kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

息子からの挑戦

2010-08-31 13:45:01 | 食・レシピ

この土日にかけて、富山県高岡市に住む次男が来てました。

おみやげにお菓子を買ってきてくれたのですが…、

    

Img_9649_2

「高岡検定銘菓・利長十番勝負」 とあります。

高岡城主、前田利長公からのようです。

いやあ~、分かりません (?_?)

こんなのです。 (^^♪

     

     

(その一)

高岡の地名は、中国の古い書物に記された「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」 の

一節に由来する。 その書物の名は?

  

い: 春秋

ろ: 易経

は: 詩経

    

(その二)

余は高岡城を築いたが、城下の発展を願って様々な職人を町に集めた。

次のうち、高岡の町にいなかった職人は?

   

い: 鋳物師

ろ: 鉄砲師

は: 菓子師

     

(その三)

高岡の御車山は、余の父、加賀藩初代藩主利家公が、豊臣秀吉より

拝領したもの。  高岡に来る前はどこで使われていたか?

     

い: 聚楽第

ろ: 大阪城

は: 本能寺

        

(その四) 

余の弟であり、加賀藩三代藩主である利常は、余の菩提を弔って瑞龍寺を

建立した。  その建築に腕をふるった大工棟梁の名は?

    

い: 中井大和守正清

ろ: 山上善右衛門嘉広

は: 左甚五郎

      

(その五) 

高岡駅前と越ノ潟を結ぶ万葉線では、車内放送で、ある落語家のアナウンスを

流している。  その落語家とは誰か?

   

い: 立川志の輔

ろ: 林家正蔵

は: 桂米朝

      

これで、問題半分書きました。 あとは後日に。

このあとは、ヒントです。

       

(その一)  「高岡」という言葉は中国最古の詩集の一節に登場します。

(その二)  利長は、高岡城下を戦乱とは無縁の商工都市にしようと

        考えました。

(その三)  天皇をお迎えする時に使った御車が御車山のルーツとされています。

(その四)  加賀藩の大工頭として能登の妙成寺、気多神社などの建築にも

        あたりました。

(その五)  NHK「ためしてガッテン」の司会でも人気の富山県出身の落語家です。

     

     

難問で、悔しいけど分かりません。

かろうじて、二、三、五番がなんとか…???

答えが、お菓子の箱とか包装紙とかどこを探しても書いてないんですよね。

自分で解決せよ! ってことですか (ーー;)

    

あ、その前に、

     

Img_9650

味わってみます。

サクサクの最中に使われる皮に、ナッツをキャラメルとか水あめとかで、

つくねたのがのっています。思いのほか、さっぱりしています。

      

富山県は、となりの石川県の影響を受けているのかなあ?

挑戦を受けて立って、ちょっと勉強してみようかな~ (^_^;)

    

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