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●《炎上を恐れずに、地雷を踏みに行く――。…小田嶋隆さんの鋭い批評》《安倍政権は「ヤンキー的」…『一つになろう』って空気が大嫌い》

2022年07月03日 00時00分27秒 | Weblog

(20220626[])
毎日新聞の訃報記事【コラムニスト・小田嶋隆さん死去 65歳 政治や社会を鋭く批評】(https://mainichi.jp/articles/20220624/k00/00m/040/074000c)によると、《政治や社会を反権力の立場から鋭く批評したコラムニストの小田嶋隆(おだじま・たかし)さんが24日、病気のため死去した。65歳。葬儀は近親者のみで営む。東京都生まれ。早稲田大卒。食品メーカーを退社後、ラジオ局アシスタントディレクター、作詞家などを経験する。雑誌「噂の真相」(2004年休刊)でコラムを連載し幅広い支持を得た。最近ではツイッターでも積極的に発言。19年に脳梗塞(こうそく)を公表し、その後入退院を繰り返していた。今月、自身初の小説集「東京四次元紀行」を刊行したばかりだった。著書に「日本語を、取り戻す。」「小田嶋隆のコラムの切り口」「超・反知性主義入門」など多数。》

 とても、とても残念だ。ご冥福をお祈りいたします。


   『●『1984年のビーンボール ~オダジマタカシ スポーツコラム大鑑~』読了
   『●『テレビ霊能者を斬る ~メディアとスピリッチュアルの蜜月~』読了(1/3)
   『●『テレビ霊能者を斬る ~メディアとスピリッチュアルの蜜月~』読了(2/3)
   『●『テレビ霊能者を斬る ~メディアとスピリッチュアルの蜜月~』読了(3/3)
   『●『人はなぜ学歴にこだわるのか。』読了
    「小田嶋隆著。《…旧弊な身分制度社会の桎梏から近代の人間を
     解放する役割を果たしてきたはずの学歴システムが、いつの間にやら
     階級固定の道具になっている現実…》。《…子供の学力は、低年齢で
     あればあるほど、親の教育水準および経済状態をストレートに反映…》。
     《…学歴における機会均等なんてものは、もはや建前でさえない…》。
     斎藤貴男さんの『機会不平等(※1) と同じ指摘。」

   『●『テレビ救急箱』読了 (1/2)
   『●『テレビ救急箱』読了 (2/2)
   『●「生まれた環境に縛られる、子どもたちの夢」
               (『カナエール福岡応援ページ』)

     「番組を見て、そして、そのWPの一つのフレーズ
      「生まれた環境に縛られる、子どもたちの夢」を見て、
      小田嶋隆さんの本の言葉を思い出しました……
      「子供の学力は、低年齢であればあるほど、
      親の教育水準および経済状態をストレートに反映
      学歴における機会均等なんてものは、もはや建前でさえない…」
      http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/2a1cb2eb9e660199cf4fcdc12a4a8d1f

   『●小田嶋隆さんの『偉愚庵亭憮録』
   『●新手の愉快犯?…と言えば、言い過ぎか
   『●アベ様らが《霞が関官僚》を支配して堕落させ、《国会の質疑、
     ひいては、国権の最高機関たる国会の存在価値それ自体を貶め》た
    「日経ビジネスのコラム【小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」
     ~世間に転がる意味不明/「募集」と「募る」の違いはどうでもいい】」
    「#募ってはいるが募集はしてないの両者の違いよりも、小田嶋隆さん、
     《募集に応じて応募した人間はどこからどう見ても「選ばれた人」
     ではないからで、とすると、「安倍事務所の募集に応募して会に
     参加した後援会のメンバーは、言葉の正確な意味において絶対に
     「招待客」ではあり得ないからだ。当たり前の話だが、
     「招待客を募集するという言い方自体が、そもそも矛盾している》、
     そりゃぁ~そうだ。」

   『●『超・反知性主義入門』の小田嶋隆さんインタビュー、
            「そういう政権を選んだ国民にも危険な兆候」
    《反知性主義という言葉が流行している。立憲主義を否定し、
     学者の声も黙殺した安倍首相に対して向けられたもの……
     そこで話題なのが「超・反知性主義入門」(日経BP)の
     著者・小田嶋隆氏(58)だ。反知性主義なのは野蛮政権のトップ
     だけではないそういう政権を選んだ国民にも危険な兆候
     広がりつつあるという》
    「アベ様らだけが「反知性主義」者ではなく、《そういう政権を
     選んだ国民にも危険な兆候》を見てとる小田嶋隆さん。
     青木理さんや内田樹さんが仰っていることも、
     そういうことなのかもしれない」
    《ユネスコの記憶遺産に南京大虐殺が登録された時、菅官房長官は
     分担金を減らすことを示唆しました。驚天動地の発言で、昔だったら
     クビが飛んでいると思う。虐殺した数についての議論はあってしかるべき
     だが、虐殺の事実そのものを否定したり、分担金を減らしてユネスコに
     圧力をかけるのは別次元の話でしょう。しかし、菅官房長官がああ言うのは、
     国民の方に『ユネスコはケシカラン』という応援の声があるのを感じたから
     だと思う。ああいう発言ができちゃう空気が、すでに存在しているんですよ》

   『●「俺様王国」ニッポン、「俺様王国」大阪「ト」を
            造りたい強権的政治手法好きな二人
    「…う ん ざ り。「反知性主義者たちが「反日」といって
     思考停止してしまうように安倍晋三やその支持者たちを
     反知性主義者だと非難するだけでは思考停止してしまう
     ことは分かっているのだけれども…。
      青木理さんも仰ってます、
     「薄っぺらで反知性的なタカ派が増殖している
      高橋源一郎想田和弘小田嶋隆は、反知性主義に
     ついて語ることのむずかしさを指摘している」

   『●アベ様お得意の《政治の私物化》の極致…《「桜を見る会」…
            公的イベントを支援者接待と政治資金集めに利用》
    「アベ様の私的文化的?な《安倍総理のサクラになる会》(©小田嶋隆さん、
     https://twitter.com/tako_ashi/status/1178523901380317184)」
    「「桜を見る会」前夜祭という立派な政治資金パーティーについて、
     《政治資金規正法違反の疑い》だそうですよ。あぁ、でも
     《自民党の最近のルールは「返せば問題ない」と、なかったことに
     できるというもの》でしたねぇ。あれぇ~、もし「資料は破棄した
     といったことになると、「返し」ようもないですよね…」

   『●萩生田光一文科相《テロ予告や脅迫で「表現の不自由展」を
     中止させた勢力に加担する行為…表現の自由を圧殺する暴挙》
    「《萩生田氏自身のゆがんだ歴史観や嫌韓感情、憲法が保障する
     表現の自由への無理解…「表現の不自由展」を中止に追い込んだ
     勢力と同じ思想・感情》…《検閲国家》へと着々と。《文化庁の
     補助金7800万円全額》不交付の一方で、アベ様の私的文化的?な
     《安倍総理のサクラになる会》(©小田嶋隆さん、…)には
     《予算3倍…5700万円もの血税》が飲み代へとドブガネ。」

   『●アベ様案件…(武田砂鉄さん)《近場から放たれる「病人なんだから」
       という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎでは》?
    「【安倍政権が残したもの/類を見ない「言葉」の空疎さと不誠実さ
     小田嶋隆さんが見た7年8カ月】…《コロナ対応などでは適切な判断を
     する自信がないのに、後継者選びに関しては判断ができる、というのは
     矛盾しています。つまり、次にどんな政権ができて、自分をどう断罪する
     のかを見極める余力を残しての辞任だったということです》」

   『●小田嶋隆さん《行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、
     安倍晋三氏とその追随者たちは…この8年の間に完膚なきまでに破壊》
   『●武田砂鉄さん《小田嶋隆さん…予言めいたもの…〈日本学術会議から
     学術を追放すると日本会議になることからも、学術の必要性は明らか〉》


