kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

どうする家康 第9回守るべきもの

2023-03-09 17:53:49 | どうする家康

 

 

第9回は重かった

 

脚本は、古沢良太さん、どういう方なのか

 

「どうする家康」  作 古沢良太(こさわりょうた)

1973年生まれ

ALWAYS 三丁目の夕日で日本アカデミー賞最優秀脚本賞

映画やドラマの脚本にヒット作いろいろ、私は

三丁目の夕日しか知らないです

 

鎌倉殿の13人のように殺せ殺せというのはなさそうです、今のところ

第9回「守るべきもの」は何なのか

 

家康は今川の人質だった時、本をよく読んでいたようでしたね

儒学も学んだことと思います

 

家族や君主や臣下や友達や年上の人年下の人を大切にする

 

人として、どうする?

そう訴えるのが古沢良太さんなのかも

「三丁目の夕日」しか知らないのですが

 

今は家康の若い時代で、何だか頼りなさげですが

この後はどんな風に描かれるのでしょ

 

 

さて、三河一向一揆

いっこうに収まる気配がないです

夏目広次に、吉良義昭、松平昌久ですか

ひょっとしたら本多忠世も寝返り?

 

本多平八郎は、指針を示してくれないから戦えぬ!

と、キレてしまってます

 

当の家康は部屋に籠って寄合にも出てこない

とうとう、老臣の鳥居忠吉、最後のお願いにやって参りました

 

忠吉「殿、道はふたつにひとつです」

過去に家康の祖父、父を見て来ていた

二人とも、家臣の裏切りで亡くなったという

 

「何度考えても避けることは出来ません

主君は家臣を信じるしかないが、逆もまた真なり」

 

「信じて、裏切られたならしょうがない

謀反の疑いのある者は、こ・と・ご・と・く・殺す」

 

家康、腹をくくったのか家臣たちに

「好きな主を選べ、わしはお前たちを信じる!

供したい者だけ、参れ!」

 

出陣した家康たちは、吉良義昭、松平昌久を鎮圧

夏目広次、降伏

 

本證寺には手負いの兵がどんどん運ばれてくる

空誓は、こんなことになるとは思っていなかったのかもしれない

正信に言った

「なぜここに居る、寺を利用したのだろう」

と、問い詰めた

 

利用した…

思い出します、鎌倉殿の13人

源頼朝は、北条氏に利用されたのか、その逆か

 

 

 

寺に家康が乗り込んできた

正信が鉄砲を構え、笑いながら言う

 

「殿に勝ち目はございません

み仏の子らは討たれれば、その子が、その孫が…

永遠に戦い続けます」

一向宗の兵は雄たけびを上げた

 

そうですね、敵討ちは誰かがどこかで止めなければ無くならない

 

 

徳川十四代将軍慶喜の、江戸城無血開城

意気地なしのようであり、これは見事な勇気ある決断

英断である、ということかも

自分の代で、変化を起こすという事は

事と次第により、辛きことでもあり、誇らしきことでもあり…

 

家康の長引く一向宗徒の鎮圧状況に

水野信元が織田信長の使いとして、やって来た

 

「かたをつけよ!」

嘘も方便、和議を結ぶということにせよと、水野は伝えた

 

家康は、本多正信に和議を言い渡した

 

どうやら正信も空誓も、これは罠だと思ったようだが

空誓は和議を受け入れるという

 

「この子らにもっと戦え、死んでこいとは言えん」

「この子らを守りたかったのにと、皆にあやまる」

 

空誓の心の内を聞いた信徒たちは、恨むどころか

私たちのために戦ってくれた、と感謝の気持ちを伝えた

 

和議となる

 

空誓の出した条件

* 寺を空誓名義とし、元通りにすること

 

家康は、これを吞む

 

書状にふたりは血判を押した

 

家康と空誓の交渉はこれで終わった

そして次は、 一向宗側の軍師、本多正信への判決

ではまた来週…

 

でもよかったのに、第9回「守るべきもの」は

重い、長い、ややこしいけど続けます

 

正信は打ち首を覚悟していただろう

その前に、言いたいことがある!らしい

 

「お人好しだった殿が、したたかになられましたな」

家康が、なぜ弁明してこぬと言う

そうすればわしが皆(家康の家臣のこと?)を説得するのに

 

正信「私は殿を殺そうとした

そんな私まで許しておけば流石にまずい」

「私は過ちを悔いておる、とは

例えうそでも申し上げることは出来ぬ

なぜなら過ちを起こしたのは、

殿だから

殿は阿弥陀にすがる者の心を知らない

日々の米粒ひとつのために、殺し合い奪い合う者の

心は分からないだろう

仏にすがるのは、現世が苦しいから

生きているのが辛いから

 

おまえが民を楽にしてやれるなら

誰も仏にすがらなくてもいい

そのため、たらふくお前に米を喰わしている

おのれはそれを成さずして、民から救いの場を奪うとは

何ごとぞ!

悔いなければならぬのは、殿でござる」

 

正信は本多家という武家の出ではあっても、

民のことをよく知っていたのですね

 

どういう少年時代を送って来たのか

今回の冒頭でしたが回想シーンでの正信少年

とある少女が、荒くれ者に連れ去られて行くのを

どうすることも出来ず結果、見捨てる事となった

 

正信と少女、慕い合っている様でした

正信はこの事を思い出し、とても辛い顔をした

一向宗の戦場で、倒れている女性を見つけ「おたま」と呼んだ

女性は否定したが幼なじみのあの少女が「おたま」なんだろう

生きているのが辛いから死にたいと、仏さんを拝んでいる

そして、おたまは亡くなった、正信の横で

 

そんな、民の苦しみを殿にぶつけた

 

「切腹でも打ち首でも何なりとお申し付け下さいませ」

 

家康は正信に、三河より永久追放の沙汰を下した

 

姿勢を正し正信は

「長年の御恩、心より御礼申し上げます」

 

「ときに殿、

 

さあ、本来の正信の顔になりましたよー!

 

ここからは、高飛車に、立て板に水の如く、

正信の策士たるところが広がっていきました

 

一向一揆完全終結への切札

 

約定を交わしたからには

取り潰す言い訳が必要

それは

寺があった場所は

元の元は野っ原なり

元の野っ原にもど~~す!

 

 

「厭離穢土欣求浄土」

幟に家康軍のキャッチフレーズ

墨跡鮮やかに、お披露目です

 

そしてまた、リーダー酒井忠次/海老すくい音頭

 

守るべきものは、民と家臣

と家康は気付いたそうで

その実現率は

「なんとなく」くらいとか

 

 

 

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