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路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

 路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

【奈良県桜井市長選】:連続落選のN国・立花氏と現職一騎打ち 

2019-11-17 18:45:30 | 【選挙・衆院選、参院選、補選・都道府県市町村長・地方議会・公職選挙法・買収事件】

【奈良県桜井市長選】:連続落選のN国・立花氏と現職一騎打ち 

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【奈良県桜井市長選】:連続落選のN国・立花氏と現職一騎打ち  

 任期満了に伴う奈良県桜井市長選(24日投開票)が告示され、3選を目指す無所属現職の松井正剛氏(66=自民推薦)、「NHKから国民を守る党」の党首・立花孝志前参院議員(52)の一騎打ちとなった。

 立花氏は参院埼玉補選、神奈川・海老名市長選と連続で落選している。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・奈良県桜井市長選挙】  2019年11月17日  18:45:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【河野防衛相】:韓国国防相と会談GSOMIA再考促す

2019-11-17 14:11:30 | 【防衛省・自衛隊・防衛費、大綱・沖縄防衛局・軍需産業・Jアラート・シェルター】

【河野防衛相】:韓国国防相と会談GSOMIA再考促す

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【河野防衛相】:韓国国防相と会談GSOMIA再考促す 

 河野太郎防衛相は17日、訪問先のタイの首都バンコクで、韓国の鄭景斗国防相と会談し、韓国による日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA=ジーソミア)の破棄決定について、再考を要請した。同協定を含め両国間にさまざまな課題があるとした上で「賢明な対応を求めたい」と述べた。鄭氏は破棄決定を巡り、日本の輸出規制が原因だとして、外交的解決を求めた。この後、エスパー米国防長官を加えた3カ国による防衛相会談も開く。

韓国の鄭景斗国防相(右)との会談に臨む河野防衛相(共同)

   韓国の鄭景斗国防相(右)との会談に臨む河野防衛相(共同)

 日韓両国の防衛相による公式会談は、昨年10月以来。両氏は会談で、対北朝鮮で防衛当局間の意思疎通を継続することは確認した。

 同協定の失効は23日午前0時に迫っている。河野氏は会談冒頭で「日韓は非常に厳しい状況が続いているが、課題について率直に意見交換したい」と述べた。北朝鮮のミサイル発射に触れ「日韓、日米韓の連携は極めて重要だ」と強調した。

 鄭氏は「最近、さまざまな課題で関係が行き詰まっていることを残念に思う」と語った。「防衛協力の発展のため努力したい」とも説明した。

 同協定を巡り、日本は北朝鮮による弾道ミサイル発射が続く中、日米韓の結束が揺らぎかねないとして維持を主張。米国も存続へ働き掛けを強めている。韓国は日本が輸出規制を撤回すれば、再検討するとしており、双方の立場には大きな隔たりがある。

 韓国の文在寅大統領はタイ訪問に先立ち訪韓したエスパー氏と15日に会談し、輸出規制を強化した日本との軍事情報の共有は難しいとの認識を伝えている。

 日韓の防衛当局間の関係は、昨年12月の韓国海軍艦船による自衛隊機への火器管制レーダー照射問題などを受け、不正常な状態が続いている。(共同)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・政策・防衛省・韓国】  2019年11月17日  14:11:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【宮内庁】:高円宮家三女の守谷絢子さん、第1子男児を出産

2019-11-17 13:06:30 | 【皇室・天皇・褒章・皇后・皇太子・元号・宮家・皇室財産・皇族の戦争責任】...

【宮内庁】:高円宮家三女の守谷絢子さん、第1子男児を出産

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【宮内庁】:高円宮家三女の守谷絢子さん、第1子男児を出産 

 宮内庁は17日、2018年に結婚した高円宮家の三女守谷絢子さん(29)が、第1子となる男児を出産したと発表した。母子ともに健康という。元皇族の女性の出産は、1990年の故三笠宮の次女千容子さん以来、約30年ぶり。

守谷慧さん(左)と守谷絢子さん(共同)

      守谷慧さん(左)と守谷絢子さん(共同)

 同庁によると、絢子さんは17日午前6時59分、東京都港区の愛育病院で出産した。関係者によると、母の高円宮妃久子さまも病院に付き添い、出産を喜ばれていた。

 絢子さんは18年10月に日本郵船社員の守谷慧さん(33)と結婚し、皇室を離れ民間人となった。皇族の結婚は14年10月の高円宮家の次女千家典子さん以来で、結婚式後、「父(故高円宮)と母のような夫婦になれるよう努力したい」と語っていた。(共同)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・皇室・宮内庁】  2019年11月17日  13:06:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【警視庁】:沢尻エリカMDMA逮捕で組対5課がTBS、文春に露骨な事前リーク!

2019-11-17 11:22:30 | 【事件・未解決・犯罪・疑惑・詐欺・闇バイト・オウム事件・旧統一教会を巡る事件他】

【警視庁】:沢尻エリカMDMA逮捕で組対5課がTBS、文春に露骨な事前リーク! ■清原、ASKA逮捕に続き…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【警視庁】:沢尻エリカMDMA逮捕で組対5課がTBS、文春に露骨な事前リーク! ■清原、ASKA逮捕に続き… 

 警察の職権乱用とマスコミの暴走はもはや当たり前になってしまったということか。昨日11月16日、沢尻エリカが合成麻薬MDMAを所持していたとして警視庁組織犯罪対策部第5課(組対5課)に逮捕された。例によって、昨日の夕方からマスコミは大騒ぎを繰り広げているが、警視庁がまたぞろ逮捕をマスコミに事前リークして、逮捕劇をショーにしてしまったのだ。

沢尻エリカMDMA逮捕で警視庁組対5課がTBS、文春に露骨な事前リーク! 清原、ASKA逮捕に続き…の画像1

  沢尻エリカ容疑者の逮捕前夜の姿を撮影したTBS NEWS
 逮捕の一報が報じられた約1時間後には、TBS NEWSツイッターアカウントに、逮捕前日の15日夜21時半ごろ自宅から出かける沢尻の動画が投稿された。YoutubeにアップされたTBSの動画には「これだ、これだ!来た!」という現場の記者の声が入っていることから、明らかに逮捕を想定して張り込んで撮影したことがわかる。

 実際、この映像は『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS)でも流され、MCの安住紳一郎アナはこう説明した。

 「これまでにも大麻使用疑惑などなどが週刊誌などで報じられていて、そして今回は非常に確度の高い情報がマスコミに一部もたらされていたということで、TBSの報道記者もこの映像を持っているということのようです」

 TBSだけではない。「週刊文春」(文藝春秋)も、昨日21時すぎにに「【「週刊文春」記者は見た】家宅捜索3時間前、クラブで踊り明かす沢尻エリカ」と題したスクープ記事を配信。逮捕前夜から逮捕当日の朝方にかけて都内のクラブで過ごしていた様子を写真付きで詳細に報じていた。その後、ニコニコ生放送の番組『直撃!週刊文春ライブ』ではお酒を飲んだり友人とハグし合ったりしている動画も公開していた。しかも、記事によれば、「週刊文春」は沢尻本人がクラブに到着するより前から、記者を当該クラブに先回り入店させ、張り込んでいたという。

 ようするに、TBSも「週刊文春」も事前に逮捕情報をリークされ、前日から沢尻を張り込みしていたのだ。

 情報をリークしたのはもちろん、沢尻を逮捕した警視庁の組対5課だ。逮捕の瞬間を大々的に報道して、見せしめのショーにするために、映像を撮らせようと、事前に情報を流したのである。

 「今回、沢尻を逮捕した組織犯罪対策部5課は、ASKA、そして清原和博を逮捕した部署。組対5課はとにかく逮捕をマスコミにアピールしたがることで有名。清原のときも、ASKAのときも同じように逮捕を事前リークして、その瞬間を実況中継させた」(警察関係者)

 ◆逮捕を事前リークされた「週刊文春」はクラブで沢尻エリカを待ち伏せ 

 たしかに、元プロ野球選手の清原和博が2016年2月に逮捕された際も、逮捕の一報を受け、テレビ各局のワイドショーやニュース番組で、深夜、清原が自宅やサウナから出てくる姿、車に乗り込もうとする清原を記者が直撃する映像が流れた。今回と同じく現場記者が「来た!来た来た来た!」「これから夜の街へ繰り出す模様です」「サウナから清原がでてきました。3時間入って出てきました」「周りをきょろきょろ見てるぞ」「夏なのに長袖・長ズボンです」などと、臨場感たっぷりに伝える声も入っていた。

 そして清原が逮捕されると、テレビ各局は「我々は前から逮捕の情報を知ってましたよ」と自慢するかのように、その前年からの清原張り込み、直撃映像を公開した。なかでもフジテレビは、ニュース予告に「清原容疑者追跡!1200時間」というキャッチフレーズをうつほどのはしゃぎよう。さらに、今回沢尻の逮捕前夜を撮影したTBSは、清原のときも逮捕の瞬間を独占スクープ撮影していた。

 もっと酷かったのは、2016年11月のASKAの2度目の逮捕劇だ(周知のとおり、のちに不起訴処分)。このとき、NHKと共同通信が「歌手のASKA元被告逮捕へ。覚醒剤使用容疑」と速報を打つと、テレビ各局が逮捕状も出ていない段階で一斉に「ASKA元被告 逮捕へ」と大々的に報道。当のASKAは自分のブログで逮捕も覚醒剤の陽性反応も完全否定したが、その後も断定的な逮捕報道は続き、逮捕当日には午前からASKAの自宅前にマスコミが集結。身柄確保の瞬間があらゆるメディアで実況中継されるという事態に発展した。

 ちなみにASKAが逮捕されたのは警察に身柄を移された後、その日の夜のことで、マスコミ報道は明らかな逮捕の前打ちだった。

 これだけでも完全に人権無視の暴挙だが、ASKAはこの件では、約3週間後に嫌疑不十分で不起訴処分となり釈放されている。ようするに、警視庁組対5課は証拠が不十分なまま不当逮捕を強行し、マスコミもその暴挙に丸乗りして煽っていたのである。

 そして、今回の沢尻逮捕。組対5課もメディアもASKAの逮捕劇の失態についてなんら反省も検証もしていなかったということらしい。

 「今回の沢尻については、さすがに情報を全社に流すということをはしなかったが、それでもTBS、さらには記者クラブに入っていない『週刊文春』にまで逮捕を事前リークし、クラブ通いの映像を撮らせた。映像があれば、大々的に報道してくれると考えたのでしょう」(警視庁担当記者) 

 しかも前述のように、「週刊文春」は3カ月前から取材に動き、逮捕前夜も沢尻を自宅から尾行してクラブに行ったのではなく、文春記者のほうが先回りしてクラブで沢尻を待ち伏せしていたのだ。それこそ逮捕の成否に関わる相当センシティブな情報を「文春」に流していることがうかがわれる。

