Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

アカガミ

2019-02-18 09:02:02 | 読書
窪美澄,「アカガミ」河出文庫 (2018/10).

Amazon の商品説明 内容(「BOOK」データベースより)*****
渋谷で出会った謎の女性に勧められ、ミツキは国が設立したお見合いシステム「アカガミ」に志願した。異性と話すことすらままならない彼女にとって、国の教えはすべてが異様なもの。パートナーに選ばれたサツキとの暮らしを通じて、次第に恋愛や性を知り、「新しい家族」を得たのだが…。手厚いサポートに隠された「アカガミ」の真の姿とは?生きることの選択と生命の躍動に触れる衝撃作! *****

設定は2030年.若者は結婚はおろか恋愛もしなくなり,自殺が急増.これは日本だけの現象らしいが,あまりはっきりしない.
文中にはもっぱら「番い (つがい)」と,「まぐわい」ということぱが用いられる.

ヒロイン・ミツキも自殺未遂経験者.国のお見合いシステムで出会ったパートナー・サツキとの生活はハッピー.しかし 若い読者は知らないだろうが,僕は「アカガミ」の意味を知っている,このカップルが国の言うことを聞いたために悲惨な結末をむかえることを予期したが,余韻のある終わり方だった.

かっては身体検査に合格しないと,兵役免除となった.
最後の文章は「なぜだかこみあげてくる笑いを僕 (=サツキ) は必死で押しとどめていた」.そりゃそうだ,国費で妻子を斡旋されたうえに免除となったのだから... しかしミツキがそう捉えるかどうかはわからない.いずれにせよ確かなのは,これからがいばらの道であること.

「ふがいない僕は空を見た」よりも良い.

カバーデザインも良い.
☆☆☆☆
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「戦争の結末」という絵など

2019-02-17 08:47:30 | お絵かき
2/14 広大マスターズ友の会 交流サロン 「トルコ・ロシア・グルジア 美術紀行」で,講師の難波平人氏が紹介された絵が,パワポでも迫力十分だった.ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン (1842-1904),1871 年の作,「戦争の結末」モスクワ・トレチャコフ美術館蔵.ぜひ実物にお目にかかりたいものだ.

この画家は親日家であったが,日露戦争で取材すなわちスケッチのために,たまたま乗っていた戦艦が日本の魚雷に触れ沈没して亡くなった.Wikipedia によれば幸徳秋水や中里介山が追悼文を残しているそうだ.


ニコ・ピロスマニはジョージア (グルジア) を訪れたフランス人女優マルガリータの泊まったホテルの前の広場をバラで埋め尽くし,それが加藤登紀子の「百万本のバラ」という歌になったというお話も.下はビロスマニ (1862-1918)と,彼が描いた「女優マルガリータ」(1909 グルジア国立美術館).ビロスマニは素朴派だ.彼の絵はマルガリータにアピールしただろうか.



洋画といっても,西ヨーロッパのものしか知らなかったな...

なお,「百万本のバラ」の原曲はラトビアの歌謡曲で,歌詞はビロスマニともマルガリータとも無関係だったそうだ.
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とんど神輿

2019-02-16 08:51:48 | エトセト等
わが団地に隣接する集落の道端に出現したオブジェ.

ついこの間終わった,とんどを連想させる部分があるが,神輿のように担ぐための棒もある...というわけで「とんど 神輿」でググって見つけた記事が,伝統文化を受け継ぐ~尾道の山波 (さんば) とんど. とんど宮(神輿)を担ぎ、笛や太鼓を鳴らしながら練り歩く行事だそうだ.



当地の とんど宮は予算・労力の制限のためか小型で,残念ながら団地までは練り歩いてはくれなかったらしい.
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尊厳死協会の公益法人化

2019-02-15 08:30:25 | エトセト等
2/13 朝日新聞社説だが,この見出しでは何のことかわからない.

