妄想による愉快な国際時事ネタ解釈
四生の盲者日記
【妄言】北京五輪―長野のリレーは済んだが【和文/朝日社説】
http://www.asahi.com/paper/editorial20080427.html#syasetu1
「フリー・チベット」。対する一方は「がんばれ中国」。英語や中国語の叫び声が激しく行き交う騒然とした信濃路を、北京五輪の聖火リレーがゆっくりと走った。
冬季五輪を開催した長野が聖火を迎えたのは10年ぶり。チベット問題をめぐり善光寺が出発地を返上して日本国内の関心も高まったが、心配された騒ぎや混乱は小規模にとどまった。まずは良かったと思う。
現場では、走者の姿を沿道から見るのは難しかった。約100人の警備陣に囲まれ、炎がちらちらのぞく程度。聖火が首をすくめながらおずおずと進んでいくかのようだった。
妨害活動はあった。卵が投げ込まれたり、チベットの旗を持った男が沿道から飛び込んできたり。6人が警察官に逮捕された。
にらみ合いや小競り合いも起きたが、大事にはいたらなかった。チベット人の人権を守るよう訴える人たちも、五輪の支持を叫ぶ中国人のグループも、興奮の中にも冷静さを保とうとする姿がうかがえた。
これまでの混乱から、双方とも学ぶものがあったはずである。平和と、そのなかで自らの主張を社会へ訴えることのできる自由と。長野はその大切さを確認する機会にもなった。
リレーの前日、中国政府はチベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世側と協議する準備を進めていることを明らかにした。そうした微妙な空気の変化が影響したのかもしれない。
聖火はこの後、ソウルと平壌、ホーチミン市などを経て、来月からは中国の国内を走る。僧侶や住民などの抗議行動が起きているチベット自治区や、新疆ウイグル自治区などでのリレーは、これまで以上に国際社会の関心を呼ぶだろう。
対話が進まなければ、聖火の足取りは再び混乱しかねない。中国政府は対話をポーズに終わらせてはならない。
聖火リレーに関心が集中しているが、追い込みを迎えた五輪の準備の方も、まだ難問が山積している。
なかでも大気の汚れは深刻だ。マラソンの男子世界記録保持者ハイレ・ゲブレシラシエ選手(エチオピア)がマラソンには出ないと表明するなど、健康への悪影響を心配する声は多い。環境問題に対する世界の不安に、中国は直面している。
交通渋滞も心配だ。中心部の渋滞を制御できなければ、五輪期間中に日常の機能がマヒしかねない。
次々にあげればきりがない。急速な経済成長のために、環境や都市の発展についてバランスがとれていないのだ。そのうえ、大規模な国際大会を運営する経験も乏しい。
北京五輪の開催まで、30日であと100日である。
チベット関係について、朝日は人権擁護のスタンスを崩そうとしていない。それは認めた上で、中国政府がチベット亡命政府との「対話」を言い出したこの時期に、社説で中国に不利な内容を敢えて述べるのは、ソフト路線を印象付けたい中共の意向があるのではなかろうか、と勘ぐってしまう。
今までが今までだけに。
言わんとすることは正論なので、妄言呼ばわりするのは、少々気の毒かもしれない。
一点、筆者とは価値観が異なると思える一文「平和と、そのなかで自らの主張を社会へ訴えることのできる自由と」
筆者は自由を平和の上に置いている。自由の為には、血を流すことを厭ってはいけない。元来、自由(基本的人権すべてがそうであるが)とはそういうものだ。
朝日のこの書き方だと、平和と自由を並立させているように見える。
二者が相反した時、どのような対応を示すつもりだろう?
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