 しかし、普通に逮捕の確実性だけを考えれば、事前にマスコミが動くと、ターゲットの有名人が警戒したり逮捕しづらくなるはずだが、それでも情報を流している。しかも、これは末端からの流出とは考えにくい。ようするに組織として、逮捕の確実性よりも、広報・PR効果を重視している証左だろう。

「組対の捜査員は『マスコミに報道させるのは警鐘を鳴らすためだ』などと言っているが、ようは自分たちの組織の宣伝だよ。スタンドプレーにもほどがある」(前出・警察関係者)

 ◆田口淳之介と小嶺麗奈の大麻事件では麻取がフジに逮捕映像を提供 

 しかも、こうした自己宣伝の事前リークは、警視庁組対5課だけではない。先月21日に判決が出たばかりの元KAT-TUNの田口淳之介と女優の小嶺麗奈の大麻事件では、厚生労働省管轄の麻取(関東信越厚生局麻薬取締部)だったが、なんと麻取がふたりの自宅を家宅捜索したときの動画をマスコミに提供していたことが発覚。判決が数カ月延期されるという事態も起きている。

 「このとき麻取は、自宅内の捜索の様子に加え、ふたりに手錠をかけ連行に至るまでの映像を、未編集のままテレビ制作会社に提供。当初の判決予定日にフジテレビで放送される予定だったと言われています。ところが、検察がその動きをキャッチし、激怒。放送が頓挫し、逆に『捜査が適正だったか検証が必要』として判決が延期されたんです」(ワイドショー関係者)

 しかし、多くのマスコミは、保釈時の田口の土下座謝罪や法廷プロポーズなどを大々的に報じていたにもかかわらず、この捜査機関とマスコミの癒着問題はアリバイ的に報じただけで、追及する動きはまったくなかった。

 また、世論のほうも、こうした捜査機関の職権乱用にあまりに無批判だ。清原や田口のケースでも、今回の沢尻のケースでも、「悪いことをしたのだから撮られて当然」などという声のほうが圧倒的に多い。のちに不起訴処分になったASKAのケースですら、「1回逮捕されてるし」「そもそも疑われるようなことがあるのだから仕方ない」「クロと証明できなかっただけで無実ではない」などとASKAに対する同情の声も、報道に対する批判の声もほとんどない。

 薬物犯罪について、厳罰・排除よりも治療・包摂が必要という議論も以前よりは周知されるようになっているが、世論の大勢はむしろ逆で、出演シーンのカットや映画公開中止、DVDやオンライン動画の販売が停止になったり、反応はより過剰になっているし、厳罰論や排除論もより強化されている。実際、今朝の『サンデー・ジャポン』(TBS)で太田光やテリー伊藤が沢尻の女優復帰について語ったことが、ネットでは大批判を浴びている。

 他罰感情の高まりに加え、もともと国家権力や監視社会化への無防備さも手伝って、警察権力の横暴とその片棒を担ぐマスコミに馴らされ、完全に麻痺してしまっているのだ。

 この他罰主義と警察国家化のエスカレートの先に何があるのか。国民はその恐ろしさを本当にわかっているのだろうか。(林グンマ

 元稿:LITERA・リテラ(本と雑誌の知を再発見) 主要ニュース 芸能・エンタメ 【タレント】  2019年11月17日  11:22:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【皇室】:天皇即位祭典“エンドレス万歳”で「怖い」「戦前回帰か」の声!

2019-11-17 06:40:50 | 【皇室・天皇・褒章・皇后・皇太子・元号・宮家・皇室財産・皇族の戦争責任】...

【皇室】:天皇即位祭典“エンドレス万歳”で「怖い」「戦前回帰か」の声!  ■皇国への忠誠を示す「天皇陛下万歳」の歴史を改めて検証する

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【皇室】:天皇即位祭典“エンドレス万歳”で「怖い」「戦前回帰か」の声!  ■皇国への忠誠を示す「天皇陛下万歳」の歴史を改めて検証する 

 9日におこなわれた「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」で、「天皇陛下万歳」の唱和が執拗に繰り返されたことが波紋を広げている。経緯はこういうものだった。

 嵐による奉祝曲や、オペラ歌手の森谷真理氏による国歌独唱などに続き、天皇が「お言葉」を述べ終わると、まず、有働由美子とともに司会を務めた谷原章介が、「ここで天皇陛下御即位をお祝い申し上げ、聖寿の万歳三唱を申し上げます」と挨拶。その後、有働が「万歳のご発声は、天皇陛下御即位奉祝国会議員連盟の伊吹文明会長です」と紹介すると、伊吹文明・元衆院議長が「天皇皇后両陛下のご健康と皇室の弥栄を祈念し、世界の平和と日本国の限りなき発展を願い」などと前置いて、万歳三唱をおこなった。

天皇即位祭典エンドレス万歳で「怖い」「戦前回帰か」の声! 皇国への忠誠を示す「天皇陛下万歳」の歴史を改めて検証する  の画像1

 「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」での安倍首相(首相官邸フェイスブックより)

 「天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」

 ここで司会の谷原が「ありがとうございました」と区切りを入れたのだが、その瞬間、またもや会場の一部から大声で「天皇陛下万歳」の声が飛び出した。

 「天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 皇后陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇皇后両陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」(12回)

 さらに、天皇・皇后の退出時にも「天皇陛下万歳」が幾度となく繰り返された。

 「天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇皇后両陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇皇后両陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇皇后両陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇皇后両陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい! 天皇陛下ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」(33回)

 伊吹氏の万歳三唱から数えると、実に48回。こうして活字で振り返っただけでも「ばんざーい!」の文字がゲシュタルト崩壊を起こしそうになる。ネットではこの「天皇陛下万歳」の連呼に〈いつになったら終わるの〉〈エンドレス万歳かよ〉といったツッコミや、〈ちょっとゾッとする〉〈正直怖い〉〈戦争中の光景じゃないか〉〈悪夢の戦前回帰を連想させる〉といった不安の声が相次いだ。

 会場の一般観覧者らの目にも異様な光景に映ったという。朝日新聞の取材に、嵐のファンだという19歳の大学生は「戦争の時代にタイムスリップしたみたいでびっくりした。なかなかできない経験でした」(朝日新聞デジタル9日付)と語り、BuzzFeed Japanは「比較的後ろの方の席だったが、本気で万歳をしている人は目立つくらい少なかった。何回やるんだって若干笑いも起きる空気で『ちょっと怖い』『これあってるの?』という声が聞こえた」という女性参加者の声を伝えている(「BuzzFeed Japan」9日付)。

 ◆「天皇陛下万歳」は日本の伝統じゃない! 軍国主義時代に皇国への忠誠のために作られた 

 この「天皇陛下万歳」の連呼は、主催者が狙ってやったものだ。「国民祭典」を主催する「天皇陛下御即位奉祝委員会」の広報事務局は、メディアに対し「予定通りに行われたもの」と回答しているが、もともと、この奉祝委員会の設立を主導し奉祝事業を実施している組織は経団連と日本商工会議所、そして日本会議だ。また、奉祝委員会の設立発起人には櫻井よしこが「言論界・女性」の代表として名を連ね、百田尚樹高須克弥、門田隆将といったネトウヨ文化人もこぞって出席している。執拗な「天皇陛下万歳」が計画的におこなわれたことだけをとっても、新天皇即位を利用して、戦前復古的なイデオロギーを広げようという目的は明らかだろう。

 いま、ネトウヨたちは〈天皇陛下をお祝いして何が悪い〉〈天皇の健康・長寿を祈る言葉であって、戦争とは何の関連性も無い〉〈無知な左翼が「戦前のようで時代錯誤」とすぐ戦争と結びつける姿こそ時代錯誤であり日本の恥です〉などと吹き上がっているが、バカも休み休み言ってほしい。戦中の日本で、兵士や市民たちが「天皇陛下万歳」と言って死んでいったのは歴史的な事実だ。

そもそも、「天皇陛下万歳」は1889年2月11日、大日本帝国憲法発布の日の観兵式で、英国の真似をして、明治天皇の馬車へ向かい万歳の掛け声をしたのが始まりといわれる。つまり、「天皇陛下万歳」は“日本古来の伝統”ではなく、明治から昭和の終戦の軍国主義時代のものでしかないわけだ。しかも、この「天皇陛下万歳」は、たんに一人の人間の長寿や健康を願うものではなく、まぎれもなく「皇国」(国家)や「皇軍」(日本軍)への忠誠強制の延長線上に出てきたものだった。

 戦前・戦中の天皇は、大日本帝国憲法において国家元首かつ統治権の総攬者であっただけでなく、「現人神」として神格化され、国家神道という宗教的支配システムに組み込まれた。「神州不滅」「万邦無比」のスローガンにあらわれるように、明治以来の日本の政治支配層は「日本は世界に並ぶもののない、天皇を中心とした永遠の神の国」という幻想を、国民や植民地支配した地域の人々に叩き込んだのである。

 国民は「天皇の赤子」として、その名のもとに戦争へ駆り出された。「天皇陛下万歳」は学校や地域の集会等でもおこなわれ、出征していく男たちを、その妻や子ども、親、隣人らが「万歳」と言って送り出した。戦地では、日本軍が「天皇陛下万歳」「大日本帝国万歳」などと叫びながら玉砕攻撃をしかける様を、連合軍の兵士は「バンザイアタック」と名付けた。太平洋戦争末期のサイパンの戦いでは、敗走した日本兵や日本人民間人の多数が「天皇陛下万歳!」などと叫びながら崖から身投げした。その岬は「バンザイクリフ」と呼ばれている。

 ◆特攻隊の遺書 

 特攻隊員の遺書を見ても「天皇陛下万歳」などの記述がでてくる。『回天』(回天刊行会、1976年)から、いくつか抜粋して引用しよう。たとえば、海軍の人間魚雷こと回天の操縦士となって23歳で訓練中に遭難殉職した兵士は、出撃中の日誌にこう記している。

〈搭乗員ハ任務ニ勇躍邁進ノ栄ヲ担フ。懐シキ大津島ヲ後ニ、七生報国ノ白鉢巻ニ日本刀ヲ腰ニ勇躍棧橋ヲ離ル。幾度カ起ル万歳ノ声、吾人ハ只感激アルノミ。今吾人ハ無雑一念只邁進ス。
 大元帥陛下ノ御為ニ進ム道ハ只一条、今日ノ良キ日何故天ハ涙雨、吾等此ノ幸ヲ担ヒテ進ム。〉(1944年11月8日)
〈六尺褌ニ、搭乗服ニ身ヲ固メ、日本刀ヲブチ込ミ、七生報国ノ白鉢巻ヲ額ニ、黒木少佐ノ遺影ヲ左手ニ、右手ニハ爆薬桿、背ニハ可愛イ女ノ子ノ贈物ノフトンヲ当テ、イザ抜キ放ッタル日本刀、怒髪天ヲツキ、神州ノ曙ヲ胸ニ、大元帥陛下ノ万歳ヲ唱ヘテ、全力三十ノット、大型空母ニ体当リ。〉(1944年11月20日)

