信長が死んでしまった…
火に包まれた本能寺
信長はもうこの世にいない…
信長を死に追いやった明智が京を制圧した
次は家康を殺すと気色ばんだ顔
自分はえらい、強い、すごいと常軌を逸している
家康、逃げるしかない、三河へと
「伊賀を越えろ!」
あの~
すんません、替え歌をちょっと歌ってみました
♪伊賀越え
隠し切れない うさちゃんの香が
いつしかあなたに しみついた
誰かにモラレる くらいなら
あなたを殺して いいですか
逃げ出して 隠れ寺
小川城 御斎(おとぎ)峠
舞い上がり 揺れ落ちる
山の向こうにあなた 寺が燃える
何があってももういいの
くらくら燃える火をくぐり
あなたと越えたい 伊賀越え”
家康の三大ピンチと称される「伊賀越え」を
こんな茶化していいのでしょうか
申し訳ありません
明智に家康の首と、差し出されたのは穴山梅雪のでした
梅雪が家康には、二手に別れ逃げましょうと告げたのは
覚悟の上のことだったのでしょうか
武田から離脱し、徳川の家臣となり
本能寺の変あとは上記のように徳川を離れ、逃げようとした
これをどうとればいいのでしょうか
≪木津川≫
京都から大坂湾へと流れる淀川水系の川ですが
子供の頃よく父、母、妹と水泳に行った所です
橋脚まで泳ごう!
何て言ってましたが、危なかったのではないかと今、思います ヒヤッ
家康一行は、木津川を渡ったんですね
他にメンバーは
服部半蔵、大鼠、本多忠勝、榊原康正、井伊直政
一行が越えようとしている峠は
伊賀と甲賀を分ける峠で、小川城辺りは、甲賀が根拠地で
非常に危ない所だった
石川数正は人目に付きやすい桜峠を
酒井忠次は信楽の近江路を
追っ手を欺こうと名乗り出たが、今生の別れを告げる者もいる
助っ人に多羅尾光俊という甲賀忍者の親分
家康が今までに戦の手伝いを頼んだことのある人物
でも、昔と今では家康の立場上、形勢不利なような
でも、家康は相手を信じて依頼した
ここが家康の優れたところですよね
なかなか信じられませんよね、この状況で
まだある
信長を恨む者がこの峠にはうようよしているという
信長の家来の家康は、果たしてどう?
結局、信じなかったと言える動きとなりました
朝を待たずにこそこそっと、多羅尾の陣地より抜け逃げた
が、OUT!
山中で「百地丹波」を頭領とする伊賀集団に牢に放り込まれた、あ~あ
憎き信長の首を捕った明智に家康の首を差し出すというのだ
ところが、危機一髪
家康はほんとに運の強い人だと思います
あの、三河一向一揆の時追い出した「本多正信」登場で
家康たちは助かった
本多正信は百地丹波のもとで、軍師として働いていたのですね、へえ~
でも、まだ眉唾もんですけど~
ま、牢から解かれたことに関してはありがたいですね♪
正信は、何か恩を感じていたのかもしれませんね
こうして、三手にわかれ逃亡していた家康一行は
落合地点「伊勢の白子浜」にたどり着いたのでした
そして最終目的地、岡崎城へゴール
三大ピンチ
三河一向一揆、22歳
三方ヶ原の戦い、31歳
伊賀越え、41歳
これらは、クリアしましたが
まだまだ、家康の人生ゲームは続きます
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