 毎日新聞の記事【「炎上恐れず、地雷を踏みに」 小田嶋隆さんの発言振り返る】(https://mainichi.jp/articles/20220624/k00/00m/040/161000c)によると、《社会や政治、そして世相を絶妙な文章技でバッサ、バッサと斬ってきた小田嶋さん。その数々の発言を毎日新聞に掲載された記事から振り返った》。

 今のこの悲惨な「政」小田嶋隆さんの素晴らしき結論…《結論を述べる。安倍政権は外交と経済をしくじり、政治的に失敗しただけではない。より重要なのは、彼らがこの国の文化と社会を破壊したことだ。私はそう思っている。一刻も早くこの国から消えてもらいたいと思っている》。
 最後の言葉《上から目線で他人の命の価値を測るな》という言葉も重く、勁い。

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https://mainichi.jp/articles/20220624/k00/00m/040/161000c

「炎上恐れず、地雷を踏みに」 小田嶋隆さんの発言振り返る
毎日新聞 2022/6/24 17:25(最終更新 6/24 22:02)

     (インタビューに答えるコラムニストの小田嶋隆さん=
      東京都千代田区で2015年11月30日、小出洋平撮影)

 炎上を恐れずに、地雷を踏みに行く――。6月24日に65歳で亡くなったコラムニストの小田嶋隆さんの鋭い批評を、毎日新聞の見出し(2015年10月20日東京本社夕刊)はこう表現した。社会や政治、そして世相を絶妙な文章技でバッサ、バッサと斬ってきた小田嶋さん。その数々の発言を毎日新聞に掲載された記事から振り返った。【デジタル報道センター】


安倍政権は「ヤンキー的」

 17年7月、東京都議選の街頭演説で「辞めろ」コールを浴びた自民党の安倍晋三首相(当時)は「こんな人たちに皆さん、私たちは負けるわけにはいかない」と言い放った。この発言を、小田嶋さんは「国会で民進党(当時)や共産党を相手に言うのとは意味が違います。自分に賛成しない人間を『国民とは別のカテゴリー』に分けたようなものですから」と強く批判。そんな安倍政権の姿勢を「ヤンキー的」と表現した。

     (都議選で自民党候補者への支持を訴える安倍首相
      =東京都千代田区のJR秋葉原駅前で2017年7月1日
      午後5時3分、藤井達也撮影拡大)

 そのうえで「最近の若い人たちは『雰囲気を壊さず、仲間を大切にしよう』という考えを重んじる傾向が強い。仲間内では意見を主張せずに、我慢して秩序を保とうという気分と『ヤンキー志向』は無縁ではないと思っています」と指摘してみせた。

 その安倍首相が20年8月に辞任を表明すると、「病気の再発を辞任の理由として挙げているが、『今、逃げるしかなかった』というのが実情ではないか」とバッサリ。

 「アベノミクスでは株価をつり上げることで好景気を演出してきたが、新型コロナウイルスの影響で不況が本格化すれば、フェイクだったことが国民にばれてしまう。東京オリンピックの開催も見通せない。『森友問題』もくすぶったままで、河井克行前法相(当時)らの選挙違反事件買収の原資を巡って自身に飛び火する恐れもあった。政権が火だるまになることが分かっていたのではないか」


菅氏は「一貫した『麦踏み』の発想」

 安倍氏の後任として首相になった菅義偉氏についても手厳しかった。21年9月に菅氏が退陣の意向を表明すると、在任時の所信表明演説などで目指す社会像として「自助・共助・公助」と強調したことについて、自らの病気の体験も踏まえてこう語った。

 「何か困ったときや、苦しいときに公である国が手を差し伸べてくれることが、国が国としてあり、私たちがその国の住人であることの意味じゃないですか。そこを、まず自助、つまり転んだら自分で起きろよと言うんだったら、その国の住人である必要はありません

     (自民党総裁選不出馬について表明する菅義偉首相
      =首相官邸で2021年9月3日、竹内幹撮影拡大)

 「菅さんに一貫していたのは、弱い立場の人への感受性の乏しい『麦踏み』の発想ではないでしょうか。弱い麦は踏んでいるうちに死ぬけれど、強い麦は生き残る。だから麦畑全体の麦の強度はやがて上がるんだと。だけど、それを人間社会に応用したらダメなわけで、だから国民皆保険制度があって、年寄りだって病人だって生きている限りは面倒を見ますよ、という建前で今まで動いてきたわけです。人が生きるってそういうことじゃないですか。でも菅さんは、そういうところに対する感受性が非常に乏しい人なのかなと思ってしまいます」


「『一つになろう』って空気が大嫌い」

 批判を恐れずに、鋭い批評を繰り返した小田嶋さん。「一つになろうって空気が大嫌いなんです」。安倍政権が掲げた「1億総活躍」という言葉も「まるっきり戦前的なキャッチフレーズ」と批判し、こう案じた。「今の日本には個人主義に対する嫌悪感のようなものが徐々に広まっている。元来、周囲の空気から浮き上がることを嫌い、周囲と同じように振る舞うことを内面化している国民です。多様性より秩序の方が心地よいという人が増えているのではないか」

 「音楽に政治を持ち込むな」。16年にこんな批判がネット上でわき起こり、大きな論争になった時にはこう言った。「音楽は純粋なもので、政治はあしきもの、忌まわしいもの、場違いな場所で持ち出してはいけないもの、という空気が背景にあるのではないか。皆が楽しんでいるところで政治的な主張をすると、葬式にアロハシャツで来たヤツみたいな扱いを受けてしまう」

 そして続けた。「自由や平和や憲法や人権など党派色とは無縁と思われていたものが段々と『政治的』『偏っている』と受け止められる時代になっている」「怒りや異議申し立ての歌より『人生賛歌』が好まれる。人とのあつれきを極度に避けようとし、論争や異議申し立て自体が嫌われる風潮も強まっている。しかし過度に『中立性』を求め、論争的な話題を避けることは結局、表現の豊かさや意見の多様性を狭めてしまう


「上から目線で他人の命の価値を測るな」

     (小田嶋隆さん=東京都千代田区で2020年10月6日、
      武市公孝撮影拡大)

 16年のリオデジャネイロ五輪。日本選手団主将でレスリング女子53キロ級の吉田沙保里選手が決勝で惜敗し、「主将として金メダルを取らないといけないところだったのに、ごめんなさい」と泣いて謝罪したことについては、こう指摘した。

 「実績があって、ある程度年齢が高く責任感のありそうな人が主将になるが、本人に要らぬ重圧を与えている印象を受ける。アテネ五輪で主将を務めた井上康生さんも負けるはずのないところで負け、すごく責任を感じていた。4年後の東京五輪では、主将はまったく要らないと思う」

 「安楽死」を希望する難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者に頼まれ、薬物を使って殺害したとして、医師2人が20年に嘱託殺人容疑で逮捕・起訴された事件についても発言。「最近は『生きているだけで価値がある』『弱者に寄り添おう』『人権を守ろう』などの正論が『偽善』とされ、反発を受ける場面が目立って増えている。ポリティカルコレクトネス(政治的公正さ)が広まり、差別的な発言をしにくくなった社会に、人々が閉塞(へいそく)感を覚え、反発しているのかもしれない」

 そのうえで語った。「そもそも、一度や二度、死を考えた経験のある人は少なくないだろう。それでも、自死をしなかった人には『あの時死ななくてよかった』と振り返る機会がありうる。自死を願う人に死を提供することは、その機会を永遠に奪う、取り返しのつかない行為なのだ」「健康な人の物差しで、病と闘う人生を測ってはならない。『寝たきりでかわいそう』『さぞやつらいだろう』と上から目線で勝手に推し量り、他人の命の価値や意味を勝手に判定するのはとても暴力的な行為だ
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コメント
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●武田砂鉄さん《小田嶋隆さん…予言めいたもの…〈日本学術会議から学術を追放すると日本会議になることからも、学術の必要性は明らか〉》