 回天に乗り込んで出撃し、19歳で戦死した兵士は兄宛ての遺書にこう刻んでいる。

〈今、生等決行数日前にありて念願致し止まざるは、
 天皇陛下万萬歳
 大日本帝国萬歳 のみにて御座候
 大日本帝国必勝を確信致し敵地に躍り込み候。生等の奮戦振りを在天の英霊も照覧し候へ。
 大君の御楯となりて征かむ身の
 心の内は楽しくぞある〉

 これが、戦中の「天皇陛下万歳」の実態なのである。「天皇とは神国日本そのものである」という前提で、日本の兵士や国民は「万歳」を唱えて死に、また、他国の兵士や民間人を殺した。

 ◆水木しげるが「戦争落語 天皇陛下バンザイ」で描いた、天皇と戦争、軍隊 

 太平洋戦争でラバウルに出征した漫画家の故・水木しげるも、「戦争落語 天皇陛下バンザイ」(1982年)という掌編を残している。挿絵を入れた4ページのエッセイ作品だ。小学校時代、天皇の「御真影」が納められている小屋の前を通るとき、頭を下げて一礼せねばならないという規則があった。遅刻しがちだった水木少年は、小屋の前を敬礼せずに走り過ぎたのだが、その場面を校長先生に見られてしまった。水木は「天皇陛下万歳」の時代を、このように振り返っている。

子どものときに校長先生に立たされたぐらいでは、べつに天皇陛下がおそろしいとは思わなかったが、おそろしかったのは軍隊だ。そのころは戦争だったから天皇はカミサマだった。〉

 上官から「天皇陛下」の名前が出ると、“気をつけ”をせねば半殺しの目にあう時代だった。天皇の写真が載っている新聞を「ただの新聞紙だと思って」踏みつけてしまったがために殴られたこともあった。戦地でマラリヤや栄養失調にかかって、敵の飛行機が頭上にいてもなお、「おそれおおくも」と言われると“気をつけ”をして話を聞かなければならなかったという。水木は〈ぼくは個人的に天皇陛下に悪意をもっているわけではないが、ただその名の下にいろいろいじめられたから、動物がいちど鉄砲玉で撃たれると“鉄のニオイ”をこわがるように、昔の軍国主義にかえることはなんとなく生理的にいやなのだ〉と書いている。

〈最後に天皇陛下の名の下にいじめられたのは、敵に襲われて命からがら本隊に帰ったとき、大切な“陛下からいただいた銃”をもっていなかったために、ひどくいじめられたことがあった。「命が助かったんだから、小銃ぐらいなんですか」といった顔つきをしていたのがいけなかったのだ。“陛下からいただいた銃は命よりも重く、命は羽毛よりも軽い”というのが当時の考えだから(いや、当時としてもどうしても理解できないことではあったが)、「とにかくこの次は真っ先に死んでくれ」というのが中隊長の命令だった。〉

 「天皇陛下万歳」の本質は、天皇=お国のために死を賭して人生を捧げるという宣誓に他ならない。そして、「天皇」の名は日本の軍国主義、皇国史観を凝縮した言葉として、人々に強制力をもって暴力と戦争を肯定したのである。

 戦後はどうだったか。GHQによる統治と、天皇を「象徴」とする日本国憲法の制定を経て、「天皇陛下万歳」は徐々に天皇絶対主義者の専売特許的な文句となっていった。1960年の浅沼稲次郎刺殺事件で、テロに及んだ17歳の山口二矢が「天皇陛下万才」と書き残して自殺したことはよく知られている。昭和から平成への代替わりの際には、「即位礼正殿の儀」などの儀式における首相の「天皇陛下万歳」について、国民主権や政教分離の観点から議論が起きた。当時の海部俊樹首相は、先例にならって庭に降りるよう求める宮内庁に対し、新天皇と同じ松の間の上から「ご即位を祝して」とつけて「万歳」をする形式に変えた。

 ◆谷原章介が口にした「聖寿万歳」も戦前丸出し、日本会議系が仕掛けたエンドレス万歳 

 だが、今回の平成から令和への代替わりでは、儀式や「天皇陛下万歳」に関する議論はほとんど盛り上がらなかった。新聞やテレビなどのマスコミも、十分に国民に議論を喚起する役割を果たしたとは言い難い。安倍首相は「即位礼正殿の儀」を“平成時の先例踏襲”というかたちでおこなうことで、論争を避けた。そのなかで今回、日本会議らがバックにいる「国民祭典」で、不意打ち的に「天皇陛下万歳」の大連呼、エンドレス万歳が仕掛けられたのだ。

例の「国民祭典」では、名目のなかに「天皇皇后両陛下のご健康を祈念」「世界平和を願い」などと混ぜ込むことでカモフラージュしていたが、その意味合いはさらに戦前、戦中に近づいたと言えるだろう。

 それどころか、司会の谷原章介がプログラム進行で口にしていた「聖寿万歳」という言葉は、「天子様のご寿命よ、永遠に」という意味で、完全に戦前に使われていた言い回しだ。たとえば、23歳で訓練中に行方不明となり殉職したとされる回天の特攻隊員は、遺書にこう書いている。

〈稔、皇国に生れてここに二十有四年。
 選ばれて神潮隊員となり、更に選ばれて今、沖縄決戦に身を投ぜんとす。
 光栄也。名誉也。真に男子の本懐たるを感ず。
 遺すべきはすでに家に遺せり。(稔の心中、今更何の加ふべきものもなし。
 唯々最后に、
 聖寿萬歳を祈念し奉り、
 皇国の必勝を祈るものなり。〉

 多くの国民が自覚しないまま、この国は、安倍政権によって、少しずつ戦中時代のムードに引き戻されている。実際、ネトウヨたちは「即位礼正殿の儀」など代替わり儀式の中継を見なかった人々を「非国民」などと呼んで攻撃している。ひと昔前は右翼の語彙でしかなかった「反日」という言葉も、いつのまにか日常的にメディアやSNSで使われるようになった。安倍首相とその支持者たる右派は、自衛隊を正真正銘の“軍隊”に変える9条改憲へと突き進んでいる。

 水木しげるは「戦争落語 天皇陛下バンザイ」をこう結んでいる。

 〈ほんとうに国を守ろうとすると、それこそ“国が亡びるほど”の金がかかるから、世界中が仲よくするとか、世界中で軍縮するとか、要するに“戦争のタネ”みたいなものをなるべく世界中におこさせなくするのも国防ということになり、とにかく前代未聞の複雑さだ。しかし、悪いこと(すなわち核戦争)がおきないとは誰もいいきれないことだから、このあたりで誰もが真面目に考えなればいけないことだと思う。〉(宮島みつや

 元稿:LITERA・リテラ(本と雑誌の知を再発見) 主要ニュース 社会 【社会問題】  2019年11月16日  08:15:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【皇室】:エルサ=雅子妃説まで飛び出した!『アナと雪の女王』論争振り返り

2019-11-17 06:40:40 | 【皇室・天皇・褒章・皇后・皇太子・元号・宮家・皇室財産・皇族の戦争責任】...

【皇室】:エルサ=雅子妃説まで飛び出した! ■『アナと雪の女王』論争振り返り エルサ=雅子皇后がありのまま生きるのはワガママか?

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【皇室】:エルサ=雅子妃説まで飛び出した! ■『アナと雪の女王』論争振り返り エルサ=雅子皇后がありのまま生きるのはワガママか? 

 2014年爆発的にヒットしたディズニー映画『アナと雪の女王』。来週22日には『アナと雪の女王2』が公開されることもあり、本日15日夜には日本テレビで『アナと雪の女王』が放送される。

 半年以上の異例のロングランヒットともなった『アナ雪』は、主題歌「Let It Go〜ありのままで〜」が、街でもお茶の間でもヘビーローテーションされるなど、子どもだけでなく大人も夢中に。社会現象も巻き起こし一大ブームとなったが、やはりその最大の要因は主人公のひとり・エルサが新しいプリンセス像を提示したことにあるだろう。

エルサ=雅子妃説まで飛び出した!『アナと雪の女王』論争振り返り エルサ=雅子皇后がありのまま生きるのはワガママか?の画像1

       ディズニー公式ホームページ「Disney.jp」より

 ディズニー映画といえば、それまで“受け身のプリンセス”“恋愛至上主義”が顕著だったが、『アナ雪』はそうした既存のヒロイン像を一新、王子さまとの恋愛の成就をハッピーエンドとせず男性から自立した存在として描いた。

 この新しいプリンセス像に、多くの論客たちも沸き立った。批評家の東浩紀氏や実業家の夏野剛氏、脳科学者・茂木健一郎氏、評論家・中森明夫氏、荻上チキ氏といった面々がさまざまな『アナ雪』解釈を行い、数多くの『アナ雪』論が発表された。

 もちろん議論の中心は、雪や氷をつくる魔法の力を持つヒロイン・エルサをめぐるもの。さまざまな女性がエルサに重ねられたが、なかでも大きな話題になったのが、エルサを当時皇太子妃だった雅子皇后になぞらえる論考だ。

 中森明夫氏は、〈皇太子妃となって、職業的能力は封じられる。男子のお世継ぎを産むことばかりを期待され、好奇の視線や心ないバッシング報道にさらされた。やがて心労で閉じ籠ることになる〉と、魔法の力を隠し城に籠って生きることを強入られたエルサと皇室のなかで雅子皇后の姿を重ねた。

 一方「週刊文春」(文藝春秋)は、皇室関係者のあいだでも『アナ雪』の話題で持ちきりだとして、エルサが「Let It Go」を歌い上げるシーンについても、「あの場面の本質は、女王が責務を放棄して『自己実現』を歌い上げていることです。どうしても“開き直りの歌”に聞こえてしまうんです」という皇室関係者のコメントを紹介。映画の場面と雅子皇后の過去の言動をあげつらった。

 本サイトでは2014年末、こうした数々『アナ雪』論争を総まくりする記事を掲載した。エルサ=雅子皇后なのか? エルサ=雅子皇后が「ありのまま」に生きることはワガママなのか? 以下に再録するので、『アナ雪2』公開を前に、あらためてご一読いただきたい。

 また、ちょうど新天皇即位で雅子皇后の足跡を振り返るマスコミ報道も多いが、本サイトでは先日「雅子さまの足跡」を振り返るマスコミが触れなかった男子を産まない皇后への過酷な圧力と深刻な事件!」(https://lite-ra.com/2019/11/post-5085.html)という記事を掲載した。「美談」では片付けられない雅子皇后の足跡についても、合わせてお読みいただければと思う。

 ⚫️エルサ=雅子妃説まで飛び出した!『アナと雪の女王』論争総まくり

 2014年を振り返るなかで忘れてはいけないのが、『アナと雪の女王』の爆発的ヒットだろう。猫も杓子も「レリゴー」の大合唱で、子どもから年配者までが夢中に。ここまで人びとを惹きつけ、大きな話題を呼んだのには、これまでのディズニー映画に顕著だった“受け身のプリンセス”とは打って変わって、男性から自立した存在として描いたことにもあるだろう。