一般財団法人・尊厳死協会は,末期を迎えた時,無理な延命治療を拒否する旨の宣言書(リビングウィル)を会員に発行するとともに,こうした尊厳死の調査・普及に取り組んできた.この日本尊厳死協会が公益認定申請を退けられたのを不服として起こした裁判で,東京地裁は先月 国の処分を取り消した,国は控訴した.

公益法人とは,文字通り公益を目的とする事業を行う法人である.しかし肝心の公益性の認定が省庁の裁量任せになり,法人との癒着を招いていたとの批判を踏まえ,10 年あまり前に有識者でつくる「公益認定等委員会」が客観的な基準に従って判断する仕組みに「改革」されたはずであった

社説の論旨は,尊厳死協会を公益法人に認めないとする国の言い分は「ためにする議論」というほかない.国は改革の趣旨を思い起こし,控訴を取り下げるべきだである.認定業務への信頼の揺らぎは,制度そのものの揺らぎを招く...ということ.

この社説には「ためにする」とか,認定委が政治に配慮したのではないか,とかいう文章があるが,具体性に欠け何のことかわからない.
(公益法人認定なんか飛び越して) さっさと尊厳死を認めろ,というのが大半の老人の立場である.しかし,いま権力を握っている青二才の政治家たちにとっては尊厳死には不都合があり,認定委はそれを忖度している...ということなんだろう.

国は控訴を取り下げろ !!
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ホーミー,ひとりデュエットのメカニズム

2019-02-14 09:26:42 | 新音律


冒頭の動画は,ホーミー 読経で引用した英語版 Wikipedia "Overtone singing" にあるオーディオファイル,上から四つ目の Sygyt in tuva のソノグラムである.ソノグラムはスペクトルの時間変化を表すものだが,2本のスペクトル線が顕著で,まさにひとりデュエット.通奏低音の周波数は一定だが,それに次ぐ高音の周波数は階段を上下し,見たところはバロック音楽みたい.

このメカニズムを Keys to Overtone Singing にあるスライドに基づいて自分なりに考えてみた (このスライドにはナレーションがないので,間違った解釈かもしれない).

人声のスペクトルは複数の山を持ち,周波数の低い順に,第一フォルマント,第二フォルマント…と呼び,F1, F2と表記する.



日本人の母音 a i u e o の発声の F1, F2 を平面にプロットすると,下の図のように分布する.女声は男声より周波数が高く,また個人差があるが各母音はそれぞれ黒い太線で囲んだあたりに分布するとにかく,F1/ F2 の周波数比は母音により異なるのがミソである.



どの母音を発声するかは,口の構え・舌の位置などで決まる.自分で発生してみればわかることだが,図示すれば下のようになる (a href="http://urawaza.sogawakun.net/?eid=10">http://urawaza.sogawakun.net/?eid=10による).冒頭の動画でも,低音は o,高音は i の発音に聞こえる.



したがってホーミー をマスターしていれば,F1 を一定周波数に保って,すなわち低音部の音高を一定にして,口の構え・舌の位置を変えれば,高音部だけを変化させることができる,すなわち高音部でメロディを奏でることができる...という仮設である.

この方法では歌詞は歌えず,スキャットしかできない.先日の読経では高音部がメロディを歌うという感じはなかったが,お経という「歌詞」が決まっている以上,あまり自由度はないということだろう.
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カササギ殺人事件

2019-02-13 11:58:48 | 読書
アンソニー・ホロヴィッツ, 山田 蘭 訳,創元推理文庫 (2018/9/28).

上下2巻.
毎年時期になると,だいたい過去1年に刊行されたミステリの4大ランキングが発表される.この本はそれらを全制覇して4冠達成 ! すなわち
『このミステリーがすごい! 2019年版』第1位
『週刊文春ミステリーベスト10 2018』第1位
『ミステリが読みたい! 2019年版』第1位
『2019本格ミステリ・ベスト10』第1位
である.

ストーリーは入れ子構造で,本の中に本があるようなページ建て.
文庫の上巻が作中作「カササギ殺人事件」で,あとは名探偵 (余命いくばくもないという前提) の絵解きとなるべき1章を残して残して終わる.この上巻はかってクィーン,カー,(何よりも) クリスティを読んだペースで,さくさくと読了した.

