埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

いきなりのオスプレイ   沖縄「ゆいま~る」に参加して

2016-12-30 01:36:43 | 活動報告


 12月23日から26日の日程で、全教「未来をひらくプロジェクト ゆいま~る 見て・聞いて・学んで・つながろう」に参加してきた。
 「次世代を担う組合員が1000人の規模で沖縄」に集い、「地方自治と民主主義の憲法原則を踏みにじる政権の暴政に県民ぐるみでたたかう沖縄で憲法を守りいかす運動を交流し、学び」あおうというこのとりくみは、各県から選出された実行委員を中心にずいぶん以前から準備されたらしい。
 「ゆいま~る」の本体は24・25日の日程で、1日目はリザンシーパークホテル谷茶ベイを会場とした全体会、2日目が県内各地に分散してのフィールドワークという内容であったのだが、埼高教では前後に1日ずつ日程をふやして沖縄ツアーとしたのだった。(せっかく沖縄に入るということで多くの県が同様のとりくみをしたようだ。)
 埼高教からは15人が参加。「次世代を担う」とあるとおり、新任早々の初々しさの残る若者をメンバーにした青年教職員が中心のツアーとなった。そこへなぜ私が? ということになるのだが、もちろん私は現役の組合員ではない。私は「九条の会」からの便乗参加なのである。どうしてそうなったかについては、ちょっとしたエピソードがあるのだが、その話は後日とする。
 暮れも押し迫ってからの沖縄行きだったで、後回しにした用事もあれこれあり、ようやくの報告となるが、まだ写真の整理も十分ではなく、まずは第一報というところである。年明けには順次詳報をアップする予定でいる。
 朝9:15に羽田を飛び立って、12:50に那覇に到着した。用意されたバスに乗り込もうとして空港を出た途端に頭上を飛行していたのがオスプレイである。13日に名護市沖で墜落事故を起こした矢先で、本州にいても強く意識にあったつもりでも、つまりはニュースで放映される映像の中のことであった。辺野古でも「あの半島の向こうに墜落したのです」という説明があったが、日常の中にオスプレイがある!というだけで、沖縄入り早々に強烈な洗礼に見舞われたのだった。
 嘉数高台は沖縄戦の激戦地であった。天辺の展望台からは普天間基地が一望できる。その一角にオスプレイは整然と機体を並べている。写真の紹介を含めて詳細は後にゆずるとして、下は帰りの坂道に花開いていた早咲きの桜である。

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