Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●本物を見分ける目

2011年03月24日 04時52分37秒 | Weblog


二つ紹介します。自戒を込めて、本物の言説を見分ける目を持ちたいものです。今だからこそ。そして、手遅れでなければ、未来のために。

 一つ目は、一昨日に続き、NPJ(News for the People in Japan、http://www.news-pj.net/index.html)に出ていました弁護士の方の二つの抗議文http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110321.htmlhttp://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110322.html)をコピペさせていただきます。

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http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110321.html

社会不安を奇貨とした妄言を許すな
                     弁護士 澤藤統一郎 (2011年3月21日)

  大災害は社会不安をもたらす。多くの人々の不安の心理に付け込んで、妄言を吐く輩が跋扈する。牽強付会(けんきょうふかい)に災害の原因を解釈して見せ、都合の良いように人心を誘導しようとする。混乱のさなかには、時に大きな影響をもたらす危険ある言説として警戒を要する。石原慎太郎の「天罰発言」 もその例に洩れない。

  彼によれば、震災・津波の原因は、「我欲」 と 「ポピュリズム」 にある。つまりは、国民が我欲にとらわれ、政治がポピュリズムに陥っているから、天が罰を下して、震災と津波の被害をもたらした。したがって、「津波をうまく利用して、我欲を一回洗い落とす必要がある。日本人の心のあかをね」ということになる。彼の人心誘導の方向は、「我欲を洗い流す」 ことにある。

  彼のいう 「我欲」 の内実は必ずしも明確ではないが、「我」 の 「欲」 とは、「全体の利益」 「社会の調和」 「国家の繁栄」 などと対峙する個人の権利主張と理解するほかはない。「我欲を洗い落とす必要がある」とは、全体の利益ために個の抑制を求めるもの。何のことはない、滅私奉公・尽忠報国の焼き直しイデオロギーでしかない。ささやかな庶民の願いを 「非国民の我欲」 呼ばわりして圧殺した、ほんの少しの昔を思い起こさねばならない。

  もっとも、「ささやかな」 と限定することのない我欲を正当と認める立場が、経済制度としての資本主義であり、政治思想としての個人主義ないし自由主義である。国家は個人の我欲を抑圧する必要悪と位置づけられる。現行の制度は、我欲の衝突を調整する仕組みをそなえつつ、我欲を基本的に肯定している。

  これに反して、個人の我欲を否定し、国家・社会・民族の利益を第一義とする立場が全体主義である。石原を 「弱者に冷たい新自由主義者」 とするのは、実は褒めすぎ。「全体のために個人を否定する全体主義者」と評し直さなければならない。

  恐るべきは、石原の全体主義的言動に喝采を送る一定層が存在することである。その支持のうえに、3期12年もの都政のあかがたまった。これを一気に押し流す必要がある。「天罰発言」を石原ポピュリズム清算の天恵としよう



http://www.news-pj.net/comment/2011/sawafuji-20110322.html

都民は被災地の声に耳を傾けよう
                     弁護士 澤藤統一郎 (2011年3月22日)

  本日の毎日新聞 「記者の目」 の欄。釜石を故郷とする、社会部記者が地元に入って、災害の惨状を生々しく報告している。
  その中に、次の1節がある。

  「浜町の高台にある児童公園の物置小屋で、地元の消防団員らと夜を越す。ろうそくを囲み、気付けに回す日本酒に思いが噴き出す。『石原慎太郎(都知事)のばかたれが。何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)』。
  傍らから声が続く。『こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ』」

  激しく厳しい叱正と、冷静な人間評。いずれも何という痛烈な石原批判であろうか。石原は、「馬鹿たれ」 「おだつな」 と怒りをぶつけられているだけではない。人間性や生き方そのものを、根底から見すかされ否定され軽蔑されているのだ。

  この声は、一児童公園の物置にたまたま集まった人の声ではない。三陸全体の、いや東北関東被災地全土の声である。今は声を出すこともかなわない2万余の犠牲者の声であり、30万避難者の声でもある。日本全国の心ある人々の真っ当な声でもあろう。

  今、東京都民の民度が問われている都民は、このような恥さらしの人物を、またまた首長に選出するのであろうか

  政治家は、聖人君子である必要はない。しかし、庶民の悩みや苦しみを理解する能力のない者は、政治家失格である。苦悩する被災者に、「天罰」 と悪罵を投げつける石原を知事に選出するようなことがあれば、こんどは都民が日本中に恥を晒すことになる

  首都の首長選びには、全国の目がそそがれている。とりわけ、被災地から見つめられ姿勢を問われていることを忘れてはならない。投票行動によって都民の「人間性や生き方が問わている」 のだ
  石原が 「馬鹿たれ」 「おだつな」 と酷評を受けることは当然としても、都民が石原同様の批判を受けるようなことがあってはならない

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 もう一つは、THE JOURNALhttp://www.the-journal.jp/)に出ていました金平茂紀さんの記事http://www.the-journal.jp/contents/kanehira2010/2011/03/post_3.html)の一部をコピペさせていただきます。元文には現地のルポなどもあります。

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http://www.the-journal.jp/contents/kanehira2010/2011/03/post_3.html

私たちは大震災と原発惨事のさなかで何を考えるべきなのか? 