下巻はこの作中作作家のミステリ出版社の女性編集者の目線で語られる.作家も余命いくばくなく,自殺するのだが,彼女はその死に事件性を疑う.おまけに作中作の解決章は行方不明.現実の世界と作中作はパラレルワールドっぽいという趣向.作中作の人名・地名・章立てはアナグラムなどの言葉遊びでつけられたものであり,下巻は上巻の解説っぽくもある.文庫解説 (川出正樹は) ここをよく補っている.こういうことが好きなら堪えられないと思う.

しかし特に下巻の言葉遊びには,縦書き翻訳文の限界を感じることがある.作家の「遺書」は訳本では別なフォントで横書きに組んであるが,原著ではどうなんだろう.こんど丸善で立ち読みしよう.

とはいえ,ぼくの採点は☆☆☆☆★,

カットは原著ハードカバー版の Will Staehle によるカバーイラスト.同じイラストが文庫上下巻に色違いで使われている.
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ホーミー読経

2019-02-12 11:32:57 | 新音律
叔父の告別式の読経で,住職の地声に高音がかぶさって聞こえた.はじめは斎場の空間と共鳴しているのかとも思ったが,ふたつの声が同時に出ていると思ったほうが自然だろう.

ひとり二重唱はモンゴルに伝わる歌唱法で,ホーミー とかホーメイとか呼ばれる.喉を緊張させたダミ声が基本らしく,過去に聞いたホーミー はその通りだった.しかし住職の声はもっと朗々としていた.英語版 Wikipedia "Overtone singing" にあるオーディオファイル,上から四つ目の Sygyt in tuva で,高音のメロディの起伏を単純にしたかんじ.ただし何を言っているのかはよくわからない...ちゃんと聞こえてもわからないのだけれど.

この高音と低音 (地声) の音程は,単純な倍音関係にはないようたった.声を張り上げると高音は聞こえなくなる.
大小二つの鈴 (りん) が用意され,二つの音程は6度だったと思う.一挙に告別式と繰り上げ初七日をやったのだが,その中間には打鈴のソロが挟まれた.鈴を打つ位置が下から上へと上がるにつれ,打鈴間隔が広くなるのだった.

ホーミー を録音し,スペクトルを取りたかったが,告別式開始前にスマホの電源を切ってあった.

喪主によれば先代住職の読経はもっとオペラちっくだったという.お布施によっては数人の坊さんのコーラスになり,4大テノールの共演的であったらしい.

読経とホーメイについて,ググってみるといくつかの記事があったが,学術的ではなかった.
卒論のテーマにどうだろう.
トップの画像は https://ja.scribd.com/document/37892966/Keys-to-Overtone-Singing による.
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Mon Oncle (ぼくのおじさん)

2019-02-11 09:42:21 | エトセト等


叔父,母の弟が 99 歳で亡くなった.

終戦後焼け出されて (空襲で家を焼かれて) 叔父の家に何年か間借りした.20 坪足らずに,第三の家族も一時期身を寄せたことがあると思う.そういう時代だった.
当時のこと...

叔父は勤め帰りに屋台で新聞を買ってきたが,連載4コマ漫画に色鉛筆で彩色して,色刷印刷だと称して学齢前の僕たちに見せてくれた.今考えると,時事新報に連載された (とんち教室の) 長崎抜天の「マメ子ハト坊」だったらしい.国会図書館に単行本がある.

叔父は化学屋で,ヘチマを植えてヘチマコロンを作った.小さな瓶詰にし,粋なラベルを貼った.母や叔母がびちゃびちゃと顔に塗っていた.石鹸も作ったがどろどろに溶けてしまい評判が悪かった.

東芝に勤め上げたが,自分の周囲では唯一のまともなサラリーマンだった.出たばかりの「攪拌式」電気洗濯機が出現したときはびっくりした(1953?).暗い台所で後光を放っていた.会社の景気が悪くて現物支給のような形だったらしい.

