratiude and

aspiration that came straight from her heart.There was in it

thankfulness for the past and reverent petition for the future;

and when she slept on her white pillow her dreams were as fair and

bright and beautiful as maidenhood might desire.


「このめでたい夕べのしめくくりに、アンは牧師館に出かけて、アラン夫人と短いながらも真剣に語り合った。そして夜、アンは自分の部屋に入り、幸せに満ちたりた気持ちで窓辺にひざまずいた。開け放った窓から、月の光が煌々と射しこみ、アンを照らしていた。アンは、心の底から湧き上がる感謝と抱負をこめて、祈りの言葉をつぶやいた。過ぎ去りし日々への感謝と、未来への敬虔な願いが込められた祈りだった。そしてアンは眠りについた。真っ白な枕の上で見る夢は、乙女らしい清らかさ、輝かしさ、美しさに、満ちあふれていた。」

L.M.モンゴメリ『Anne og Green Gables』
松本侑子訳『赤毛のアン』(381-382頁、集英社文庫、2000年5月25日発行)より。

アンが感謝しているのは神様、そして孤児だった自分を引き取って育て、お金を工面してクイーン学院まで行かせてくれるマシューとマリラだという松本先生のお話でした。涙がにじみました。
この少し前、アンを心の底から愛するマシューのやさしさを垣間見る場面があります。
マシューのモデルになっているのは、モンゴメリさんのお父さんだという話もあると、初めてプリンス・エドワード島を訪れた時に現地の日本人ガイドさんからお聞きしました。
色々な思いが重なりあって心に沁み入ります。何度もかみしめていきたいと思います。


講座が終ってから向かいのホテルのティールームでお茶会があり、ケーキセットをいただきました。ありがたく幸せなことです。
同じテーブルになった方々と少し、今の私たち食べ過ぎ、贅沢し過ぎているよね、という内容の話になりました。
個人的なことに触れるので詳細は自分のことだけ書きます。
自分の生活をこの頃反省しています。

わたし、しばらく前まで夕方になると毎日職場の近くのコンビニに行ってはペットボトルとおやつを買って残業していました。たまったレシートを整理してみてびっくり。なんと無駄使いをしてきたことか。
だいだい9-10時間労働の日々、残業していることに変わりはないのですが、店員さんがマニュアル対応のコンビニはやめました。朝作ったお茶を飲み干したらあとはペットボトルにお湯か水を注いで、おやつがほしい時はお昼の帰りに近くの昔ながらの八百屋さんのようなお店で買います。ポイントありませんが、毎度ハンで押したようにポイントカードは?と聞かれるより気持ちよく買い物できます。

夜は閉店間際のお店に駆け込んで値引きになった惣菜を買いこんでは食べていましたが、これもレシートを整理してみてびっくり。売っている総菜は味が濃すぎますね。お店の人はアルバイトのマニュアル対応で気持ちよくないし、できるだけ控えるようになりました。
ごはんは休日に一週間分焚いておいて冷蔵庫へ。にんじんなど温野菜は何もつけなくてもおいしく食べられるので、あとは魚など少しとスープで十分。
なんとも情けない生活ですが、労働時間が長いので今はこれで精一杯。

できればお昼をこれまたマニュアル対応のファーストフードカフェに行って高いお金を出して、さほどおいしいわけではないパスタなど食べるのをやめたい。でもお昼は職場の建物の外に出たいので今のところ変えるのは無理かな・・・。

都心は人が集中し過ぎているし、震災前よりは暗くなったけれどあちらもこちらも煌々と電気がついていて贅沢し過ぎている感じがなんともたまらなくなるこの頃です。
パリにはコンビニがないと2008年に行った時現地の日本人ガイドさんからお聞きしました。
たしかにみかけなかった。
日本も24時間お店が開いてなくても、もういいんじゃないかなという気がします。
わたし自身まだまだ頼ってしまってはいますが・・・。


先日、専門職の協会に退会連絡の手紙を出しました。2007年に国家試験に合格して、熱い思いがあって協会に入会して、年齢が高いので気おくれしながらも研修にも一生懸命参加しました。
でも自分の居場所はわからなかった。研修と自分が当事者あるいは当事者の家族としてのたうちまわるような日々を過ごしてきたという事実との間の距離は埋まらなかった。
2010年の夏、自殺予防対策の研修に参加したのを最後に全く顔を出さないままになってしまいました。その翌月には父親との突然のお別れとなりました。

通信教育で大学を卒業した後、カウンセリングスクールに通い、それからまた専門学校の通信教育で勉強した。非正規でありながら2人分ぐらい働きながら職場には一言も言わずに小さい体をすり減らすような思いでがんばり続けた。今振り返れば信じられないような無理を自分にさせ続けた。
母の精神疾患のこと、妹の自死のことを受け入れたい、その思いで必死だった。一途だった。
それが自分の人生にとってどんな意味をもつのか。それがわたしの中に落ちてくるまでにもう少し時間が必要なのかもしれません。

妹とのお別れの後の日記、母への思い、このブログに書き切っていきたいと思っています。
まだまだわたし、自分の中に言葉がたまっています。
書きたいこといっぱい・・・。
忘れるわけではない、わたしの人生の時間にも限りがあるので、本当にわたし自身を生きていくための一歩を踏み出していきたいと思います。


よろしかったら引き続き読んでやってください。