2020年12月14日 00時00分42秒 | Weblog

[※ ↑【夕食会5年間900万円分の領収書破棄か 安倍前首相の政治団体宛てに発行<桜を見る会問題>】(東京新聞 2020年11月26日)]



リテラの対談、前後半【『災間の唄』出版記念 小田嶋隆武田砂鉄対談 前編/小田嶋隆はツイッターで安倍政権とどう向き合ったか? 武田砂鉄が選んだ傑作ツイートで振り返る“政治と言論の劣化”】(https://lite-ra.com/2020/11/post-5704.html)と、
【『災間の唄』出版記念 小田嶋隆武田砂鉄対談 後編/糸井重里と松本人志を小田嶋隆・武田砂鉄が改めて語る「“機嫌の悪い人って嫌だよね”で糸井村のムードに」「松本に笑いが上納されている」】(https://lite-ra.com/2020/11/post-5705.html)。

 《毎日ニュースが駆け巡り、炎上が起こり、侃々諤々の議論が繰り広げられているTwitter。その140文字の世界で、直球・変化球、時に暴投と角度を変えて球を放り込み、日々起こる事象に切り込んでいるコラムニストの小田嶋隆氏。》
 《2011年の東日本大震災にはじまり、今年のコロナ禍にいたるまでを“災間”と位置づけ、稀代のコラムニスト・小田嶋隆氏の10年分のツイートを気鋭のライター・武田砂鉄氏が選り抜き、この時代を読み解いた異色作『災間の唄』が発売された》

   『●小田嶋隆さん《行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、
     安倍晋三氏とその追随者たちは…この8年の間に完膚なきまでに破壊》
   『●アベ様案件…(武田砂鉄さん)《近場から放たれる「病人なんだから」
       という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎでは》?

 武田砂鉄さんは《近場から放たれる「病人なんだから」という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎでは》と? 一方、小田嶋隆さんは《類を見ない「言葉」の空疎さと不誠実さ》と。さらに、以前、小田嶋隆さんは《行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、安倍晋三氏とその追随者たちは…この8年の間に完膚なきまでに破壊》とも。 

   『●アベ様《国会でも「事務所側が補填したという事実はまったくない」
     「後援会としての収入、支出は一切ない」…やはりあれは真っ赤な嘘》
   『●《秘書のミスとして収支報告書の修正、最悪でも秘書が起訴されるだけ。
         告発に対しての検察のポーズで捜査の体裁を取っただけ》!?

 大好きなお二人のコンビによる本が出版されるそうだ。

   『●アベ様案件…(武田砂鉄さん)《近場から放たれる「病人なんだから」
       という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎでは》?
    「【安倍政権が残したもの/類を見ない「言葉」の空疎さと不誠実さ
     小田嶋隆さんが見た7年8カ月】…《コロナ対応などでは適切な判断を
     する自信がないのに、後継者選びに関しては判断ができる、というのは
     矛盾しています。つまり、次にどんな政権ができて、自分をどう断罪する
     のかを見極める余力を残しての辞任だったということです》」

 今回の対談では、《小田嶋さんのツイートには予言めいたものもたくさんあります。たとえば、これとか。日本学術会議から学術を追放すると日本会議になることからも、学術の必要性は明らか。〉》《最後から2番目にあるツイートも予見的でした。〈次からは首相もパソナからの派遣でまかなうことにしたら良いのではないか。〉(2020年8月29日)》《小田嶋 まさか竹中平蔵が表舞台に復活するとは思っていなかったですよねえ。菅さんの油断ならないところは、あいつを引っ張り出してくるってところですよ》。

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https://lite-ra.com/2020/11/post-5704.html

『災間の唄』出版記念 小田嶋隆・武田砂鉄対談 前編
小田嶋隆はツイッターで安倍政権とどう向き合ったか? 武田砂鉄が選んだ傑作ツイートで振り返る“政治と言論の劣化”
2020.11.22 11:00

     (『災間の唄』を発売した小田嶋隆氏と武田砂鉄氏(写真/尾藤能暢))

 毎日ニュースが駆け巡り、炎上が起こり、侃々諤々の議論が繰り広げられているTwitter。その140文字の世界で、直球・変化球、時に暴投と角度を変えて球を放り込み、日々起こる事象に切り込んでいるコラムニストの小田嶋隆氏。「プロの文筆家」たる氏は、「私はこの十年間、寝ても醒めてもツイッターにどんな言葉を書き込んだらウケるのかということばかりを考えてきた」という。
 そんな小田嶋氏の10年分のツイートが、厳選の上、このたび一冊の本にまとめられた。ツイートを選り抜いたのは、文芸誌からファッション誌まで幅広く連載を多数抱え、「80年代雑誌文化のラストランナー」と小田嶋氏が評するライターの武田砂鉄氏だ。
 しかも、本のタイトルは『災間の唄』。2011年の東日本大震災にはじまり、今年のコロナ禍にいたるまでを“災間”と位置づけ、この10年を小田嶋氏のツイートから読み解こうというのである。
 安倍政権の誕生と終わり、東京オリンピックに向かう狂騒、震災からコロナ禍まで強まっていった同調圧力──。本書が浮かび上がらせるのは、この10年の日本の社会・政治は同じ問題を繰り返しつづけ、悪化していっているという事実だ
 今回、巷にあふれる「Twitter本」とは一線を画したまったく新しい時事評論を生み出した小田嶋氏・武田氏のふたりに、この10年とは何だったのか、本書に収められたツイートを振り返りながら語ってもらった。前後編の2回にわたって公開する。


──今回、小田嶋隆さんのツイート10年分を一冊にまとめるという大仕事を任されたわけですが、武田砂鉄さんに白羽の矢が立った経緯というのは何だったんですか?

武田 おそらく「小田嶋さんに作業を任せていたらいつまでも終わらない」と編集者が考えたのでしょう。これまで、小田嶋さんと何度かお話する機会もあったし、自分自身、小田嶋さんのコラムやTwitterを以前から読んできました。そういう第三者が選ぶほうが本になるまでの時間が短くなるだろう、と。

小田嶋 武田さんの元編集者として培われた悪文耐性の賜物でしょうね。応募作の下読みとかをずっとされてきた方ですから。本になったのは全体の2.5%だって言うじゃないですか。400万字を4万字ですよ。完成品の40冊分くらいの量を読み込んで、クズの山からこうやって拾ってくださったというのは、なかなかできることじゃないですよ。

武田 堪能してしまいそうになるところを、編集者の目線でやりました。つまり、残酷な選別作業です。「なんだこれ、こんなのいらねえ、こんなのいらねえ」って(笑)。そうしないと終わらないですから。

──本のタイトルにある「災間」というのは、2011年の東日本大震災から今年の新型コロナという意味合いだと思うんですが、もうひとつ、本を読み通して浮かび上がってくるのは、安倍政権のはじまりから終わりまでという意味合いです。

小田嶋 狙ったわけではまったくないんですよ。ほんとうはもっと早くに出るはずが、私があとがきを全然書かなかっただけです。それで刊行時期が延びたら、その間に安倍さんがやめちゃったという。

武田 結果、「災いの間」という感じがより強調されました。これで終わるかな、と思いきや、また新たな災いが始まった感じがありますけども。


「小田嶋さんの頭の中に浮かんだ言葉遊びに、実際の出来事が追いついちゃった」

──たしかに、小田嶋さんのツイートを10年分、本を通して振り返ると、同じことを繰り返していることに気付かされます。たとえば、このツイートとか。

〈「対案」を出せという言い方は、改革に反対する側に挙証責任があるかのように見せかける議論のすり替えです。政治的な決断によって何かを変える場合、変えようとする側の人間が、メンバーの一人一人を説得しなければなりません。〉(2012年2月22日)

