kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

誌上句会

2018-07-06 01:57:56 | 俳句・和歌

 

月末になると、A5サイズの俳句雑誌は、茶封筒に入って

郵便ポストにやって来ます

これを見た時、ラブレターが来たほどのときめきを覚えます

ラブレター貰ったことないですが(@_@。

多分そんな気分です

 

部屋に着くのを待たず、エレベーターの中で封を切り、

廊下を歩きながらぱらぱらめくり出します

 

この俳句雑誌には「誌上句会」の企画があります

俳句の先輩方には、ご承知の事ですが

課題が出され、それは季語でないことの方が多いです

 

「落」とか「転」とか「顔」とか「戸」とか「角」などを詠み込み

更に季語を入れて一句、提出します

2か月後に誌上に載り、 

毎回、250前後の句から5句選んで、郵送で投票しますが、

これがなかなか大変なのです

 

先生は、おっしゃいます

『勉強になるのでちゃんと選句するように』

はいっ!

 

ご褒美は、自分の句が高得点を得ること!

なのですが…

そう簡単にはいきません(;´Д`)

私の最高点? 11点

1位の方は、47点くらいは取っておられます

7点以上で俳句と名前が載り、6点と5点は名前のみが載ります

 

いつか、高得点が取れるだろうか…

 

それから、表紙には俳画が描かれています

季節が変わると画も変わり、これもとても楽しみです♪

習ってみたいけど、俳句さえままならないのに…

もう少し先のこと、としておこう(^-^;

 

15日、句集の応募の、締め切りの日です

あっという間です、がんばらなくっちゃ

 

 

 

 

コメント

松山千春コンサートツアー2018「弾き語り」

2018-07-05 00:08:28 | 松山千春

 

3ヵ月にわたり、催された松山千春さんのコンサートは、

6月27日の北海道ニトリ文化ホールを千秋楽に幕を閉じました

私は熊本に行って来ましたが、今回も満席でした

 

市民会館シアーズホーム夢ホール (熊本市)

 

ここは、あの、熊本城の真ん前にありました!

 

 お決まりの、ホール内のパネルの松山千春さんが、ずら~り♪

 

 

北は北海道から南は熊本まで日本全国で、22回

ギター一本の「弾き語り」でした

 

3時間近いステージで、ギターを弾き続けると

「指が痛い」

そうです

 体調のよろしくない日も、ちょっとあったようですが、歌は力強く

楽しませていただきました♪

お疲れさまでした

 

このコンサートツアーに合わせて出されたCDは 

「北のうたたち」

 

 

カバー曲集で、曲目は、

 

網走番外地

ネオン川

虹と雪のバラード

夢は夜ひらく

風雪ながれ旅

 

以前はよく、コンサート中に一曲、

他の歌手の方の曲を歌われることがありました

 

このCDの中なら、虹と雪のバラードと、風雪ながれ旅

を聞いたことがあります

これがまたなんと、上手!

自分の曲を歌うより上手…なんて言ったら叱られる?

でも、松山テイストで、良いんですね♪

 

ツアーは終わりましたが、1か月もしないうちにまた、

日比谷野外大音楽堂にて、

FM放送の番組「NACK5」の30周年記念のスペシャルライブがあります

私は、行けないですけど…

野外音楽堂って、いいなあ~

 

子供のころ、父に京都の円山音楽堂へ連れてもらったことがあります

出演は、関西フォークのグループが、たしか

私の音楽での原風景みたいなものかなあ~

フォークソングが、一番好きですから

 

今回、熊本でのライブを選んだのは、

隣が鹿児島だから。

 

新幹線で早く行けるとはいっても、遠いです

あまり観光出来なかった…

 

次のツアーは、秋

どこへ行こうか、まちどおしい

 

 

コメント (10)

じゃっどん西郷どん18

2018-07-03 19:08:20 | 西郷どん

 

じゃっどん西郷どん、

 

まこち、ひったまがったあ

 

その人生の壮絶さと言ったら、今までの西郷どんのイメージを

バンバン壊していってます

 

結局、3つの島に流されていたのですね

① 最初が、奄美大島(ま、救済処置でもあるとか)

愛加那さんと結婚して子供もできたのに、

② 薩摩へ戻る

 

次は、藩に逆らったとして、切腹を久光から言い渡された

しかし小松帯刀の助言のおかげで

③ 徳之島へ遠島

しかし、結局更に厳しい罰が与えられ

④ 遠い遠い沖永良部島へ

 

今、フェリーで行くと、大体ですが、

鹿児島~奄美大島 11時間

鹿児島~徳之島  15時間

鹿児島~沖永良部島 17時間

かかるらしい

当時、どんな船だったか分かりませんが、何日もかかったのでは?