創刊 (1948) からの「暮らしの手帖」や,「週刊朝日」「サンデー毎日」そして「アサヒカメラ」など,文化は叔父一家からこちらに流れ込んできた.生活に余裕ができると (できなくても?) 写真に凝った.思い出すのは 1951 民放発足時の小西六のこの CM ソングである.

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こどもの絵の魅力

2019-02-10 08:13:52 | お絵かき
椹木野衣「感性は感動しないー美術の見方、批評の作法」世界思想社 (教養みらい選書 2018/7)

「子供の絵」という章がある.適当に引用すると

「大人が子供のように描こうとしても,絶対に同じようには描けない.(中略) 大人には子供のような感性がもう失われて久しいからでしょうか.いや,ぜんぜんそういうことではないのです.(中略) まず,子供は大人に比べて手が圧倒的に小さい,その小さな手に特段に小さくもない筆記用具を持って,線をひきます.(中略) これに加えて筆圧があります,子供は握力も乏しく,筆記用具の握り方も,神への力の掛け方も非常に不安定で,均質ではありません.この力の抜き差しが,大人にはどうしても真似ができないのです.(中略) ともかく,一時が万事こうなのです.」

これに続いて,子供の絵の魅力が義務教育を経るにしたがって,どんどんなくなるのは,「こくご」「さんすう」の影響だとおっしゃる.均等なマス目のなかに文字や数字をいれさせることが,子供の能力を抑制する.

裏表紙の惹句のトップに「子供の絵はなぜいいのか ?」と書いてあって,まぁおっしゃるような側面があるとしても,それが全てではないだろう.子供が描く絵の輪郭線がなぜ不安定か,は理解できるけれど.

トップの「伸餅」は 1949 年,熊谷守一の作品.昭和天皇がこの絵を見て「これは何歳の子が描いたのか?」と周囲に聞いたそうだ.子供にこんな絵が描けるわけがない ! とは思うがそれはさておき,なぜ子供の絵と思われたか,と考えると,そこには椹木さんが指摘した要素はない.

子供の絵について,こどもの専門家!?が発言したサイトをあさったところ,「子どもの絵の魅力~評価の高い絵とは?」をみつけた.神戸大学名誉教授 東山明氏への聞き書きらしい.おっしゃることに説得力はあるが,主題は我が子にどのように先生に受ける絵を描かせるか..を教育ママに助言すること,であった.
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感性は感動しない

2019-02-09 08:46:55 | 読書
椹木野衣「感性は感動しないー美術の見方、批評の作法」世界思想社 (教養みらい選書 2018/7)

不明にして著者も出版社も知らなかった.
冒頭の「感性は感動しない」という文章は25校以上の大学入試で出題されたということである.
出版社の名称からは何やら恐ろしい思想を吹き込まれそうな気配を感じるが,真面目なお堅い本の出版社である.

著者は美術と本の批評家で,本書は「 I 絵の見方、味わい方,II 本の読み方、批評の書き方,III 批評の根となる記憶と生活」の3部構成.I, II が著者の職業に直結した内容.です/ます調だが内容は堅い.読んで楽しいのは III である.ちなみに入試出題の「感性は...」だけは,である調で,冒頭に別格扱い.

著者は「批評家」であって,遊び半分にブログに感想文をアップするのとは立場が異なる.評価というものは所詮 個人的なものでしかないと思うが,批評家の発言にはある程度の普遍性が求められるのだろう.
批評家の最初の仕事はまず批評する対象を探すこと,らしい.批評対象と関係を醸し出すには時間が必要で,直ぐに感想を求められても困る,というのは理解できる.

絵を見たら絵を描きたくなり,ジャズを聴いたらジャズを演理宅なるようでは,批評家にはなれない.

カバー挿画 高橋大輔,本文イラスト まきみち.ブックデザインが地味だがいい.
図書館にあるべき図書館本.


 
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