──小田嶋さんのこのツイートは当時、大阪市長だった橋下徹氏が〈批判をするのであれば、対案を示すべきです。職員基本条例、教育基本条例が悪いと言うのであれば、ではどうしたら良いのか?どのコメンテーターも対案は絶対に示しません〉とつぶやいたことに対するものだったわけですが、その後も、安倍政権による安保法制でも同じ主張を自民党だとか維新だとかの政治家、松本人志などの安倍応援団コメンテーターたちが「対案を出せ」と合唱し、事あるごとに繰り返されています。

小田嶋 似たようなことがずっと繰り返されてきたというのは、この10年の印象ですよね。

武田 たとえば、2014年くらいのツイートを写メでもしてTwitterに上げたら、最近のものだと思う人は多いはず。選んでいたときも、とにかく反復しているな、と。あまりにも繰り返されると、読み物として面白くなくなるかな、と思いながらも、実際に起こっていたのが同じことの繰り返しだったので、途中からは意識的に選んでいきました。

──なるほど。でも、同じことを繰り返しながら状態は悪化していっていると感じます。たとえば、「政治的」という言葉について、小田嶋さんは2015年に〈「政治的に色のついていない人」が歓迎される風潮が蔓延し、それゆえに「支持政党無し層」が国民の半数以上を占めている現状は、「何か大きなアクシデントが勃発した時に一夜にして政治的な態度を変える人々」によって国策の将来が握られているということで、これはコワいことなのかもしれない。〉とつぶやいていましたが、2019年のツイートはこうです。

〈この5年ほどの間に「政治的」という言葉は、もっぱら「反政府的」という意味でのみ使用され、解釈され、警戒され、忌避されるようになった。政権に対して親和的な態度は「政治的」とは見なされず、単に「公共的」な振る舞い方として扱われている。なんとも薄気味の悪い時代になったものだ。〉(2019年6月11日)

小田嶋 「芸能人とかスポーツ選手は政治的発言をするな」と言われちゃうようになったという。

武田 つるの剛士さんの発言は「政治的発言」にはならないですもんね。あと、小田嶋さんのツイートには予言めいたものもたくさんあります。たとえば、これとか。

日本学術会議から学術を追放すると日本会議になることからも、学術の必要性は明らか。〉(2017年12月30日)

武田 これツイートしたの、2017年ですからね。こういう小田嶋さんの頭の中に浮かんだ言葉遊びに、実際の出来事が追いついちゃうという。

──小田嶋さんはほかにも、こう言及されていました。

〈自分より教養の高い人と話をすることに喜びを感じるためには、ある程度の教養が必要なのだと思う。〉〈で、思うのだが、人文系の学部をつぶそうとしているのは、教養のある人間と交流することに苦痛を感じるタイプの人たちなんではなかろうか。〉(2015年6月14日)
〈インテリ層をひとくくりにして敵視しようとする時代思潮みたいなものが形成されはじめている。〉(2012年7月2日)

武田 2012年の段階から、こうした流れが生まれていたということですよね。本に収録した、最後から2番目にあるツイートも予見的でした。

〈次からは首相もパソナからの派遣でまかなうことにしたら良いのではないか。〉(2020年8月29日)

小田嶋 まさか竹中平蔵が表舞台に復活するとは思っていなかったですよねえ。菅さんの油断ならないところは、あいつを引っ張り出してくるってところですよ。


■「志らくってバカだよねっていちばん言いたいんだけど、それはツイートしないで紙に書く」

武田 この本の巻末インタビューでもお話しされていましたけど、小田嶋さんは、ひとつのツイートをするのにやたらと時間をかけて、入念に振り絞っていますよね。

小田嶋 いちばん素朴な感想のどうでもいいものは、なんとか書かないように努力しているんですよ。たとえば「志らくってほんとバカだよね」みたいなベタな雑感とか。その工夫のなさが許せないから「毎朝目覚めて俺は自分が志らくじゃないことに安心する」とか、せめてその程度には書きたい。

武田 そのアレンジが、非常に小田嶋さんっぽいですね(笑)。でも、どうでもいいことを言いたい欲はあるわけですよね。テレビ観ていて、勢い任せに言いたくなる、っていう。

小田嶋 「志らくってほんとバカだよね」っていうのはそのとおりだし、いちばん言いたくなるのはそれなんですけどね。だから、俺は絵を描くためにいつも白い紙を置いてあるんですけど、「志らくってバカだよね」っていうのはツイートするのではなくて手書きで紙に書く。

武田 自分のためだけに書く。

小田嶋 うん。それで丸めて捨てる。

武田 今、政治の世界で起きている事象が半ばコメディと化している。なので、コラムの芸として茶化したり、突っ込んだりすることができず、あっちがコメディだから、こっちがついつい真面目に書いてしまう、って難しさがありますよね。

小田嶋 政治がいじる対象ではなく説教をする対象になっている。「違う角度から見るとこうだよね」というのがコラム芸としてのいじりなんだけど、向こうがグダグダだから説教しにいっている。説教をするタイプじゃないんだけど、「それは違うだろ。建前はこうだろ」みたいなことを上から「総合的・俯瞰的」に言わなくちゃいけない。それは本来自分の立ち位置じゃないんですけどね。これは政治の側がひどすぎるんですよ

武田 安倍さんにしろ菅さんにしろ、話していることの土台や背骨ってほとんどない。ぐにゃぐにゃしながら辛うじて立っている、みたいな感じ。むしろ、投じる側が土台を整えてあげる。「えっと、これこれこうだけど、こうですよね?」っていうときの「これこれ」を説明するのに140字では足りない。日本学術会議の105人のリストを菅さんは「見ていない」と言っていたのに、続いて、加藤官房長官に「詳しくは見ていないということです」と切り替えられちゃった場合、こっちからツッコむというのは難しいですよね。

小田嶋 難しい。難しいというか突っ込みどころがありすぎて。本来ツッコむという芸は、相手がストロングスタイルで、こちらはヒールとして足をひっかけにいったりとか変な技をかけられるんだけど、相手がぐにゃぐにゃ横になっている。

武田 本来、スーツをピシッと着こんで立っている人の鼻毛が出ていたらそれを指摘するのが面白かったんだけど、ほとんど全裸で寝そべっているような状況の時にこっちが何を突っ込めるかと言えば、「パンツを穿いてください」ですよね。でもこれって、突っ込みではなく、アドバイスとか説教とか、そういうものですよね。

小田嶋 「きちんとしなさい」としか言えないですからね。本来、建前を言っているはずの政治家が「だってしょうがないじゃん」みたいなことを言っているから、こっちが建前論を言わなくちゃいけなくなる。それがこの時代の不幸なんじゃないかなと。


■「森友と桜が逃げ切ったのは、ツッコミどころがありすぎたから」「まだやってるの?っていう話になる」

武田 説教を面白く読ませる、個性を打ち出しながら説教するって、なかなか大変なことですよね。直近の政治的な事象に反応してツイートしているだけでは、ただ文句言っているだけの人になってしまう。自分のツイートをスクロールしながら振り返っていると、やたらと怒っている人に思えてきて、自分はしないけど、「ずっと怒っている自分に見られたくないな」と、動物の動画を挟んだりしてバランスをとっている人は少なからずいると思うんです。

小田嶋 もふもふ動画を挟む人とか。

武田 「菅さんおかしい!」「菅さんおかしい!」「菅さんおかしい!」「もふもふ動画」「菅さんおかしい!」っていう。でも、「菅さんおかしい!」を4連投するときに、どのようにおかしいかを伝えていけばいいのか、なかなか難しい。

小田嶋 これだけ社会が直接的にとんでもないことが起きていると、技が求められるんですよね。たとえば、安倍さんの相手をするのも難しかったですよね。「アベガー」という言い方、あったでしょう? 