 当然、この新しいプリンセス・ストーリーの登場に、大いに湧いたのは評論家たち。さまざまな『アナ雪』解釈が行われ、議論に事件まで勃発した。
 まず、男性視線で『アナ雪』を紐解いたのは、批評家の東浩紀氏。実業家の夏野剛氏、美術評論家の黒瀬陽平氏とともに「男たちが語る『アナと雪の女王』──なぜクリストフは業者扱いなのか」なるイベントを開催し、

「僕なんか見終わった後、複雑な気持ちがしたのが、女の子が一生懸命、がんばるという話をストレートに作っているだけじゃなくて、わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデルを攻撃しないといけないのかと」

 と、感想を述べた。これには黒瀬氏も「それでは今まで男が女にやっていたことを、単にひっくり返しただけになっちゃう」と同意し、以後は“オラフはアナとエルサの養子&オラフの鼻のニンジンは男性器のメタファー”説や、“舞台が北欧=先進国が抱える少子化問題などの将来を暗示している”説などを展開。最終的に東氏は「「女性が解放されて良かったんだ〜」という脳天気な映画ではない」と結論づけた。

 たしかに、国内外で“エルサの魔法=マイノリティや障碍者のメタファー”という分析もあり、女性の解放だけがテーマではないというのはわかる。ただ、端的にいえば『アナ雪』は男性がつくり上げてきたご都合ヒロイン像を意図的に覆しただけ。それに、この3人がいうほどクリストフは「ヘタレで役立たず」(黒瀬氏)でもない。なのに、ここまでクリストフが業者で終わったことに過剰反応するのは、逆に3人の男根至上主義が浮き彫りになるようで、なかなかに興味深い。

 ◆茂木健一郎はエルサをSTAP細胞の小保方晴子さんに重ね… 

 また、テーマと大きく関係する楽曲「Let It Go」について4月にTwitterへ熱く持論を連投したのは、脳科学者・茂木健一郎氏だ。茂木氏は東氏らと同様に、

〈今の王女さまは、主体性を持って、自分で何でもつくってしまう。というか、はっきり言って、王子は、オプションというか、いたらいいが、いなくても別にいい〉

 と、『アナ雪』の男性不要論を唱える。だが、つづけて〈王女さまが受け身で、王子さまが助けてくれたり、いろいろやってくれるのを待つ、というのはもはや先端ではない〉とし、『アナ雪』はいまの世代の共感を呼ぶものだと解説する。

 が、茂木氏はここで話題を小保方晴子さんに移し、〈偉いおじさま方が、あたかも保身に走るかのように、すべてを小保方さんに押しつけて逃げようとしているのが、みっともない〉と、当時は徹底反論の姿勢を見せていた小保方氏と「Let It Go」の歌詞を重ね合わせる。ここまではよくわかるのだが、なぜか〈日本版では、松たか子さんが歌っているようだが、小保方さんが歌っても面白いと思う〉というのだ。いや、それは面白いというより、もっとも殺生な提案でしょうよ。

 一方、女性である写真家・蜷川実花は、『アナ雪』に共感する女性たちに疑問を投げかけ、〈幼稚園のお母さん友達がなぜあんなにハマるのか。雪の女王的私の通常の友人たちはそんなはまんないんです。やはり主婦は大変ですよ〉と主張。同じ女性でも受け取り方は違うことを示唆した。うーん、男性社会に生きるという意味では、主婦もバリキャリも関係ない気もするが……。

 このように数々の論評が飛び交ってきた『アナ雪』。そうしたなかでも、もっとも話題を集めたのは、やはり評論家・中森明夫氏の批評だろう。もともとTwitter上で中森氏の『アナ雪』解釈は関心を集めていたが、これが大きな問題に発展。というのも、中森氏に寄稿を依頼した「中央公論」(中央公論新社)が、突如、上がった原稿の掲載を拒否したのだ。

 中森氏はこの原稿をネット上で公開しているのだが、そのなかで注目されたのは〈私たちの国を代表する雪の女王〉として、雅子妃殿下の名前を挙げている点だ。

〈皇太子妃となって、職業的能力は封じられる。男子のお世継ぎを産むことばかりを期待され、好奇の視線や心ないバッシング報道にさらされた。やがて心労で閉じ籠ることになる〉〈皇太子妃が「ありのまま」生きられないような場所に、未来があるとは思えない〉

 このごく真っ当な批評が掲載拒否を食らったのは、もちろん同社の皇室タブーのせいだろう。「中央公論」といえば、そのむかし深沢七郎の小説「風流夢譚」をめぐって右翼から抗議を受け、ついには右翼団体に所属していた少年が嶋中鵬二社長宅に侵入し、夫人と家政婦を切りつけた殺傷事件、いわゆる嶋中事件が起こっている。それゆえ、菊タブーにはことのほか敏感で、少しでも物議をかもしそうな皇室記事は一切掲載しないという方針があるらしい。

 ◆皇室関係者は「エルサは雅子さまに似ている」「レリゴーは責任放棄の開き直りの歌」と 

 しかし、これが過剰反応だったのは、「週刊文春」(文藝春秋)がその少し後、6月19日号で「雅子さまは『雪の女王』か」という記事を掲載したことからも明らかだろう。

 もっとも「文春」の記事のほうは中森氏と同じ雅子妃=雪の女王説にたっていても、趣旨は逆で、かなり踏み込んで雅子妃批判を大々的に展開している。

 まず、皇室関係者のあいだでも『アナ雪』の話題で持ちきりだとし、劇中でエルサが「Let It Go」を歌い上げるシーンについても、皇室関係者が「あの場面の本質は、女王が責務を放棄して『自己実現』を歌い上げていることです。どうしても“開き直りの歌”に聞こえてしまうんです」と話す。そして、映画の場面と雅子妃の過去の言動をあげつらい、「公的な立場にありながら、その役割をかなぐり捨てても“私”を実現させたいという強い思いがあったのでしょう」などという今井舞のコメントを紹介する。さらに、エルサの絶望によって王国に雪嵐が吹きすさび、「市井からは悲痛な声が漏れ」ているにもかかわらず、「民草の悲憤慷慨は、エルサに届かないのだ」と解釈し、「ご自分の影響の甚大さに気付かないところもどこか似ています」などと、雅子妃と雪の女王を結びつけるのだ。

 しかし、映画では女王を批判する「悲憤慷慨」の主は実体のない匿名、もしくは国を乗っ取ろうとする勢力として描かれており、「文春」の記事の解釈は一面的すぎる。というか、いかにも雅子妃を叩きたいために無理矢理『アナ雪』にこじつけた感が満載なのだ。

 このような言説に対抗するのは、評論家・荻上チキ氏の論評だ。ついには今月『ディズニープリンセスと幸せの法則』(星海社新書)まで発売した荻上氏だが、以前にもラジオ番組に出演した際、独自の『アナ雪』解釈を披露している。

 たとえば「文春」は、〈(雪だるまのオラフは)真夏に生きることを夢見る可哀想な存在〉〈王国に夏がやって来て、ハッピーエンドとなる〉と解説するが、荻上氏の解釈は違い、「エルサを夏に戻すことがハッピーエンドではないんだっていうことが、実はオラフの登場によって証明される」と語る。ポイントとなるのは、オラフが歌う「あこがれの夏」の歌詞〈暑い夏と寒い冬 二つ合わせたら もっといい〉という部分だ。そう、『アナ雪』が描こうとしたのは、「魔女と共生するための道を探る物語」だからだ。

 エルサはラストシーンで、自らの能力を街の住人たちの前でもさらけ出すようになっている。これはエルサが望んだ“自由”だ。「だけども、それは自分だけで自由を解放するっていうことじゃなくて、まわりとともに生きることが重要なんだっていう。そうしたものが描かれている」と荻上氏は言う。

 ◆「Let It Go〜ありのままで〜」は現代のプロテストソング 

 だいたい、〈民草の悲憤慷慨は、エルサに届かないのだ〉と「文春」は非難していたが、そもそもエルサ自身がどうにかできるものではない。「エルサの魔法の能力というのは治さなくてはいけない病ではなくて、生まれつきの特性」(荻上氏)なのだ。個人に責任を押し付ければ、それはエルサの両親がそうしたように社会から隔離するか、ハンス王子が手下に命令したように社会から抹殺するしかない。しかしそうではなく、「社会の受け入れなさというのを直していくことが正解」だと『アナ雪』は指摘した──。「これがやっぱり『アナと雪の女王』の、これまでのいろんな映画とかディズニー映画と別の時代性をまとっている大きなポイント」というのが、荻上氏の見方だ。

 筆者の個人的な感想としても、この荻上氏の論評がもっともしっくりくると感じたが、もうひとつ荻上氏は重要な話をしている。日本語版の「Let It Go」の歌詞は“ありのままの自分を受け入れよう”というストーリーになっているが、英語版はそれ以前に「いままで『いい子でいろ』とか、いろんなことを言われてきたという抑圧の歴史が語られてきて、“そうした社会の抑圧から自分は解放されようじゃないか”というストーリーになっている」という点だ。

 年末年始にかけて、きっと繰り返し「ありの〜ままで〜」という歌を聴くことになるかと思うが、あれは「開き直りの歌」でも「わがままを肯定する歌」でもない。現代に誕生した一種のプロテストソングだということを、どうか覚えていてほしいと思う。(水井多賀子)

 元稿:LITERA・リテラ(本と雑誌の知を再発見) 主要ニュース 芸能・エンタメ 【映画】  2019年11月15日  11:40:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【皇室】:「大嘗祭」の秘密の儀式とは! 新天皇が寝座のある部屋に一晩こもり…

2019-11-17 06:40:30 | 【皇室・天皇・褒章・皇后・皇太子・元号・宮家・皇室財産・皇族の戦争責任】...

