kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

駿府城

2014-05-07 12:50:11 | 旅行

 

家康の東照宮を巡る三本のライン上にも乗る 「駿府城」 

 

家康が大御所として住んだ駿府城跡を公園として整備、

 

市民の憩いの場となっているそうです。

 

コンサート会場のお隣にありました。

 

静岡に着いてコンサートまでのわずかな時間、駿府城の周りを

 

少し歩きました。

 

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巽櫓(たつみやぐら)

左の方に人影?銅像が二体見えますが、「弥次さん喜多さん」

 

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東御門(ひがしごもん)

中に入れば紅葉山庭園などがあり散策に良さそうなのですが

とにかく時間がなくて、写真だけ撮りました。

 

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お堀の亀さん

 

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お堀の鴨さん

 

どちらも慌てる私と対照的。  悠々として…

 

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西の空は夕焼けです

 

急いでコンサート会場に

 

 

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家康の三本のミステリーライン

2014-05-07 12:09:08 | つぶやき

元和二年(1616) 徳川家康は自分の病の重篤を知り、

 

いくつかのい遺命を言い渡ししました。

 

それにより、徳川幕府を屈強なものにする三本のラインが現れました。

 

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※ 一本目

 

御前崎から久能山東照宮を線で結んだ延長上に富士山

更に延長上に群馬県の世良田東照宮(徳川氏祖先の地)

更に延長すると日光東照宮に至る

 

※ 二本目

 

久能山東照宮から真西には駿府城、更に延長すると

鳳来山東照宮(松平広忠公夫妻が鳳来寺に祈願して家康が出生)

更に延長上に家康が生まれた岡崎城、更に京都に。

 

※ 三本目

 

日光東照宮の真南には江戸城、南面に建つ陽明門の真上に は 「不動の北極星」  が輝きます。

 

 

自然を崇め、祖先を崇め、そして、関八州はじめ、遠くは京都まで

 

目を配る、そんな家康の心が放った三本のミステリーラインは、

 

今も、霞むことなく日本を走っているようです。

 

家康さん、さすがですね。

 

 

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石垣イチゴ無人販売

2014-05-03 10:29:42 | 好きなもの

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              「静岡名産 石垣イチゴ」

 

静岡駅からバスに乗って、登呂遺跡。

 

登呂遺跡からまたバスに乗って、久能山へ。

 

駿河湾沿いの久能街道(国道150線)またの名を 「いちご海岸通り」

 

の久能山への登り口付近で降り、

 

この旅いちばん過酷な時がやって来ました。

 

石の階段、1159段らしい…

 

その前に、道沿いの農家さんの前で、無人販売、

 

と言ってもすぐに中から売主らしき人が出てこられましたが、

 

「石垣イチゴ」 1パック100円(税込)  2パック購入。

 

採れたてツヤツヤのいちごです。

 

気温が高いのでちょっとぬるかったですが、

 

これが、長~い、険し~い久能山の階段登りに、

 

いい潤いになりました

 

いささか、不謹慎ではありますが…(^_^;)

 

脱水症状が出てはいけません!

 

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ここから登ります。

 

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海が見えてきました、すでに息も絶え絶えの頃

 

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先程くぐった 「一の鳥居」 が海へつづく道に見えます。

 

ここまで登れば、あともう少し。

 

社務所に着いた頃に、いちご1パック完食でした。

 

 

ところで、バスが通る道は途中からとても細い道になり、

 

更にその両側に、ビニールハウスが軒並み立っているんです。

 

どうしてまた、民家の中の車道沿いギリギリまでビニールハウスが

 

立ってるんだろう?

 

と、不思議でしたが、分かりました。

 

理由は、後ろは山、前は海、両方に挟まれ

 

おそらく土地が足りなくてこうなったのだろうと思いました。

 

 

 

 

 

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久能山東照宮

2014-05-03 09:17:23 | 旅行

 

 

     人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し

 

             急ぐべからず

 

        不自由を常と思へば不足なし   

 

   心にのぞみおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし

 

           勘忍は無事長久の基

 

              怒は敵と思ヘ

 

     勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば

 

             害其の身に至る

 

           己を責めて人をせむるな

 

        及ばざるは過ぎたるよりまされり    

 

                      慶長八年正月十五日   家康

 

 

と、言い残した、徳川家康公を祭神とする 「久能山東照宮」 です。

 

日光東照宮より19年前に造られた、権現造、総漆塗、極彩色の社殿の本殿は国宝です。

 

家康が病が重篤なことを知り、天海僧正など近しい者に、

 

一、遺体は駿河の久能山に葬ること

 

二、葬礼は江戸の増上寺に於いて行うべきこと

 

三、位牌は三河の大樹寺に立つべきこと

 

一周忌を過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請すべく、

 

これによって、関八州の鎮守となる…

 

こう、遺命したのでした。 

 

 

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本殿

 

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本殿の左側面

 

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本殿屋根のたくさんある葵の紋の中に、逆さまに付けられたものが

あるという…、

理由は、「完璧」 を避けるためなのだとか。

 

 

日光東照宮と同じように、本殿や拝殿、唐門に施された彫刻は       

あっぱれな出来ですぞ。

 

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実は、久能山東照宮には、ミステリアスなことがあるのでした

 

それは…?

 

 

 

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