武田 あと「アベノセイダーズ」と。

──リテラがまさにそう言われています(苦笑)。

小田嶋 でも、傍観者から見ているとそう見えるんですよ。「この人、安倍さんに粘着しているストーカーだな」「あ、この人『アベガー』の人だ」っていうふうに思われちゃうのが大きなリスクで。だから安倍さんのことを言うために、しばらく迂回してから戻ってくるくらいのことをしないといけなかった。
 でも、「森友」と「桜」が逃げ切ったのは、ツッコミどころがありすぎたからじゃないかな。あまりにも露骨なツッコミどころが多すぎて、みんな同じところをツッコんでいる状態が3カ月とか続くと「まだやってるの?」っていう話になる

武田 あれは、よく出来た仕組みだなと思うんですよね。問題解決しないで、時間が経過し、「いつまでやってるの?」って言い方を始める。すると、なぜか、未解決のまま、次のステップに移行できるっていう。

小田嶋 「まだ桜って言ってるの? もう秋だよ」っていう。「あー、俺も桜、桜ってもう半年も言っていたのか」と自分で情けなくなっちゃう。そうすると相手の勝ちになる。時間切れで。

武田 日本学術会議も、このままのらりくらりとやりすごし、「コロナ対応を優先しなければいけないのに、まだ野党は学術会議か!」と言われて同じことになるんじゃないかと。小田嶋さんは〈「あまりにもバカすぎて反論する気にならない」ようなご意見にこそ、根気よく反論をぶつけて行かなければならない。でないと、あまりにもバカすぎるご意見はあまりにもバカすぎるがゆえに、ある日気がつくと世間の常識に化けていたりする。〉(2018年6月13日)と書かれていましたが、やっぱり根気よく反論をぶつけていくってことをやっていかないといけないですよね。
(後編に続く)

(構成=編集部)
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https://lite-ra.com/2020/11/post-5705.html

『災間の唄』出版記念 小田嶋隆・武田砂鉄対談 後編
糸井重里と松本人志を小田嶋隆・武田砂鉄が改めて語る「“機嫌の悪い人って嫌だよね”で糸井村のムードに」「松本に笑いが上納されている」
2020.11.23 11:00

     (『災間の唄』(小田嶋隆/武田 砂鉄 サイゾー刊))

 2011年の東日本大震災にはじまり、今年のコロナ禍にいたるまでを“災間”と位置づけ、稀代のコラムニスト・小田嶋隆氏の10年分のツイートを気鋭のライター・武田砂鉄氏が選り抜き、この時代を読み解いた異色作『災間の唄』が発売された。
 その発売を記念しておこなった小田嶋氏✕武田氏の対談前編では、いかにこの10年が同じ問題を繰り返してきたのか、建前さえも語らなくなった政治に対してツッコむことの難しさなどについて語っていただいた。
 そして、今回お届けする後編では、柔らかな言葉で人びとの「怒り」を抑圧しようと機能してきた糸井重里氏の問題や、松本人志をはじめとするいまの「笑い」が孕む権力性、さらには菅義偉首相がスローガンに掲げる「絆」まで、話題は多岐にわたることに。通底するのは、「同調圧力」という問題だ。前編に続いて、後編もお楽しみいただきたい。


──安倍政権下で問題が反復されてきたというのもそうなんですが、もうひとつ『災間の唄』を読んで印象的だったのは、糸井重里氏に対する言及です。小田嶋さんはツイートでも、2011年に出版された自著の『その「正義」が危ない。』というタイトルを後悔されていますよね。

〈2011年11月出版の拙著「その正義があぶない」(日経BP社刊)のタイトルについて、後悔している旨を何度か表明しているのだが、理由は、それがイトイ村の周辺から提案された書名だったからだ。考えの浅かった当時のオレは「それもそうだなあ」と了承しまった。とても後悔している。〉
〈糸井重里氏とその周辺の人々は、震災&原発事故以来、人々が「正義」を語ることや、政治的にふるまうことを時にはあからさまに時にはやんわりと攻撃し続けている。私はその立場にいつも強い違和感を抱いている。正直な話、卑怯な態度だと思っている。ま、オレがそう思っているというだけの話だけど。〉(2020年3月8日)


小田嶋 2011年に原発事故が起こったときに「原発いけないじゃないか」っていう正義の声が湧き上がったわけですよね。そして「自分が正義だと思ったときに人間は残酷になるんだよ」っていうのが反原発のカウンターとして出てきた。それを主導したのが糸井さんだと思っていて。

──糸井氏の、あの有名なツイートですね。〈ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。〉(2011年4月25日)という。

小田嶋 あれに全部乗っかって、福島への風評被害を責めるみたいな空気が生まれた。彼らが原発ムラからの誘導でやっているんだとは思わないし、原発を免罪するために言っていたんだとも思わないけれど、正義の言説をまっすぐに言うことの居心地の悪さをうまく利用されたんですよ。反原発というのを「お前ら正義ぶってねえか?」って言って打ち消す、相対化する動きで「怒ってる人ってダメだよね」って。「みんな許そうよ」というような空気にしていくための言説として、あの言葉はすごく使われました。だから、『その「正義」が危ない。』というタイトルが「アンチ反原発」にうまく利用されるところに着地しちゃったことが、自分のなかで釈然としないわけです。

武田 小田嶋さん、やたらと恨んでいますよね、そのタイトルを。

小田嶋 本自体は悪いものではないんですけどね。

──ただ、小田嶋さんが危惧されたように、「正義を疑う」とか「怒っている人ってダメだよね」という糸井的な価値観が、不満を抑圧することにつながる状況をつくり出したと。たとえば、小田嶋さんのこれらのツイートが現状を言い表していますよね。

〈参考意見として「よりスキャンダラスでないほう」「より脅かしてないほう」「より失礼でないほう」「よりユーモアのあるほう」を選ぶのはかまわない。ただ、「より正義を語らないほう」を無条件に選ぶと、結果として「より現体制維持に好都合な言説」を選ぶことになると思う。〉(2019年4月28日)
〈この30〜40年の間に、日本人が失った(あるいは「表明することを許されなくなった」)感情があるとすれば、それはなによりも「怒り」だ。怒りには大きな副作用があるし、社会の前提を破壊しかねないものでもある。でも、怒りを抑圧した社会は、それはそれで、うすら寒いディストピアだと思う。〉(2020年5月16日)


小田嶋 たとえば、良き人であろうとすることと糸井重里になっちゃうことというのは、表裏一体なんですよ。そこで良き人であろうと思っていることを、「みんな良き人であろうね」って呼びかけをはじめちゃうと糸井への道が生まれる。「みんな我慢しようよ」「みんなニコニコしていようよ」「機嫌の悪い人っていやだよね」ってことになっちゃうと、糸井村のムードになっちゃうんですよね。


■「松本人志は、織田信長が「あっぱれじゃ」と言うと「ほほー」みたいな世界に入っちゃっている」

──糸井氏の「ユーモアが大事だよね」ということともつながりますが、この本のなかで小田嶋さんはユーモアや笑いが持つ暴力性も繰り返し指摘されています。その代表格こそ松本人志ではないかと。

〈笑いは権力に抵抗するための有効な手段だと言われている。もちろんそういう側面もあるのだろう。でも、テレビ経由で流れているお笑いネタの大半は、強い者が弱い者をナブる時に起こるアクシデントを笑うパターン芸で、むしろ権力の作用そのものだったりする。〉(2017年10月17日)

小田嶋 私が若いころに面白かった人といえばだいたい左側の人で、野坂昭如とか青島幸男とか、あるいは橋本治とか。右側の人たちは喚いてばかりいて、いつも興奮していて、およそユーモアのない人たちだったんです。それで私自身は思想的に左だったわけじゃないけど、左側の人たちのほうが柔らかみや余裕なんかがあってかっこいいよねと思っていたわけです。ところが、吉本が笑いの中心になってから、批評的な笑いが一切消えて、後輩をいびってみんなで笑うような、ほもソーシャルのなかの笑いが主流になってしまった。松本人志はそのチャンピオンでしたからね。松本は地頭が良くて、教室の後ろのほうでときどき面白いことを言って混ぜっ返すタイプ。それが力を持ってしまったということが、なんていうのかな、真面目に考えることをバカバカしくしちゃう空気をつくり出したんじゃないのかな。