 人間の歴史には「切断点」がある。その出来事の前と後とでは、まるで風景が違って見え、価値観が変容し、情況が一変するような「切断点」がある。いま私たちはそのような「切断点」のただなかにいる。そのような「切断点」はかつてヒロシマの8月6日にあったかもしれない。あるいは1945年の8月15日にあったかもしれない。僕にはいま論理立てて今回の出来事を整序するだけの余裕がない。だから以下の文章は論理に裏打ちされたものではなく、目の前で進行している事象の素描を記すに過ぎない。だが何を記すかによって見えてくる風景はおのずと異なるだろう。

 ・・・・・・。

 福島第一原発の事故はこれまで世界で起きた原発事故のなかでも最悪級に近い様相を呈している。原子力工学とか原子炉設計とか、「原発に詳しい」専門家、学者たちが僕らのテレビ局のスタジオにやってきた。出演交渉したのは僕らの仲間だ。ある人は饒舌でまるでニュースキャスターのようだった。その後、危機が深刻化し、発電所近辺で放射線量が基準を超えるような事態になったあとも、それらの人々は「ただちに健康に害を及ぼすような量ではない」「全く健康には問題がない」などと繰り返していた。彼らにも家族がいるのだろうに。
 インターネット系のメディアは「御用学者」とストレートな表現で彼らを非難した。「御用学者」「御用マスコミ」をつくりだしたのは僕ら自身だ。原発の安全性については長く異議申し立てが行われていた事実が厳然としてある。故・高木仁三郎の残した言葉に耳を傾けてみよう。何人かのメディア学者や小説家がパニックに陥り、関西地方に家族ともども避難した。マスコミは電力会社と結託して真実を隠している、と彼らは発信している。原子力委員会や原子力安全委員会の人々はなぜか固い沈黙を守っている。有名シンガーたちがコンサートをキャンセルし、同じく関西地方に長期滞在するためのホテルを押さえたという醜悪な話が飛び交う。16日からの来日公演ステージをやりとげたシンディ・ローパーの方がよほど偉い。
 この事態に誰が何を言い、どのような行動をとるか、僕らはしっかりと見よう。誰が本物で誰が偽物かを凝視しよう。
 岩手県石巻市出身の作家・辺見庸は大震災のおそらく数週間前に『朝日ジャーナル』増刊2号に寄稿した文章「標なき終わりへの未来論」のなかで、こんなことを記していた。

すさまじい大地震がくるだろう。それをビジネスチャンスとねらっている者らはすでにいる。富める者たちはたくさん生きのこり、貧しい者たちはたくさん死ぬであろう。階級矛盾はどんどん拡大するのに、階級闘争は爆発的力をもたないだろう。性愛はますます衰頽するだろう。テクノロジーはまだまだ発展し、言語と思想はどんどん幼稚になっていくであろう。ひじょうに大きな原発事故があるだろう。労働組合はけんめいに労働者をうらぎりつづけるだろう。多くの新聞社、テレビ局が倒産するだろう。生き残ったテレビ局はそれでもバカ番組をつくりつづけるだろう。
                              (辺見、上記文章より)

 辺見は予言していたのだ。
 日本が大打撃を受けたことを見越して投機マネーがハイエナのような動きをみせて、円はあっさり戦後最高値を更新した。資本の論理とはそのようなものだ。日本の地震被害に哀悼の意を表したその同じ頭と手で、米・英・仏はリビアを空爆し(彼らは何にでも作戦名をつけるのを好む。「オデッセイの夜明け作戦」という傲慢で自己陶酔的な作戦名がつけられたそうだ。)、内戦状態にある国の一方に肩入れし、政体をひっくリ返そうとしているそれが民主主義なのだという日本の民主党政権はただちにその空爆を支持した。それを伝えるNHKの解説委員が「時間との戦いです」などと空爆全面支持をテレビでさらけ出していた。ちなみに、アメリカ政府の日本震災支援特別チームの調整役は、あの「沖縄はゆすりの名人」発言で更迭されたはずのケビン・メア国務省元日本部長がつとめており、その作戦名は「トモダチ作戦」だとか。これが僕らが直面している同盟国アメリカの支援のひとつの現実だ。
 もう一度記しておこう。この事態に誰が何を言い、どのような行動をとるか、僕らはしっかりと見よう。誰が本物で誰が偽物かを凝視しよう。
                      (大震災発生から10日目に記す。)

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