ましてや、奄美には、1月に着いてるらしいので…

想像しただけで、生きた心地がしません

 

でも、西郷どんはどこへ行っても、温かい人が支えてくれる

結婚もしたし、

沖永良部島では、「土持政照・つちもちまさてる」

命の恩人でした

西郷どんの人柄が好きで、尽くしてくれました

義兄弟の約束までしたんですよね~♪

 

西郷どんはそれだけ皆に好かれる人だったんでしょうか

 

沖永良部では、大変印象深い人物が登場しました

 

ナポレオンです

ウソです(^-^;

 

川口雪篷(せっぽう)

この人は、10年前にこの島に流された、薩摩藩士

ドラマでは、お由良騒動の時にいわれのない罪を着せられ遠島となった

友が呼び戻してくれると思っていたが、叶わず、酔いどれています

 

しかし、この人の信念を西郷どんは聞いて、びっくりした

 

”ある人が言うておられた

「今は異国の強さを学び、日本を異国に負けぬ国にする時、

決して異国と戦うてはならぬ」と”

 

西郷どんは、斉彬の言葉だと分かった

 

また、雪篷は「大革命の英雄」ナポレオンが大好きで、

子供にナポレオンの素晴らしさを話したりもした

 

 

文久2年(1862)の生麦事件、それに端を発して起きたのが

文久3年(1863)薩英戦争、これはわずか2日で終結した

 

薩摩は、この戦争を期に、近代化の必要性を感じ、

開国論へと転換していくが、その時、西郷どんの存在を認めたのか

薩摩へ呼び戻されることとなった

 

 

 

 

 

 

西郷どん、愛加那さんのために、残ってほしかったなあ~

西郷どんが、安らかな日々を送ることが出来るのは島だと思ったけど…

島の暮らしは、一時の仮住まいでしたか…

西郷どんの大きな体には、大きな志があるんですね…

 

  

 

 

コメント

じゃっどん西郷どん17

2018-07-01 18:06:37 | 西郷どん

 

 

 

京阪電車の中書島(ちゅうしょじま)駅で降りて

しばらく歩いたところに、寺田屋があります

 この旅館は、藩士たちがよく利用していました

ここ、京都の伏見は、その頃「伏見港」があり高瀬川で、

京都の町の中心に舟で行ったり

大阪との間の水運も発達していました

 

                                  2017.4.5 伏見

 

 

   ただ、寺田屋の建物は鳥羽伏見の戦いで焼け、今のはその後に再現されています

坂本龍馬ゆかりの地、ということで観光客も多い所です

周りには、酒蔵がいくつもあり、その見学と合わせて訪れる人が

絶えません

 

                             2017.4.5  伏見の酒蔵 

 

春には濠川沿いの桜並木が美しく、酒蔵に映え、

また、再現された十石船も情緒たっぷりです♪

 

 

 

じゃっどん西郷どん、びっくりしました

私が今まで「寺田屋騒動」として知っていたのとはまた違うことが

ドラマの中に展開されていました

 

それが、文久2年(1862)の寺田屋騒動

島津久光が派遣した家臣により、尊王派の薩摩藩士を粛清

 

あと一つは、慶応2年(1866)の寺田屋事件

坂本龍馬が伏見奉行所の捕り方に襲撃され、

お龍さんの機転で命からがら薩摩藩邸へ逃げ込んだ

ですが、この事件はもう少し先のこと

 

 

幕末の重大な事件が2度も、この寺田屋で起きていたんですね

いやあ~知りませんでした(@_@;)

 

西郷どんの深くかかわっていた騒動は、いわば仲間打ちだったのですね

久光が、倒幕に走る薩摩藩士を粛清ということですか

 

西郷どんが、血気盛んな薩摩藩士を思い留まらせるため

命令に背いて下関を離れたり、

倒幕を計画している他藩の者たちと会ったり

久光は、自分勝手な行動をすると怒り心頭

結果、西郷どんに切腹の命が下ったのでした

 

そして、徳之島へ、

更に沖永良部島へ、

遠島また遠島で、島の人たちも、もうこの人は助からないだろう…

 

吹きっさらしの牢に入れられ、それでも頑なに久光からの命令を守り

地の果てで、壮絶な年月を送る

 

”おはんにしかできんこつが、まだあっとじゃ  生きろ”

 

人間は、生きよう!と思うのと、もう死んでもいい!と思うのと

 

命を長らえるのに、ほんとに差はあるのでしょうか…

 

コメント