【皇室】:「大嘗祭」の秘密の儀式とは! 新天皇が寝座のある部屋に一晩こもり…秋篠宮は“宗教色”の強さを指摘し国費支出に異議

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【皇室】:「大嘗祭」の秘密の儀式とは! 新天皇が寝座のある部屋に一晩こもり…秋篠宮は“宗教色”の強さを指摘し国費支出に異議 

 本日14日から15日にかけて、天皇の代替わり儀式のなかで最重視される「大嘗祭」が行われる。大嘗祭は、代替わりした天皇が初めて行う「一世一度」の新嘗祭。その内容の多くは非公開で行われるが、これまでの研究から、その実態は一連の代替わり儀式のなかでもとりわけ宗教色が強いことがわかっている。

 だが、国民主権や政教分離の原則に反する大嘗祭の問題に、安倍政権はまったく触れぬまま進めてきた。いや、テレビなどのマスコミも表層的な解説でお茶を濁すばかりで、正面から大嘗祭を論じることはほとんどない。

「大嘗祭」に秘密の儀式が! 新天皇が寝座のある部屋に一晩こもり…秋篠宮は宗教色の強さを指摘、国費投入に疑義もの画像1

        平成の大嘗祭(神社本庁HPより) 

 だとすれば、本サイトがその本質をあらためて伝えておく必要があるだろう。

 まず言っておかねばならないことは、大嘗祭の実相は単なる「豊作を祝う農耕儀礼」ではなく、明らかな「宗教儀式」である、ということだ。

 明治新政府がクーデターで幕府を倒した後、日本の政治支配層は「世界で唯一の天皇を中心とした神の国」という思想を国家神道として体系化し、国民支配の基盤にした。その流れで、天皇神格化と国家神道を徹底するために旧皇室典範と登極令をつくり、それまで国民の知らないところでこじんまりと行われていた皇室祭祀を大々的に執り行うようになった。つまり、大嘗祭を大きくクローズアップすること自体が、政治権力の作り上げる「祭政一致」のイメージ装置であったのだ。明治以来の日本政府は、皇室の宗教性を表に出すことで国民の支配に利用したわけである。

 しかも、だ。大嘗祭は、新たな天皇が皇祖神とされる天照大神(アマテラスオオミカミ)らに穀物を供え、新天皇自らも口にすることで豊穣と国民の安寧を祈る儀式と説明され、半年以上前から当日にかけて、多岐にわたる儀礼が執り行われる。だが、そのなかには具体的な内容がまったく明かされていない儀式がある。

 それが、これまでの大嘗祭研究で注目されてきた、霊的・性的な意味合いをもつ“秘密の儀式=秘儀”の存在である。

 本祭の夜、新天皇が大嘗宮の悠紀殿および主基殿に籠ってなされる儀式のことだ。一般参列者はもちろん報道関係も完全にシャットアウトされたなか、天皇は11月14日夕方から翌15日未明まで、ふたつの殿の内陣に合計8時間にわたって引きこもる。

 このとき、新天皇は供えた新稲をアマテラスと一緒に食す〈共食〉の儀を行うと説明されるが、この共食の儀は、悠紀殿と主基殿で二度繰り返されることを除けば、毎年の新嘗祭と同じだ。しかし、それではどうして大嘗祭が特別な皇位継承儀礼であるかの説明がつかない。

 そして着目されたのが、内陣の構造だ。両殿内部には天皇と神の席がしつらえられており、ここで対座して〈共食〉をすることになっている。ところが、これが中心儀礼の割には部屋全体から見ると片隅に追いやられており、内陣の中心・大部分を占めるのは八重畳(やえだたみ)の寝座なのだ。そしてこの寝座を使って〈秘儀〉が行われている、というのが最も有力な説として浮上してきたのである。

 言っておくが、寝座を使った秘儀の存在は、都市伝説として語られているわけではない。神道や歴史学の分野でも本格的に議論されてきたものだ。その先鞭をつけたのが、民俗学の権威で、戦前は国家神道の強化にも多大な影響を与えた折口信夫である。

 折口は大嘗祭がおこなわれた昭和3年の前後にかけて、自身の天皇論と大嘗祭に関する論考を積み上げていった。それらのテーマを総合的にまとめたのが、昭和5年に発表された「大嘗祭の本義」だ。折口はこのなかで、寝具を天孫降臨神話で瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)がくるまって地上に降り立ったとされる「真床覆衾(マドコオフスマ)」に見立て、天皇が布団にくるまる儀式の存在を唱えた。

 ◆折口信夫が指摘した「前天皇との同衾」「性の解放」の儀式の存在 

 折口がこの見立てに不可欠な要素として持ち出したのが、「天皇霊」という概念だ。折口によれば、〈天子様の御身体は、魂の容れ物〉であり、天皇はその魂(「天皇霊」)を受け入れることで完全な天皇として「復活」する。すなわち折口は、天皇の権威をほかならぬ「万世一系」の「血筋」ではなく、「肉体を入れ替えて復活をとげる霊魂」という超越的存在の継承によって説明しようとしたのだ。

 折口は「真床覆衾(マドコオフスマ)」「天皇霊」に付随して、「先帝同衾」という説も唱えている。これは前天皇の亡骸と新天皇の肉体というふたつの〈御身体〉を〈一つの衾で覆うて〉、復活のための儀式を行ったというものだ。折口によれば、古代には生死を明確にする意識がなく、平安期でも生死がはっきりしなかったので、「天皇霊」が前の身体に戻るか別の身体に移るかを確認する必要があった。そのための「同衾」だという。

 折口の説はその後、発展されるかたちで、さまざまな論考を生み出した。その一つが「聖婚儀礼」だ。あけすけにいえば、大嘗祭の夜、天皇による性行為が行われるという説である。

 大嘗宮の悠紀・主基両殿に入ることが許される人間は極めて限られる。その内構造は大きく二つにわかれており、御座と神座がある内陣(「室」という)には、天皇以外に「采女(うねめ)」という身の回りの世話をする女官の代表ひとりしか入れない。日本史学者の岡田精司氏らは、この采女を性行為の相手と見た。地方豪族から貢上された采女と「聖婚」することで服従を誓わせる儀礼があったのでないかと推定したのである。

 また、折口は、悠紀・主基両殿以外での性的な儀式の存在を指摘している。大嘗祭において、天皇は悠紀・主基両殿に籠る前に、廻立殿という併設の殿舎で「大忌の御湯」「小忌の御湯」と呼ばれる二度の沐浴=聖水儀礼を行うことで「穢れ」を払うという。史料によれば、この沐浴時に天皇は「天羽衣」を着用したというのだが、折口は〈元来、褌即、下紐は、物忌みの為のものである〉などとして、なんと、天羽衣とフンドシを結びつけた。そして〈物忌みの褌を締めて居る間〉は〈神秘たる霊力をして発散させぬ為〉の〈極端なる禁欲生活〉だとし、その〈解放の時〉が〈性の解放〉であると見立て、こう続けている。

〈天子様の場合には此湯の中の行事の、一切の御用をつとめるのが、処女である。天の羽衣をおぬがせ申し上げるのが、処女の為事なのである。そして羽衣をおとりのけさると、ほんとうの霊力を具へた、尊いお方となる。解放されて、初めて、神格が生じるのである。〉(「大嘗祭の本義」)

 ◆平成の大嘗祭でも秘密のうちに執り行われた主紀殿、悠紀殿の儀 

 ちなみに、御所には「内掌典」と呼ばれる処女の巫女がおり、その内掌典がこの「大忌の御湯」「小忌の御湯」に立ち会うとされてきた(実際、昭和天皇の代には、本当に若い頃からずっと俗世界と関係を絶った4人の女性が御所に住んでいたが、その後、交代制になった)。

 しかも、ここで指摘しておかなければならないのは、かくも異様な儀式の存在を述べた折口の説を当時、当局が容認していたという事実だ。前述したように、折口が前後に天皇論・大嘗祭論を展開した昭和3年は、大嘗祭の実施年であったと同時に、治安維持法の最高刑が死刑へ改められた年であり、「三・一五事件」と呼ばれる共産党への大弾圧も行われた。

 ところが、折口の説は取締の対象とならなかっただけではなく、当時、国家神道推進の中心人物によって堂々と紹介されてもいる。近代神道の創始者であり、内務省神社局考証課長でもあった宮地直二が東大の神道講座で「天皇霊」論を講義したのである。

 もちろん、大嘗祭に、折口らの主張する秘儀があったとしても、途中からは、実際に性的行為や前天皇との同衾が行われていたわけではなく、模擬儀礼として行われているだけという可能性が高い。

 また、民主主義下で初めて行われた平成の大嘗祭では、海外メディアが秘儀をめぐる報道を繰り広げたことを政府が憂慮。わざわざ宮内庁が事前に会見で「(大嘗祭に)特別な秘儀はなく、特別な御告文にもそのような思想はない」と否定した(ただし、折口が性的儀式の存在を指摘した「大忌の御湯」「小忌の御湯」の儀については、会見で具体的内容について質問がとんだものの、宮内庁は説明を拒否している)。

 しかし、その平成の大嘗祭にしても、大正や昭和の大嘗祭とまったく同じように、長時間、徹底して秘密裏に執り行われたことは事実だ。

 ◆秋篠宮は大嘗祭の“宗教色”を指摘し、国費でまかなうことに疑義 

 平成の大嘗祭を取材した元朝日新聞皇室担当記者でジャーナリストの岩井克己氏は、当時のことを〈午後五時過ぎから午後九時過ぎまで約四時間にわたって天皇の悠紀殿の儀が行われたが、殿内での天皇の「秘儀」はもちろん、廻廊を歩む姿も諸役の動きも全く見えない。奏されたという神楽歌など楽部の奏楽もほとんど聞こえず、ただひたすらじっと座って寒さを我慢しただけで終わった〉と振り返っている(「選択」2014年1月号)。

 今回も、殿内での儀式は当然のように非公開にされている。政府は大嘗祭を「国事行為」ではなく「皇室の行事」と位置付けることでお茶を濁すと同時に「公的性格がある」という二枚舌を使う。その費用は宮廷費つまり公費から支出されることにかわりはなく、大嘗祭だけで約24億4000万円が費やされる予定だ。

 むしろ、その宗教性と国民主権・民主主義の“本質的な不和”については、現在の皇室のほうが自覚的ですらある。昨年、秋篠宮文仁親王は誕生日に際した記者会見で、「宗教色が強いものを国費でまかなうことが適当かどうか」などと公に疑義を呈した。

 「大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成の時の大嘗祭の時にもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、そのころはうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、その時を踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています」

 だが、宮内庁は「聞く耳を持たなかった」という。秋篠宮文仁親王は記者会見で「そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」とまで踏み込んでいたが、結局、安倍政権は皇室が懸念する「宗教色の強い皇室行事」をなし崩し的に、事実上の国家行事にしてしまった。

 いずれにしても、大嘗祭の宗教性は明らかにもかかわらず、なし崩し的に本番を迎えようとしている。大嘗祭をめぐる国民主権と民主主義、そして政教分離の原則の議論は深まらないままだ。政治権力が天皇と皇室を国家神道に組み入れることで国民を支配した、明治から終戦までの大日本帝国。この国の政府と有権者は、いったい、いつまで“戦中”を引きずるつもりなのだろうか。(編集部) 

 元稿:LITERA・リテラ(本と雑誌の知を再発見) 主要ニュース 社会 【社会問題・皇室】  2019年11月14日  10:55:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【皇室】:即位パレードで「雅子さまの足跡」を振り返るマスコミが触れなかった・・・

2019-11-17 06:40:20 | 【皇室・天皇・褒章・皇后・皇太子・元号・宮家・皇室財産・皇族の戦争責任】...

【皇室】:即位パレードで「雅子さまの足跡」を振り返るマスコミが触れなかった男子を産まない皇后への過酷な圧力と深刻な事件!

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【皇室】:即位パレードで「雅子さまの足跡」を振り返るマスコミが触れなかった男子を産まない皇后への過酷な圧力と深刻な事件! 

