とある市民講座にて、ごく僅かではあるが、たまたま下筌ダムの話題が。質疑の時間にJFEのOBの方だったでしょうか、「本日は水力発電の話だったが、室原知幸さんの言う「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなうものであれ」という言葉の「理にかない」ということについて、講師はのはどういう風に思われるか?」といった少々きつい質問であった。
予想外に、まさか室原さんのお名前が出るとは思わなかった。ましてや、この「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなうものであれ」という言葉も。聴講されていた、特に若い方たちは、質問の意味や、室原さんのお名前、下筌ダムや蜂の巣城とこの言葉の関係を理解することが難しかったかもしれない。
といっても、私も松下竜一さんの『砦に拠る』の中での室原さんのイメージしか持っていないのだけれども。
市民講座のこの講演で若干気になったこと。「小出裕章さんが仰っている火力と水力発電でピーク電力が賄えると云うのは誤解であり、なぜなら火力と水力発電の稼働率が100%ではなく、70%程度であるためだ」、とのご発言があった。でもこれこそ誤解じゃないだろうか。ピーク電力が発生するのは夏場のごく数日の話であり、そのピークに合わせるために原子力発電所を稼働しなければならないという論理こそ「理にかなっていない」と私は思う。自家発電や節電で、事実、この夏は余裕で「足りとるやん!」状態だったことを考えれば、小出さんの仰っていることこそ「理にかなって」いると私は思うが、どうだろう。
準公共事業である発電・電力供給は、いま、「理にかなって」行われているだろうか? 福島第一原発人災が起こった途端に、(大人と子供の区別なく、という大問題も含めて)年間20ミリシーベルトという20倍に法を犯して我慢値(年間1ミリシーベルトという我慢値にも問題があるという説もある)を急増させたわけで、とても「法にかなって」はいない。さて、「情にはかなって」いるだろうか?