kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

句材を探して伏見の町を

2017-04-07 16:27:46 | 俳句・和歌

 


4月5日は句会の仲間で京都伏見に行きました。

句材は探しても、俳句は披露しないということで。


とどのつまりが、お花見でした(^_^;)

 

 

何てったって、行き先は伏見で、行くのは呑ん兵衛たち

俳句を考える気はないようで…

 

近鉄京都駅を9:06発車

桃山御陵前で降りまして、大手筋商店街をブラブラ歩きました。

 

秀吉が伏見城を構え、江戸時代には伏見奉行所や銀座、各藩邸ありと、

栄えた町だったのですね~

 

早速、

 

 

「伏見銀座跡」の石碑が。

その場所は今、銀行が建っていました。ナルホドネ!

 

大手筋を歩いていると、露地の奥にお寺があり、紫もくれんが見頃でした。

 

 

 

 

 梅でしょうか? 

 

 

 

椿、月の輪、かな?

 

またしばらく歩くと、商店街のアーケードがなくなり車道になりました。

 

 

川がいくつもありそうです。

名前が分からなくなってしまって

 

名前…?

川沿いには、山吹、雪柳、桜が、もう少しで満開

 

 

のちに寺田屋事件と言われる騒動で、坂本龍馬が逃げ込み避難していた材木小屋跡

の石碑がありました。

 

 

この時、お龍さんが不穏な気配を感じ、

お風呂に入っていたところを裸同然で飛び出し龍馬に危険を告げ

なんとか逃がしたという有名なエピソードがありますが…

俳句仲間の一人が疑問があると言います。イッタイナニ?

 

『お龍さんは、こんな所を裸同然でどこまで走ったんやろか???』 

そこですか!

 

 

また、川が見えて来ました。

その、堤防沿いに、

 


松本酒造(日の出盛・桃の滴がお馴染の銘柄)

 

 

 川の名前は新高瀬川(東高瀬川)


 

土手に人が見えますが、土筆摘みのご家族 

 

両岸には菜の花がいっぱい咲くらしいのですが、まだでした。ザンネン

 

お母さんと子供さんが、土筆をたくさん摘んでおられて、

俳句仲間は、土筆を羨ましがっていました。

 

ひょっとして土手に下りて摘もうとなるのか?

いいえ、先を急ぐことになりました。

 

お酒の小売店で量り売りをしてくれるとかでそこに入りました。

お店の中の壁に水道の蛇口みたいなのが設置してあり、

お酒が出て来るのです。

 

店の裏に大きな酒造会社があり、そこのお酒ということで、地下を水道管みたいなもので、

お酒が流れて来るのかと思いきや、お店据え付けのタンクに入れてもらうのだとか。

確かに、蛇口の付いてる壁の向こうに大きなタンクがありました。

 

仲間6人中の4人が、小瓶を買ってたかな?

始まったばかりの散策なので、私はおみやげはもっとあとで買おうと思いました。

 

次に行ったのは、西岸寺

 

 

桜がほぼ満開でした。

 

お堂の横に、松尾芭蕉の句碑があります。

 

 

蕉翁塚 

 

我衣にふしみの桃の雫せよ

(わがきぬにふしみのもものしずくせよ)

 

 


”伏見西岸寺、任口上人にあふて”  

と野ざらし紀行の前書きにある  

貞享2年(1685)、芭蕉さんが大切に思っている任口上人と再会できて、

大変喜んでいる事を詠まれた。

 

という様な事が説明板に書かれていました。

 

昔、伏見は桃で有名だったそうですが、私は一度も

「伏見の桃」というのを食べた事がありません。

が、 

” 「伏見の桃」は、江戸時代、伏見城の跡地に桃の木が植えられたことから、

伏見が、「桃山」と呼ばれるほどの桃の名所となったことに因んでいる。

「桃」は、芭蕉が訪ねた時期から言って「花」。

「桃の雫」の意は、

「上人が、桃の花の雫のように垂られる有難い教えの一つ一つ」。

この時、上人、八十歳。本句は、上人への挨拶吟であると同時に励ましの吟 

 

という説明文も、ネット内に見ました。

食の桃 ではなく 愛でる桃 の方だったみたいです。

すみません、食欲ばかりで

 


 あ、「桃の滴」というお酒の銘柄もありましたね。

 

ちょっと長くなりましたので、また後日アップします。

 

 

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