 9日夜に皇居前広場でおこなわれた「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」、10日午後の天皇の即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」と、新天皇即位を祝うイベントが相次いで行われ、メディアは例のごとくお祝いムード一色になっている。

 なかでも、フォーカスされていたのが雅子皇后だ。マスコミは雅子皇后の様子を「嵐の歌を聴いて涙ぐんだ」「パレードの歓声に涙をぬぐう姿も」と大きく報道。改めて「ご成婚」に至るエピソードを紹介し、皇后になるまでの軌跡を振り返った。パレードが行われた10日夜には、雅子皇后が皇室に入ってからの25年を描いたドラマも放送された。

即位パレードで「雅子さまの足跡」を振り返るマスコミが触れなかった男子を産まない皇后への過酷な圧力と深刻な事件!の画像1

 即位礼当日賢所大前の儀の雅子皇后(宮内庁HPより)

 しかし、そこで語られていたのは、いずれも同じような話だ。当初は結婚を固辞されていた雅子さま皇后を動かした皇太子殿下のお言葉、慣れない皇室の生活で体調を崩されたが、愛子さまをご出産、皇太子殿下の支えでご病気を克服された──。

 だが、雅子皇后の皇室での生活はそんな「美談」で片付けられるようなものではまったくない。雅子皇后はある意味「人身御供」として皇室に供され、結婚後も「産む機械」として扱われ、人間の尊厳を踏みにじるようなプレッシャーにさらされてきた。そして、一時は完全に心を病み、「自殺未遂」、さらに離婚の危機まで報じられていたのだ。

 マスコミは皇后になったことで、すべてをなかったことにしようとしているが、同じような悲劇を繰り返さないためにも、この機会に、雅子皇后が皇室制度の中でどんな目にあったのか、雅子皇后が皇室入りしてから取材を続けてきたベテラン皇室ジャーナリストの証言を交えながら、振り返っておきたい。

 まず強調しておかなければならないのは、雅子皇后が結婚を決意したこと自体、マスコミが報じているような「皇太子殿下の熱意に心を動かされた」「7年越しの初恋が実った」というような牧歌的な話ではないということだ。

 2人が出会ったのは、1986年東宮御所で開かれたスペイン王女歓迎パーティでのこと。翌年の外務省入省が決まったばかりの雅子皇后も参加しており、徳仁天皇が見初めたのだった。

「すでに宮内庁は水面下で当時、妃探しに着手しており、お妃候補と出会う様々な機会をつくっていました。その一人が雅子さまだったのです。外務省が宮内庁に推薦したといわれています」(皇室ジャーナリスト)

 だが、雅子皇后は当初、妃になることを固く否定していた。外務省から英オックスフォード大に研修留学していた1989年には、日本から追いかけてきたマスコミを前に即席の会見を開き、「わたくしはお妃問題には関係していません。ずっと外務省職員として生きていく」と語った。

 しかし、徳仁天皇(当時は浩宮徳仁親王)は雅子皇后にこだわった。そこで説得に動いたのが、元外務事務次官の柳谷謙介氏だった。柳谷氏は雅子皇后の父親である元外務事務次官・小和田恆氏が「最も尊敬する先輩」という人物だが、この行動の背景には、「雅子さんが皇太子妃になれば、外務省が霞が関でさらに影響力を強められる」という外務省全体の意思があったと言われる。

 そして、父親も一目置く大物外務省OBの依頼を雅子皇后は断りきれず、1992年4月に柳谷邸で、10月には宮内庁新浜鴨場で、柳谷氏同席の上、徳仁天皇との面会に応じる。もっとも徳仁天皇との結婚は固辞し、雅子皇后は10月20日に正式に断りの返事をしていた。

 ところが、雅子皇后は11月28日にも東宮御所に呼び出され、徳仁天皇と3度目の面会、そして、12月19日には一転して結婚を承諾した。

 実はこの間、雅子皇后には相当なプレッシャーがかけられていたといわれている。柳谷氏をはじめ外務省は総出で「皇室外交を担って日本の外交に貢献してほしい」というロジックで説得。中曽根康弘や渡辺美智雄といった政治家が乗り出したことも取りざたされた。

 さらに有力視されているのが、1992年10月の天皇訪中を巡る“取り引き”説だ。この天皇の初めての中国訪問には、与党・自民党内でも大きく賛否が分かれていた。そのなかで、天皇訪中を積極的に進めていたのが外務省、そして宮内庁との折衝にあたっていたのが小和田事務次官だった。恆氏と外務省がこの天皇訪中を実現するために、いやがる雅子氏を説得した、という見方は今でも根強い。

 ◆希望していた“皇室外交”を禁じられ、不妊治療を強要された雅子皇后 

 いずれにしても、雅子皇后が徳仁天皇と結婚したのは、政府周辺の圧力の結果だったと考えて間違いないだろう。しかも、結婚後、雅子皇后への圧力はさらに強くなった。今度の圧力はもちろん「お世継ぎを産め」というものだった。

 前述したように結婚を雅子皇后に応諾させる際、政府サイドは「皇室外交を積極的にやっていただく」と約束したとされるが、結婚後の宮内庁の対応はまったく逆だった。当時の宮内庁長官の鎌倉節氏と東宮大夫だった古川清氏が雅子皇后に“子づくり”に専念させるため、外遊を禁じ、東宮の中に閉じ込めたのだ。

 実際、1994年11月と1995年1月の中東7カ国歴訪を最後に、愛子内親王が生まれた翌年の2002年まで雅子皇后は外遊に行っていない(1999年の海外訪問は王族の冠婚葬祭であり、皇室間の儀礼的訪問にすぎなかった)。

 「警察官僚出身の鎌倉氏は世継ぎの出産を国体の護持と言い放つゴリゴリの右派で、東宮大夫だった古川氏は“東宮のガン”とまで言われた守旧派のドン。鎌倉・古川コンビを毛嫌いしていた雅子さまは、結婚後、籠の鳥生活のプレッシャーからストレス障害に陥り、持病のアトピー性皮膚炎まで悪化してしまった。なかでも結婚から3年後の1996年は最悪で、皇太子との関係もギクシャクし、雅子さまは東大の教授を東宮御所に呼んでラテン語や政治学を習ったり、愛犬を買い始めたりと、ストレス発散に必死だった。雅子さまが心を閉ざして貝になり、複数の外国メディアが『悲しみの皇太子妃』『姿を消したプリンセス』などと報じたのもちょうどこのころです」(前出・皇室ジャーナリスト)

 さらに、宮内庁は、雅子妃の外遊を制限するだけではなく、不妊治療を強要していたのだ。「週刊文春」「文藝春秋」などで雅子皇后の立場に立った詳細な内幕ルポを発表してきたジャーナリスト・友納尚子氏の著書『ザ・プリンセス 雅子妃物語』(文藝春秋)によると、鎌倉宮内庁長官が直接、雅子妃に圧力をかけたという。通常、長官といえども皇太子夫妻から「お召し」がなければ勝手に会いに来ることなどできないのだが、1997年2月、鎌倉長官はその禁を破り、強引に乗り込んできた。そして部屋に入るなり、世継ぎの話を切り出したという。同書は元東宮職のこんなコメントを紹介している。

 「前置きもなく、いきなりお身体のことを話し始めたといいます。雅子妃殿下は羞恥心と驚きで複雑なお気持ちになったそうです。ひとりの女性が夫婦間のことなどを他人に軽々しく言えるはずがありません。雅子妃はしばらく黙ったままだったそうですが、あまりに理解がないためプライバシーについて言われたところ、結局、聞き入れてもらえないまま話は平行線に終わったと言われていました」

 しかし、宮内庁は東大病院で不妊治療の権威といわれていた堤治教授を宮内庁病院に招聘、不妊治療を強要して、1998年から検査や治療を始めた。

 ただし、雅子皇后は巷間言われていたような「体外受精」などの治療を受けたわけではない。検査は行われたが、治療については、堤教授には体外受精の技術はなく、あったとしても、排卵誘発剤、人工受精などのレベルだったと言われている。しかも、検査の結果、雅子皇后に問題はなかった。この検査についても前掲書『ザ・プリンセス』が宮内庁関係者のこんな証言を掲載している。

 「これまでお子さまが生まれないのは雅子妃のお身体のせいだといわれてきたことから、この検査結果が出たことで『やっと周囲にわかってもらえる』と安心したお気持ちの方が強かったといわれています」

 ◆愛子内親王誕生後、「二人目を」「男子を」とさらに強まったプレッシャー 

 そして、2001年、愛子内親王が誕生。これでようやく、雅子皇后へのプレッシャーは軽減されるだろうと思われた。しかし、実際はまったく逆だった。出産したのが女児だったことから、雅子皇后への風当たりはむしろ強まった。安倍首相を取り巻く右派が今も固執している「男子にあらずんば天皇にあらず」という男系男性天皇への固執が雅子皇后にさらなるプレッシャーを与えたのである。

 愛子内親王出産から1年後の2002年12月、雅子皇后はようやく徳仁天皇とともにニュージーランドを公式訪問することになった。約8年ぶりの外遊、出発前の会見で雅子皇后は、「今回、昨年子どもの愛子が誕生いたしまして、今年、関係者の尽力によりニュージーランドとオーストラリアという2カ国を訪問させていただけることになりましたことを本当にありがたいことだと思っております」とあいさつした上で、外遊への思いをこう打ち明けた。

 「結婚以前の生活では私の育ってくる過程、そしてまた結婚前の生活でも、外国に参りますことが頻繁になっておりまして、そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから、6年間の間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」

 これを聞くと、雅子皇后が皇室外交の希望を持ちながらそれをさせてもらえないことに強い無念の思いを抱いていたことがよくわかるが、しかし、雅子皇后への同情的な意見はほとんど起きなかった。逆に、政界や保守勢力、右派メディアから「何をわがままを言っているのか」「外国に行く暇があるなら、男子を産め」というバッシングの声が一斉に上がったのだ。 

 いや、政界や右派メディアだけではない。鎌倉氏の後を引き継いだ湯浅利夫宮内庁長官が雅子皇后の定例会見で、この雅子皇后の発言に対して「あれだけ外国訪問をなさりたかったのかと正直驚いています」「外国訪問を積極的に進めることは、結果的に難しかった。いわゆるお世継ぎの問題がけっして小さな問題ではなく心配してきた」と、前例のない反論を口にしたのだ。

 さらに、翌年になると、この動きはもっと露骨になる。徳仁天皇と雅子皇后の結婚10周年に当たる2003年6月9日、徳仁天皇は第二子についての質問で「今しばらくは愛子の子育てを大切にしていきたいと思っています。二人目の子供について質問がありましたが、今後、一人目に至るまでにあったような内外からのプレッシャーを是非とも避けたく、この点につき、よろしくお願いしたいと思います」と回答したが、翌10日、湯浅長官はまったく逆に、プレッシャーをこう口にしたのだ。

