kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

麒麟、来たりなば…⓵

2020-02-01 15:55:18 | 麒麟がくる

麒麟がくる



「ときは今あめが下しる五月哉」

この連歌は、
光秀が本能寺の変をおこす数日前、
愛宕山で開いた連歌会のもの
「ときは今~」はその時の発句として光秀が詠んだものだそうです



「敵は本能寺にあり」

江戸時代中期以後に書かれた軍記物『明智軍記』の中にある記述で
光秀が発したのではならしいく創作の言葉だそうです

戦国時代のドラマで今まで何度聞いたことか
創作とはいえ、名言が残ったのですね、すごいですね!


嘉門達夫さん、ご存じと思いますが、パロディが面白い人ですよね
昔々、この方のラジオを聞いたことがあります
その時、何かの話を作って、その中でオチのように、
”敵は「ほ」の字なり”
と言われたことがあり、この部分だけ”
敵は本能寺にあり”
とセットで、思い出します
前後の話はもう何も頭に残ってはいませんが(^-^;
蛇足でした<m(__)m>



その光秀が、十兵衛と名乗っていた、二十歳代の頃のお話が
見れる、聞ける

見ないという選択肢はございません♪





第一回 光秀、西へ

十兵衛(明智光秀)は、主君斎藤利政(道三)に
堺はじめ、他国を見るために、旅をさせてほしいと、
直訴した


事の起こりは、
美濃の国境の明智荘に野盗がやって来て、田畑を荒らし、
穀物を盗んでいくのを阻止することが出来なかった

その時の一番の衝撃は、野盗が持っていた、
鉄の筒

物凄い音と同時に火の塊が体に向かって
飛んできたこと

火を噴く長い筒

十兵衛たちは、鉄砲というものを、知らなかった

種子島に鉄砲が伝来した年から、さほど経っていない頃かな

十兵衛が、これが鉄砲と知り得たのは
それは、野盗と共にいた、どこかの村人から聞いた話から

その村人は捉えられ、連れまわされていたと言い
野盗の頭が鉄砲を自慢していたのを見聞きしたのだ

その様子を十兵衛に教えてくれた
村人の名は「菊丸」
あれ、チコちゃんに叱られるでおなじみの岡村隆史殿ではござらぬか!

むむっ、これは、今後のストーリーに
欠くべからざる人物となります、きっと
ボーーッと見てられません!

今回は、二言三言の台詞で退場でしたが、次の登場を
期待します♪


「何度戦えばここを守れる」





美濃は井の中の蛙なのだ

そとの国を見聞して回らなければ、敵を知ることは出来ない
敵を知らなければ、美濃を、民を守れない


十兵衛は、殿である斎藤利政に直訴し,
了解を得た
お金を借りたか、貰ったか、とにかくこれで堺と京に行ける…はず


1、堺で鉄砲を買ってくる

2、小見の方(殿の正室)の病を治す京の名医を連れて来る

このふたつを約束した

チャンス、と表現するは不心得ですが、
京と堺で、この難題に結び付く出来事に巡り合った






多分、お金はすっからかんになったけど、
鉄砲と京の名医と若い女性の看護師を
美濃に連れ帰ることが出来た


殿からの評価は…


ところで、西へと向かう道中、中山道でしょうか?

美濃→垂井→琵琶湖→比叡山→山城→河内→堺→京

ああ、帆掛船(丸小船?)で琵琶湖を渡りましたね

湖東から湖西へ





守山あたりから堅田あたりに渡ったのかもしれないな

十兵衛が琵琶湖を渡った日は、いいお天気でよかった♪

船は、順風満帆

気持ちよさそう~♪

体いっぱい風を受けて…、タイタニック風



でも、琵琶湖は
比叡山や比良山から吹き降ろす強い風によって
遭難した船は数知れず、難所でもあったはずです

”急がば回れ”

という言葉が生まれたくらいですから
船は危険だったようです

危険回避のため、遠回りでも瀬田まで下って
ぐるっと琵琶湖の南端の陸上を歩きなさい

そんなことから、生まれた言葉だそうです

今、丸小船を見ることはありませんが、ヨットなら

帆が風をはらみ湖南から北へ進んで行くのを
見ることが出来ます

暖かくなれば、浜大津のあたりはいっぱいです

暦の上では、間もなく春

冬来たりなば春遠からじ

明日はもう、三回目が放送されるというのに、
一回目書くだけでやっとこさです
おさらい、ということで<m(__)m>


では、豪華な赤い着物の松永久秀さんの言葉をお借りして

”また會ハむ”


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