──2019年にも〈松本人志がヤンキーのヒーローたり得たのは、勉強漬けのインテリの知的武装をワンフレーズのボケで無効化してしまうその地頭の良さにあったわけなんだけど、この20年ほどのていたらくを見ていると、「勉強しない地頭」の劣化サンプルみたいなことになっている。〉とツイートされていましたよね。

小田嶋 松本人志がすごく面白かった時期は、とにかく不思議なアドリブの冴えがあったんですけど、でも、あそこから何も成長していない。

武田 たぶん、いまの小田嶋さんのたとえで言うと、これまで、教室の後ろでやんややんや騒いでいた人たちが、いまはもう、教壇に立っているわけですよね。で、その教壇から生徒に対して何を求めるかといえば、同調です。教壇でやっていること、言っていることの面白さに気付けとか、あるいは、いい感じに揺さぶってみろと迫る。僕はナンシー関さんのコラムが大好きでしたが、ナンシー関さんは生前、松本さんのことを高く評価されていた。それは、業界の仕組みに突っかかっていく一匹狼的なところへの評価だったはず。いま彼を見て一匹狼と思う人はいないでしょう。一匹狼ではなく、群れの長です。

小田嶋 それはビートたけしも同じで、軍団つくっちゃったでしょう? たけしがすごくつまんなくてもみんな笑う。松本周辺に起きている笑いも同じ。いつもパターンが一緒なんですけど、同じことを混ぜっ返すだけなのにすごく笑いをとるんです。ある若手芸人が「これ美味しくないですね」って言ったとすると、「それ『美味しくないですね』か?」って言うだけなんですよ。オウム返しするだけで笑いがとれる。あれはなぜ笑いがとれるかと言えば、その立場にいるからなんですよ。

──教壇に立っているから、と。

小田嶋 中小企業の社長がなんか言うとどっと受けるとか、織田信長が「あっぱれじゃ」と言うと「ほほー」みたいな。その世界に入っちゃっている。お笑いの世界じたいがそういうピラミッド構造のなかで、下の者は「私は笑っていますよ」というサインを出す。あれは権力関係の笑い。笑いが上納されているんですよ。

──視聴者もそこに組み込まれていますよね。

小田嶋 これを笑わないと笑いのセンスがないって言われてしまうことへの同調のなかで笑うという動作が発生している。

武田 EXILEグループの皆さんは、一斉に笑いながら、手を叩いて立ち上がります。全体で同意しているぞ、というのを作る、見せる、というのが大事なんでしょうかね。

小田嶋 彼らはTRIBEって言っていますからね。「部族」「種族」ですよ。


■「10年前は『絆』をからかえなかった」「一周回って今年『自助、共助、公助、そして絆』って言う人が」

──EXILEとかならまだましですけど、維新や安倍政権・菅政権も同じ構造になっています。

小田嶋 TRIBEの構造ですよ。同調圧力という言葉が流行りすぎて最近はあまり使いたくなくなっちゃったんですけど、でも、ある同調のなかで全員が一致してゆくんだっていうのは、2011年の「絆」の問題でもありますよね。2011年の震災から立ち直る段階で「絆」という言葉がクローズアップされて、それがオリンピックにつながっていく。この『災間の唄』という本は、武田さんが「絆」関連のところを少しずつ縫いながらよく拾ってくれたなと思っているんです。

武田 オリンピックの問題は、2010年代にずっと横たわっています。2013年、オリンピック招致運動の際に、「今、ニッポンには、この夢の力が必要だ。」というスローガンが出てきた。あまりに貧相でした。

──「今、ニッポンには、この夢の力が必要だ。」というスローガンについては、繰り返し言及されていますね。

〈「今、ニッポンには、この夢の力が必要だ」だとかいう恥ずかしいスローガンに乗っかって走り回った連中が責任とれよ。オレにはそんな夢はまるで必要なかったし、この先も他人と一緒に夢を見るつもりはまったくない。〉(2015年6月30日)
〈「民族には物語が必要だ」という百田尚樹の発言を見て思い出したのは2012年に「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」が、招致のために打ち出した「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」というスローガンだ。そっくりだよ。なにもかもが。〉(2019年6月2日)

小田嶋 「絆」という言葉が持て囃されたとき、僕はからかえなかったんです。いまでも覚えているけど、フジテレビが「ひとつになろう日本」ってキャッチコピーを女子アナに拳を握るポーズで連呼させていたんですよ。「うわ、すごいことになっちゃったな」と思って。あれをからかおうと原稿を書こうとしたんだけど、これをやっつけちゃうと俺のライター生命にかかわるかなと思ってやめたんです。

武田 当時、それぐらいの緊迫感があったんですね。2011年から約10年かけて、もう「絆」って連呼するのはちょっとね、という感じになってきたのに、今年、「自助、共助、公助、そして絆」って言う人が出てきた。一周回っちゃった。「まさかここで『絆』を使うのか」と多くの人が思ったはずですが、菅さん自身は表情変えずに、どうやら本気で言っている。この無力感、同じところを回っている感じというのは、今回の本を読むとよくわかると思うんです。政治が、とにかくずっとぐるぐる回っているんです。それが実証された本なんじゃないですかね。

小田嶋 「災間」という字もぐるぐる回っている感じがありますよね。はじめはピンとこなかったんだけど、いま思うと結果的に良いタイトルに着地しているなと思います。行ったり来たりしている、そのサイクルのなかに我々はいるという。

武田  そして、再び災いがはじまったと。『災間の唄 〜そして絆〜』というサブタイトルが欲しいですね。

(構成=編集部)
『災間の唄』出版記念 小田嶋隆・武田砂鉄対談 前編はこちら


【プロフィール】

小田嶋隆
1956年、東京都生まれ。一年足らずの食品メーカー営業マンを経てテクニカルライターの草分けとなる。国内では稀有となったコラムニストの一人。著書に『小田嶋隆のコラム道』『上を向いてアルコール』『小田嶋隆のコラムの切り口』(以上、ミシマ社)、『ポエムに万歳! 』(新潮文庫)、『地雷を踏む勇気』(技術評論社)、『ザ、コラム』(晶文社)、『友達リクエストが来ない午後』(太田出版)、『ア・ピース・オブ・警句』『超・反知性主義入門』(以上、日経BP)、『日本語を、取り戻す。』(亜紀書房)など多数。

武田砂鉄
1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て2014年からフリーライターに。2015年、『紋切型社会―言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。そのほかの著書に『芸能人寛容論―テレビの中のわだかまり』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』(晶文社)、『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)など。新聞への寄稿や、週刊誌、文芸誌、ファッション誌など幅広いメディアでの連載を多数執筆するほか、『アシタノカレッジ』(TBSラジオ)金曜パーソナリティを務める。


『災間の唄』小田嶋隆・著/武田砂鉄・撰(サイゾー)
2011年の東日本大震災(福島原発事故)から2020年のコロナ禍までを“災間”とし、この間、誰から求められることもないのに日々魂の叫びともいえる熱い言葉をツイッターにはき続けた日本最強のコラムニスト・小田嶋隆のツイート10年分を、日本最強のフリーライター・武田砂鉄が選びに選び抜いた1冊。横書き・縦スクロールのツイートを縦書きで紙に落とし込み、10年で大きく変わっていった世界と現代の正体を読み解く。
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コメント
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●アベ様案件…(武田砂鉄さん)《近場から放たれる「病人なんだから」という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎでは》?