 「やはりもう一人は欲しい」「国民もそう考えているのではないか」

 「愛子さまが生まれてから、雅子さまには愛子さまの教育に集中したい意向を持っていましたが、宮内庁からは不妊治療についても継続するよう圧力がかかっていたようです。また、メディアの雅子さまバッシングもさらにエスカレートしたのですが、そのネタ元の多くは、宮内庁、宮中守旧派でした。雅子さまはそういう状況に非常にショックを受け、心を病んでいったのです」(前出・皇室ジャーナリスト)

 実際、2003年12月に、雅子皇后は体調を崩し、宮内庁病院に入院する事態に。4日で退院したものの、翌年春までの公務休養が発表された。病名は「帯状疱疹」と発表されたが、「強迫神経症」「鬱病」という見方が濃厚で、実際、週刊誌ではそういった報道がなされた。

 ところが、宮内庁はその精神が不安定な雅子皇后に追い討ちをかける。湯浅長官が雅子皇后の退院直後の記者会見で、秋篠宮の第三子の可能性について聞かれ、「秋篠宮さまお考えもあると思うが、皇室の繁栄を考えた場合、3人目を強く希望したい」と言ったのだ。

 「皇太子殿下ではなく、弟に『強く希望したい』などというのは、宮内庁長官としてはありえない発言。雅子さまに最後通牒を突きつけるという意味合いだったのでしょう。これで雅子さまがご自分を完全否定された思いになり、さらに病状を悪化されたのは間違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)

 実際、雅子皇后が休養に入ってから2カ月がたった2月23日の誕生日会見で、徳仁天皇は雅子皇后の体調不良の理由について、こう語っていた。

 「世継ぎ問題のプレッシャーがかかってきたこともまた大きかったと思います」

 ◆「週刊女性」が報じた“深刻な事態”と「新潮」が報じた「皇太子妃を辞めます」発言 

 その後、公務復帰の目処は立たず、同年3月になると、雅子皇后は軽井沢にある小和田家の別荘で転地療養生活に入った。宮内庁皇室の施設を使わないという異例の決断だけでも、雅子皇后の宮内庁への不信感と症状の重さがうかがい知れたが、実際、週刊誌はこの時期に雅子皇后をめぐって、重大な事件が起きていたとの報道をしている。

 「『週刊女性』が『軽井沢に転地療養直前にある深刻な事態があった』と報じたんですが、まさに転地療養直前、雅子さまが東宮御所で衝動的に手首を切ったという噂が流れていたんです。『週女』の記事は明らかにそのことを指していた」(前出・皇室ジャーナリスト)

 さらに、「週刊新潮」は雅子皇后がこの時期離婚の意志を口にしていたという話を報じた。

 「ちょうど雅子妃が体調を崩され、精神が不安定な時期のことで、あることをめぐって雅子妃がお怒りになり、東宮職の幹部に直接電話で “私、皇太子妃を辞めます”と言って、一方的に電話を切ってしまうという出来事があった。これを伝え聞いた宮内庁は、“離婚”の問題を内々に検討するようになったのです」(「週刊新潮」2006年1月5・12日号より)

 そして、こうした危機的な事態を受けて、2004年5月、徳仁天皇の「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」という、いわゆる“人格否定発言”が飛び出すのである。

 そして、同年7月には「適応障害」という心の病気を患っていたことが公表された。

 だが、それでも、宮内庁の雅子皇后への排斥姿勢は変わらなかった。メディアにはオフレコで「人格否定発言は皇太子さまに雅子さまが言わせた」などとリークし、「適応障害」という病名についても、雅子皇后は適切な治療のために公表を望んでいたが宮内庁は最後まで抵抗していたという。

 メディアも同様だった。精神的な病であることが公表されたにも関わらず、相変わらず「わがまま」「ストライキ」「怠け病」などという攻撃を繰り広げた。

 2005年12月の雅子皇后の誕生日に東宮職医師団が、「これまでに直面されてきたストレスは、医師団の想像以上に強いものであった」「医師団としては、続けてご公務をしていただけるまでにはまだ回復されていらっしゃらないと判断しております」と「見解」を発表すると、雅子妃バッシングはさらに過熱していく。

 こうしたメディアのバッシングを主導していたのが、右派勢力だった。日本会議系の集会では、男系主義の学者が雅子妃批判を語り大喝采を浴びたり、男系派の論客で安倍首相のブレーンとしても知られる八木秀次氏に至っては「AERA」で離婚説の発信源は「皇太子ご夫妻側ではないのか」「同情を誘い、これからの皇室改革を自分たちの都合よく進めようとしている」などとトンデモ陰謀説まで開陳する始末だった。

 当時、皇室典範を改正し、女性天皇を認めようという動きが出てきていたのだが、男系男子に固執する勢力が雅子皇后をターゲットにバッシングを展開し、それにメディアが引きずられていくという構図が出来上がっていたのである。

 その後、秋篠宮家の悠仁親王の誕生により皇室典範改正の話は先延ばしされたが、それでも愛子内親王の教育などを巡って、バッシングは続いた。

 それこそ、バッシングが消えたのは、即位が決まってからのことだ。

 「皇族への批判は一時よりも自由になりましたが、天皇皇后への批判は今でもメディアは躊躇しますからね。しかも、上皇さまと美智子さまに嫌われている安倍首相が徳仁天皇陛下や雅子皇后に秋波を送り始めたことで、右派メディアも一斉にバッシングをやめてしまったというのもあるでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)

 ◆皇室に嫁いだ女性に「産む機械」であることを強制する「万世一系」というフィクション 

 しかし、バッシングが消えても、この間、雅子皇后が体験した理不尽な攻撃や圧力を生み出す構造は、宮内庁皇室、メディアから消えたわけではない。

 それは皇族に嫁いだ女性に「産む機械」であることを強制し、男子を産まない女性に平気で攻撃を浴びせるという差別的な構造だ。

 子どもをもうけることも、不妊治療を選択することも、本来、個人に選択の自由がある。自分の子どもをもつことよりも、仕事でも遊びでも海外に行って見聞を広めたり交流を深めたりすることのほうに、価値を置く人だっているだろう。しかもわざわざ不妊治療をするより趣味など他の部分で人生を充実させたいという人は、当時よりはるかに不妊治療が一般化した現在でもいくらでもいる。ましてや「男子を産め」などという一般家庭は今やほとんどなくなりつつある。

 しかし、皇室制度は、「万世一系」などというフィクションのために、雅子皇后にその自由を許さなかった。

 こんな環境に置かれて、正常でいられる人間などいないだろう。雅子皇后が皇室に適応できなかったのでなく、皇室制度のほうが現代民主主義社会のなかで限界を露呈しているのだ。眞子内親王の結婚問題も同じだ。

 今後、愛子内親王、佳子内親王、悠仁親王の結婚をめぐっても、必ず同様の問題は起きるだろう。

 旧宮家の復活とか、女性天皇を認めるとか、女性宮家を創設するなどといった議論がなされているが、いずれの方策も、結局は先延ばしであり、本質から目を逸らすものでしかない。皇族の基本的人権の著しい抑圧、天皇制という非民主主義的制度の限界という本質的な議論を始めるべきだろう。(編集部

 元稿:LITERA・リテラ(本と雑誌の知を再発見) 主要ニュース 社会 【社会問題・皇室】  2019年11月12日  06:58:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①】:週のはじめに考える 長きを以て貴しとせず

2019-11-17 06:10:30 | 【社説・解説・論説・コラム・連載・世論調査】:

【社説①】:週のはじめに考える 長きを以て貴しとせず

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:週のはじめに考える 長きを以て貴しとせず 

 安倍晋三首相の通算在職期間が歴代最長になります。「長きを以(もっ)て貴しとせず」ですが、なぜ長期政権を維持できたのか。分析する必要はあります。

 現時点で通算在職期間が最も長いのは明治大正期の桂太郎首相です。三次にわたって通算二千八百八十六日間、首相を務めました。一九〇一(明治三十四)年から一三(大正二)年まで西園寺公望首相と交互に政権を担当した十年余りは「桂園時代」と呼ばれます。

 安倍首相は二十日、その桂首相を抜き、歴代最長となります。

 ◆通算在職期間が最長に

 安倍氏が最初に首相に就任したのは二〇〇六年九月。戦後最年少で、戦後生まれ初の首相でした。

 しかし、年金記録問題や相次ぐ閣僚不祥事で政権は不安定化し、〇七年参院選で自民党は惨敗します。約一カ月半後、体調悪化を理由に退陣を表明しました。

 政権に復帰したのは五年後の一二年です。その年九月の自民党総裁選で総裁に返り咲き、十二月の衆院選勝利を経て、再び首相に就きました。以後、一四、一七年と二度の衆院解散・総選挙と三度の参院選で勝利し、今に至ります。

 連続二期六年までしか認められていなかった党総裁任期も、安倍氏の二期目途中に連続三期九年とする党則改正が行われました。

 総裁任期を全うすれば二一年九月まで首相を務め、歴代最長記録を更新し続けます。

 かつての竹下登首相は「歌手一年、総理二年の使い捨て」と嘆きました。第一次内閣の安倍首相退陣後はしばらく約一年での首相交代が続きました。そうした中、安倍氏はなぜ、これほど長く首相を続けられるのでしょうか。

 最も大きな理由として挙げられるのは、安倍首相に交代を迫るような圧力が、自民党内部にも、野党の側にも存在しないことです。

 ◆首相交代の緊張感なく

 安倍首相は違憲とされた「集団的自衛権の行使」を一転容認。安全保障関連法や特定秘密保護法など国民の反対が強い法律の成立を強行しました。成長重視の経済政策も十分な成果は出ていません。公的行事である「桜を見る会」の私物化も明らかになりました。

 政権が失政をした場合、野党に政権担当の準備があり、首相にふさわしい指導者がいれば、政権交代が起こります。〇九年の民主党への政権交代や一二年の自民党の政権復帰はそれに当たります。

 野党に政権が移らなくても、次の首相にふさわしい人物が自民党内にいれば総裁・首相が代わります。「疑似政権交代」です。自民党は一九五五年の結党以来、そうして政権を維持してきたのです。

 共同通信が十月下旬に行った最新世論調査では、安倍内閣を支持する理由に「ほかに適当な人がいない」を挙げた人が最も多く49・6%に達します。次が「外交に期待できる」の13・3%ですから後継不在の深刻さがうかがえます。政権運営が強引でも、安倍氏に代わる人材が見当たらず、消極的な支持で安倍政権が続く構図です。

 では、どうしてそうなってしまったのか。それは「平成の政治改革」と無縁ではありません。

 かつての五五年体制下では政権が野党に移る緊張感がなく、金権腐敗が自民党で横行しました。ロッキードやリクルート、東京佐川急便事件などの汚職事件です。

 衆院小選挙区制導入は政党・政策本位の制度への移行で政権交代可能な状況をつくり出し、政治に緊張感を生み、腐敗をなくすのが狙いです。政党交付金制度も無理なカネ集めをやめ、企業などとの癒着を断ち切るためでした。

 こうした一連の政治改革で、昭和から平成初期に起きていた大型疑獄事件は鳴りをひそめています。政治改革の「成果」と言えなくもありません。

 一方で、政権中枢への過度の権力集中という「副作用」も生みました。選挙での公認や政治資金の配分など議員の政治生命を左右する権限を首相を頂点とする権力中枢が握ることになったからです。

 その結果起きたことは、首相らの意向に過度に配慮する忖度(そんたく)政治であり、財務官僚が公文書を偽造する統治機構の根腐れです。

 ◆権力集中の弊害随所に

 安倍氏自身、第一次内閣の反省に立って政権を運営していると言いますが、政権は長ければいいというわけではありません。

 頻繁な首相交代は、政治の安定性を損なうとはいえ、長期政権には必ずひずみが出ます。政治腐敗の温床になり、時には独裁政治に至ることもあります。

 腐敗や独裁を防ぎ、政治に緊張感を与えるためには、適度な権力の交代が必要です。それを阻む要因が「平成の政治改革」にあるとしたら、その「弊害」をなくすことも必要です。歴代最長政権を生み出した構造的な問題にも、冷静に目を向ける時に来ています。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2019年11月17日  06:10:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:北風が冷たくなってきた。最近の秋は短くて、冬が突然にやってくるようである。

2019-11-17 06:10:20 | 【政治とカネ・政党交付金・「企業・団体献金」・政治資金・議員歳費・賄賂・後援会

【筆洗】:北風が冷たくなってきた。最近の秋は短くて、冬が突然にやってくるようである。 

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗】:北風が冷たくなってきた。最近の秋は短くて、冬が突然にやってくるようである。

 暑いか寒いか、どちらかの一年で、季節の移ろい方が荒っぽい▼<寝られずやかたへ冷えゆく北下し>去来。北おろしとは山から吹き下ろしてくる北寄りの乾いた風のことで漢字一文字なら「颪」。赤城おろし、伊吹おろしなど各地の山の名で呼ばれる▼「解散風」「べたなぎ政局」「逆風」など風にまつわる言葉をしばしば耳にする政界にあって、「おろし」と聞けば時の首相を交代させる与党内の動きを連想するのだが、最近の自民党では「おろし」はあまり吹かぬものらしい▼安倍首相が起用した閣僚二人は不祥事を理由に相次ぎ辞任。首相主催の「桜を見る会」は地元後援会を喜ばせる公私混同のうたげ。不始末続きにかつての自民党なら多少の自浄作用や跡目をうかがう健全な権力欲によって「おろし」が吹いてもおかしくない状況に思えるのだが、それがいっこうに吹かぬ▼この件で、首相を厳しく批判する自民党の声も聞かぬ。首相(党総裁)の力が強くなりすぎているせいなのか。それともお行儀が良すぎるのか▼世間から首相官邸に向かって吹く北風は強まる一方だが、党内からの風は弱く、どちらかといえば、生ぬるい。ゆるみ、たるんだ政権を冷たい風がぴりっと引き締め、言動を注意深くさせるということもあるだろうに。 

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2019年11月17日  06:10:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【首相の一日】:11月16日(土)

2019-11-17 06:10:10 | 【政策・閣議決定・財政・予算・地方創生・優生訴訟・年収「103万円」の壁】

【首相の一日】:11月16日(土)

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【首相の一日】:11月16日(土) 

 【午前】11時41分、皇居。大饗(だいきょう)の儀に参列。

 【午後】2時1分、東京・富ケ谷の私邸。48分、東京・六本木のホテル「グランドハイアット東京」。「NAGOMIスパアンドフィットネス」で運動。6時30分、私邸。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 政治 【政局・首相の一日】  2019年11月17日  06:10:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【政界地獄耳】:「課税方式」の本格議論をする時期

2019-11-17 00:15:30 | 【税制・納税・減税・消費税・ガソリン減税・ふるさと納税・物納・脱税・競売】

【政界地獄耳】:「課税方式」の本格議論をする時期

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【政界地獄耳】:「課税方式」の本格議論をする時期 

 ★消費税がアップしても、キャッシュレスや軽減税で財布からどれだけ多く支払っているかわからなくしたごまかし政策は小口の買い物ならばいいが、大口の買い物となると見当もつかなくなる。しばらくして重税を感じる仕組みなのだろう。増税直後から消費税の税率アップが各方面からいわれ始めている。今夏、参院選の直前、首相・安倍晋三は党首討論会でさらなる増税について「今後10年間ぐらいの間は必要ないと思う」と発言。

 ★ところが政府税制調査会委員からは「消費税は10%がゴールではない」との発言も出る。また自民党税調も「20%を上限に」との発言も過去にはある。野党有志は「格差解消と消費税を考える会」を発足。消費税増税や法人税減税など「今の政府がやっていることは格差を拡大させる」という考えだ。またれいわ新選組代表・山本太郎と元国交相で無所属の馬淵澄夫らが主宰する消費税減税に関する勉強会も次期衆院選で消費税率5%への引き下げを野党の共通政策として野党結集を目指す。

 ★そもそも日本が導入した消費税は税負担の公平性を軸に広く浅くの理念だった。1979年、大平内閣で一般消費税導入決定。選挙中に撤回するも自民党は大幅に議席を減らす。87年に中曽根内閣が売上税を掲げるも廃案。88年竹下内閣で消費税導入。当時はバブル期。反対は大きかったものの3%は広く浅くに当てはまった。つまり格差がない時期ならば消費税は受け入れやすいし、目的がはっきりしていれば国民も納得する。しかし格差社会が広がる今、消費税10%は格差社会の象徴的重税感を感じるものになった。次は何%になるかの議論ではなく、本当に消費税という課税方式でいいのかの議論が政府にないことの想像力の欠如を感じる。政府の税金の私的利用や無駄遣いが叫ばれる中、本格議論の時期に来たのではないか。(K)※敬称略 

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【コラム・政界地獄耳】  2019年11月13日  08:36:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【政界地獄耳】:麻生太郎の憂鬱 景気上がらぬ言い訳

2019-11-17 00:15:20 | 【社説・解説・論説・コラム・連載・世論調査】:

【政界地獄耳】:麻生太郎の憂鬱 景気上がらぬ言い訳

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【政界地獄耳】:麻生太郎の憂鬱 景気上がらぬ言い訳 

 ★首相・安倍晋三の予算委員会でのヤジや、ダメ閣僚が辞任してからもポロポロと疑惑が報道されるなど、精彩を欠く第4次安倍第2次改造内閣だが、もう1人浮かない大物閣僚がいる。副総理兼財務相・麻生太郎だ。何より安倍、麻生、官房長官・菅義偉、党幹事長・二階俊博の4人の微妙なバランスの上に立脚していた極めて不安定な内閣だ。それを首相秘書官兼首相補佐官・今井尚哉的確配牌(はいぱい)してここまで来た。

 ★ところが今井は経産省・資源エネルギー庁次長までやった男。この国会では早々に関西電力幹部らが福井県高浜町の元助役から多額の金品を受け取っていた問題にかかりきりになり対策を講じている間に菅系の閣僚の失敗は続く。首相は側近の文科相・萩生田光一が口を滑らせた「身の丈発言」で歴代清話会の文科省利権を探られ、ついには加計学園大学設置疑惑まで再燃し始めた。こうなると内閣は何をやってもうまくいかない。麻生が憂うのも当然だ。

 ★自民党関係者が言う。「そんなことじゃない。麻生は派閥の後継問題で派内から突き上げられている。『まさか防衛相・河野太郎にしないだろうな』とか『党税調会長・甘利明に派閥を譲るなら派を出る』などと言われている」。こちらは党総務会長・鈴木俊一に譲って落ち着かせるだろうが、もう1つ、「景気上向かない問題だ。消費税を上げた弊害が年末から年始の落ち込みで分かってくる。アベノミクスが成功したなんてもう誰も思っていない。これから『途中までうまくいっていたが、全国で毎年続く大規模災害ボディーブローになった』と失敗言い訳を言わないといけない時期が来るのではないかと憂鬱(ゆううつ)なのだ」(自民党閣僚経験者)。政権の火種はくすぶり続ける。(K)※敬称略 

 ◆政界地獄耳

 政治の世界では日々どんなことが起きているのでしょう。表面だけではわからない政界の裏の裏まで情報を集めて、問題点に切り込む文字通り「地獄耳」のコラム。けして一般紙では読むことができません。きょうも話題騒然です。(文中は敬称略)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【コラム・政界地獄耳】  2019年11月11日  09:19:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【事件】:ラサール石井「政府が問題起こすと芸能人が逮捕」

2019-11-17 00:10:50 | 【事件・未解決・犯罪・疑惑・詐欺・闇バイト・オウム事件・旧統一教会を巡る事件他】

【事件】:ラサール石井「政府が問題起こすと芸能人が逮捕」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【事件】:ラサール石井「政府が問題起こすと芸能人が逮捕」 

 沢尻エリカ容疑者の逮捕を受けて女優の東ちづるが、ツイッターを投稿。「芸能人の逮捕に、必要以上に大騒ぎしなくていいです。私たちの暮らしに支障はありません(擁護ではありません)。騒ぐべきは政治家特権階級たちが法を犯しても逮捕されてない現実にです」と主張した。

東京湾岸署に入る沢尻エリカ容疑者を乗せたと思われる車輌(撮影・中島郁夫)

  東京湾岸署に入る沢尻エリカ容疑者を乗せたと思われる車輌(撮影・中島郁夫) 

ラサール石井(2011年7月24日撮影)

     ラサール石井(2011年7月24日撮影)

 タレントのラサール石井も「まただよ。政府問題を起こし、マスコミネタにし始めると芸能人逮捕される。次期逮捕予定者リストがあって、誰かゴーサイン出してるでしょ」とツイートした。安倍首相の「桜を見る会」をめぐる問題などを踏まえた発言とも受け取れる。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【事件・犯罪・疑惑】  2019年11月16日  21:54:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【警視庁】:沢尻エリカ容疑者逮捕、MDMA所持の疑い

2019-11-17 00:10:40 | 【事件・未解決・犯罪・疑惑・詐欺・闇バイト・オウム事件・旧統一教会を巡る事件他】

【警視庁】:沢尻エリカ容疑者逮捕、MDMA所持の疑い

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【警視庁】:沢尻エリカ容疑者逮捕、MDMA所持の疑い 

 女優沢尻エリカ(33)が16日、合成麻薬MDMAを所持していたとして、麻薬取締法違反の疑いで、警視庁組織犯罪対策部5課に逮捕されたことが分かった。

沢尻エリカ

              沢尻エリカ

3月、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」出演者発表会見で熱い思いを語る沢尻エリカ(撮影・丹羽敏通)

  3月、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」出演者発表会見で熱い思いを語る沢尻エリカ(撮影・丹羽敏通) 

 沢尻は来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の帰蝶(濃姫)役で、大河初出演することが発表されている。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【事件・犯罪・疑惑】  2019年11月16日  16:30:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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