2020年09月18日 00時00分13秒 | Weblog

[※ 「こんな人たち」 報道特集(2017年7月8日)↑]



cakeshttps://cakes.mu/)のコラム【ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜 武田砂鉄/安倍晋三首相が辞めたからといって】(https://cakes.mu/posts/31497)。

 《むしろ、国政における最終的な決定権は国民にあるとする「国民主権」なのだから、代わりに政治を行なっている人・行なってきた人の仕事は常に問われる必要がある。難病を患っていると聞けば、当然、快復に向かうことを祈る。それと、やってきたことを厳しく問うのは、当然両立する。近場から放たれる「病人なんだから」という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎではないか。》

 全てのアベ様案件、《その責任をとってから、辞めてほしい》(前川喜平さん)ものだ。《病気》であるかどうかとは関係なく、それが、アベ様案件の責任を《除外》する言い訳にはならない。当たり前のこと。そして、2020年9月16日、元・最低の官房長官が首相となりました。大惨事アベ様政権です

   『●【金子勝の「天下の逆襲」/野党は「消費減税で戦う」ではなく
      ニューディール議論を】…最悪な税制なんかを導入したが故に…
   『●さようならアベ総理、そして、こんにちはアベ様…数々のアベ様案件
       について真相を解明し、真の「責任」を果たしていただきましょう
    「2020年8月28日(金)午後、漸くこの日を迎えました
     アベ様が首相辞任を表明しました

   『●斎藤貴男さん【二極化・格差社会の真相】《法令を順守しなければ
     ならないのは、誰よりも貴君ら自身、警察権力なのだと自覚したまえ》
   『●前川喜平さん《数々の政策の失敗…行政の私物化について、納得できる
       説明をし、ちゃんと謝罪し、その責任をとってから、辞めてほしい》
   『●《官邸職員による“腕つかみ質問阻止”》事件…南彰さん《ついに
     質問妨害が、実力行使に発展…安倍晋三首相の記者会見での出来事だ》
   『●浜矩子さん《日本をこの狂った道から正しい道に戻さなくては
     ならない。安倍政権はそれほど激しい歪みを日本経済に遺したのです》
   『●アベ様や財務相は、赤木さんが《残したファイルとか、いま黒塗りに
     なっている夫がうつ病になった経緯であるとか、出すのは簡単なことだ》
   『●《権力をほしいままにし、国家を私物化してきた安倍首相も官邸を
      出てしまえば“ただの人”…司直の手に落ちることになるのか》?
    《「密室談合」による菅官房長官の次期総理就任を許していいのか!
     GoTo、沖縄いじめ、公文書改ざん、メディア圧力の最大の戦犯 
     …まさに、菅官房長官が陰に陽に繰り広げてきたメディア工作により
     忖度が広がり、スキャンダルや疑惑が持ち上がっても批判的な報道が
     徹底してなされず、安倍政権は約8年もの長期政権となったわけだが、
     当然、菅官房長官が次期総理となれば、メディア圧力はさらに激しさを
     増し、安倍政権以上に批判が封じ込められることは必至だ

   『●アベ様広報紙・産経《むしろ記者たちの質問する権利を奪おうとする、
        目を疑うような記事が出た》…《メディアコントロール》の成果
   『●《「安倍総裁をしっかりと継承する」「安倍政権が進めてきた改革の
     歩みをけっして止めるわけにはなりません」》…より陰湿・悪質・強権
   『●《「安倍総裁をしっかりと継承する」「安倍政権が進めてきた改革の
     歩みをけっして止めるわけにはなりません」》…より陰湿・悪質・強権
   『●《悪夢…民主党》総裁選では「全国で遊説することなく、国民に広く
      考えを示さず、政策論争を深めなかった」と当て擦っておきながら…

 毎日新聞の【安倍政権が残したもの】シリーズの冒頭の一部を以下に抜粋。タイトルからもこの7年8カ月の《悪夢》ならぬ「地獄」が浮き彫りに。
 【安倍政権が残したもの/類を見ない「言葉」の空疎さと不誠実さ 小田嶋隆さんが見た7年8カ月】(https://mainichi.jp/articles/20200901/k00/00m/010/214000c)、《コロナ対応などでは適切な判断をする自信がないのに、後継者選びに関しては判断ができる、というのは矛盾しています。つまり、次にどんな政権ができて、自分をどう断罪するのかを見極める余力を残しての辞任だったということです》。
 【安倍政権が残したもの/忖度競争を招いたゆがんた倫理観 古賀茂明氏に聞く官僚支配の弊害】(https://mainichi.jp/articles/20200901/k00/00m/010/271000c)、《安倍政権の特徴の一つが、人事を武器にした強力な官僚支配だ。政権の方針に従わない官僚は冷遇される一方、重用される官僚は官邸官僚と呼ばれ、大きな力を持った。その結果、学校法人「森友学園」問題を巡る財務省幹部の国会偽証や文書改ざんに象徴される「忖度(そんたく)」がはびこった。国の屋台骨を支えるはずのエリート官僚集団が骨抜きにされた弊害について、元経済産業省官僚の古賀茂明氏に聞いた》。
 【安倍政権が残したもの/「女性活躍」保守ならではの成果と限界 治部れんげさんの評価】(https://mainichi.jp/articles/20200902/k00/00m/010/157000c)、《安倍晋三政権の目玉政策の一つが「女性活躍」だった。2014年、安倍首相は所信表明演説で「女性が輝く社会」を掲げ、翌年には女性活躍推進法が成立した。一方で、各国の男女格差を測るジェンダーギャップ指数では日本の順位は下がり続け、その家族観やジェンダー観を批判されることも多かった。女性の就業やジェンダーを巡る問題に詳しいジャーナリストの治部れんげさんに、評価を聞いた》
 【安倍政権が残したもの タカでなく「平々凡々なお坊ちゃま」 青木理氏が指摘する、深刻な負の遺産】(https://mainichi.jp/articles/20200905/k00/00m/010/133000c)、《安倍晋三首相は、戦争の放棄を定めた憲法9条を軸に憲法改正を最大の課題に掲げ、タカ派的な姿勢をとり続けてきた。そのような政治的姿勢はどのように形成され、日本社会にどのような影響を与えたのだろうか。政権をウオッチし、安倍首相を祖父、父の代からたどった評伝「安倍三代」の著者でもある、ジャーナリストの青木理さん(53)に聞いた》。
 【安倍政権が残したもの/「公私を区別すること」 子どもたちには学んでほしい 前川喜平氏】(https://mainichi.jp/articles/20200904/k00/00m/010/013000c)、《安倍晋三首相が熱心に取り組んだテーマの一つが「教育」だ。政府に「教育再生実行会議」を設置し、さまざまな教育政策を実行してきた。安倍首相の狙いは何だったのか。文部科学省の幹部として安倍政権の教育政策に深く関わる一方、退任後は加計学園獣医学部新設問題で「総理のご意向文書の存在を認め行政がゆがめられたと語るなど、政権を厳しく批判してきた元文科省事務次官の前川喜平さん(65)に聞いた》。
 【安倍政権が残したもの/官邸主導の密室談合政治 「居抜き内閣」ならばより強権に? 森功氏】(https://mainichi.jp/articles/20200905/k00/00m/010/295000c)、《第2次安倍政権の7年8カ月余、「官邸が」「官邸によると」という枕ことばがついたニュースを幾度となく目にしてきた。まさに「官邸主導政権」だったのは、誰もが認めるところだろう。次期首相として菅義偉官房長官が本命視されているが、そうなると官邸主導も継続されるのだろうか。「官邸官僚」や「総理の影 菅義偉の正体」などの著書があり、官邸取材を長年続けてきたノンフィクションライターの森功さん(59)に、官邸主導政治の功罪と今後の見通しを聞いた》。
 【安倍政権が残したもの/弱者は切り捨て、戦中の隠蔽体質 「泥船」7年8カ月 作家・中島京子さん】(https://mainichi.jp/articles/20200906/k00/00m/010/045000c)、《特定秘密保護法安全保障関連法森友文書改ざん……。戦前・戦中の庶民の暮らしを描いた「小さいおうち」で知られる直木賞作家、中島京子さん(56)は、第2次安倍政権下で多くの問題が指摘されながらも強行採決された法案や数々の不祥事に対し、国会前のデモに参加して抗議の声を上げてきた。中島さんが泥船と表現した長期政権が醸し出した時代の空気とは――。》

 最低の官房長官無《責任政党》総裁、そして次期首相となれば、上記のような数々のアベ様案件の解決は大きく遠のき、これら官僚支配政治の私物化、《メディアコントロール》などはより一層陰湿さ、悪質さ、強権の度合いを増すことになる。

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https://cakes.mu/posts/31497

ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜
武田砂鉄

安倍晋三首相が辞めたからといって
2020年9月2日

安倍晋三首相が健康問題を理由に突然辞任を発表しました。安倍の病気を揶揄するような発言や、病気でさえ本人の責任とする発言をする人たちに批判が起きています。ただ、それとは別に「病気なんだから」と批判を緩めることは正しいのでしょうか武田砂鉄さんが考えます。


「病人なんだから」は病人に対して失礼では

 病人なんだから厳しい言葉を向けてはいけない、という姿勢は、これほど病人に対して失礼なこともない。病状に対する揶揄はしてはならないが、当人に対する評定まで慎み、万事を無効化するのは病と戦いながら生きている人の生活ってものを雑に処理している。様々な局面で、いかにして治療を続けながら仕事・暮らしを維持できるかが模索されているし、今回ならば、安倍晋三首相は会見で「(辞任後は)一議員として支えてまいりたい」と述べている。議員としての仕事を続けるのだ仕事を続けるのならばこれまでの仕事が問われなければいけない。実際の体調を外野から知ることはできないが、本人が議員としての活動を継続する意向を示している以上、彼がこの8年近く何をやってきたのか、引き続き厳しく査定されるのは当然のことである。


「明日からダイエットをやろうと思っています」政治

 安倍に向かう手厳しい声に対して、「『お疲れ様』くらい言えないものなのか」(橋下徹)や「選挙に出て総理になってから言ってもらいたい」(金子恵美)などと、特別な立場にいる人が満身創痍で働き終えたのだから、まずは感謝だろうと述べる声がやたらと目立つ。だが、この国の政治制度は、国民が首相を敬う制度ではなく、むしろ、国政における最終的な決定権は国民にあるとする「国民主権」なのだから、代わりに政治を行なっている人・行なってきた人の仕事は常に問われる必要がある。難病を患っていると聞けば、当然、快復に向かうことを祈る。それと、やってきたことを厳しく問うのは、当然両立する。近場から放たれる「病人なんだから」という、勝手に設けられた除外規定を素直に受け止め過ぎではないか。

 会見の冒頭挨拶で安倍は、「政治においては、最も重要なことは結果を出すことである」と述べた。これまでも繰り返し述べてきたお得意のフレーズだ。そう述べた後で、実現できたことと実現できなかったことを並べた。実現できなかったことについて、拉致問題の解決、ロシアとの平和条約の締結、憲法改正を並べた上で、「痛恨の極み」「断腸の思い」とした。あたかももう少しで達成できたかのような印象を与える言葉遣いだったが、具体的に動いた形跡はない。ただただ、「いや、ほんと、すぐにでもやろうと思っています」と言い続けてきた事案だ。「明日からダイエットをやろうと思っています」と言い続けることはダイエットではない。


手厳しく問われるべき案件から逃げ続けた

 一方で、実現したことについて、冒頭挨拶では具体的に語らなかった。「様々な課題にチャレンジしてまいりました。残された課題も残念ながら多々ありますが、同時に、様々な課題に挑戦する中で、達成できたこと、実現できたこともあります」とした上で、「国政選挙の度に力強い信任を与えてくださった、背中を押していただいた国民の皆様」に感謝をした。要約すると、「色々頑張ってきました。応援してくれた皆さんに感謝」である。安倍政権の手法は縁故主義と言われてきた。森友学園加計学園桜を見る会などの放置された諸問題を思い起こせば、仲良くしてくれる人をとことん優遇しまくった実態が浮き上がってくる。

 国民に選ばれなければ就けない職業だが、かといって、選んでくれた国民に対してのみ、仕事をするのは許されない職業のはずである。2018年、都議選の応援演説に立った安倍は、自分に「やめろ!」とコールする人たちを指差し「こんな人たちに負けるわけにいかない!」と叫んだ。今回の、「応援してくれた皆さんに感謝」という主旨の挨拶はあの日の叫びと見事に対応している。このところ、安倍政権は、臨時国会の召集から逃げ続けていた。開けば、いくつも手厳しく問われるべき案件を抱えていたからだ。持続化給付金事業中抜きの実態、GoToキャンペーンの是非、アベノマスクをはじめとした新型コロナ対応の検証、死亡した財務省職員が求めている森友学園問題の再調査辺野古基地問題桜を見る会イージス・アショア河井克行案里夫妻逮捕、東京五輪開催の可否など、枚挙にいとまがない目の前に重い宿題ばかりが積もっていたそれを放り出した事実は、(繰り返すが)病人なんだから、とは別のところで問われなければいけない


「レシートはない!」と主張する万引き犯

 記者から、「政権を私物化したとの批判が相次いだが」と問われ、安倍は「政権の私物化は、あってはならないことでありますし、私は、政権を私物化したというつもりは全くありませんし、私物化もしておりません」と、おんなじようなことを3回も繰り返しながら否定した。この数年、メディアや野党が安倍政権に対して主に何を問い続けてきたかといえば、この私物化についてだ。安倍政権の振る舞いを気合いで肯定する人たちは「そんな追求、全部ウソっぱちだ、やっかみだ」と跳ね返したが、安倍は「私物化との指摘、全て打ち返すことができます」と立証するのではなく、「私物化していないとした

 以前、あるラジオ番組で話した内容を、改めて原稿として繰り返す。あなたがスーパーを出たところで警備員に声をかけられ、万引きを疑われたとする。何をするかといえば、急いで財布を開き、レシートを探すだろう。もし、その時、レシートがなかったら慌てふためくはず。そのままでは万引きを認めたことになってしまうので、レジへ行き、さっきレジ打ちを担当してくれた人に「さっき、ここで買いましたよね?」と聞いてみる

 「いやー、すみません、お客さんの顔をいちいち覚えていないもので」と言われたら、レジにデータは残っていますよね、と聞く。「それは、ここではなく事務所に行ってもらわないと」と言われれば、事務所で証明してもらう。そうしないと、罪人になってしまうからだ。自分が無罪ならば、あらゆる手を尽くす。では、私物化が疑われる案件で、安倍政権の対応はどうだったろう。いつの段階からか、自分たちが疑われているのに、それを立証するものがないことを強気で語るようになった。万引きのたとえを引っ張ると、万引きを疑われている人が、「もうレシートはないんです!」と強気で訴えていることになる。「えっ、じゃあ、万引きしてるってこと?」という話になる。


逃げる後ろ姿を引き続き追わなければ

 あまりにも多くのことを見逃してきたあちらがなんとか忘却させようとする試みを、甘んじて受け入れてきた。もう一回繰り返すが、病人に対して、あれこれ厳しく追及してはいけない、という雰囲気の高まりは、病人の営みを軽視している。安倍は会見の中で、批判については「甘んじて受けなければならない」と言っている。これからも議員を続ける、と言っているのだから、当然のことである

 政権の私物化による問題が生じると、のらりくらりと逃げ回り、さすがにこれはもう弁解は難しいだろうという事実が明らかになっても、そんなつもりはなかったととぼけ、そのうちに、同じような別件が浮上した真っ黒な疑惑を、新しい真っ黒な疑惑によって乗り越えるという異様なスタイルそれらが解決せずに放置されている引き続き問わなければいけない逃げ回っている人に「お疲れ様」を言うのは奇妙だ。あくまでもたとえ話だが、収監されていないのに、逃亡中の犯人に釈放を言い渡すようなものである逃げる後ろ姿を引き続き追わなければならないと思う。

(イラスト:ハセガワシオリ)
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