kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

青天を衝け~ 第33回~第34回

2021-11-08 17:31:45 | 青天を衝け


第33回  論語と算盤

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第一国立銀行が破綻するかもしれない

栄一の選択はどうだったのでしょうか

小野を説き伏せ、貸し付けに対する担保を差し出させ

政府より先に担保を抑えた栄一

合本の銀行も、小野組の犠牲のもと、持ちこたえた

三井銀行は優遇されながら残った

ここで、栄一は大蔵省に洗いざらい調べるよう願い出た

大隈さんの評価

*71万円の抵当が回収できなかったが、

損失は低く抑えられた

*大口貸し付けが、三井組に偏っているのは

不健全であっとであ~る

よって、三井に対する特権はく奪

渋沢栄一は、総監職を降ろされるが頭取となった


栄一と大隈さんは一番、よく揉めている風ですが

な~んとなくほんわかとして和むのであ~るのです

栄一のことを、認めておられる


その場にいた銀行経営の指導者ですか

アラン・シャンドさんに、

銀行は貸すこと、利益を出すこと、それだけではない

銀行はまだ子供、大事に育てなさい

と、言葉をかけられていました、温かいお言葉です

栄一は、好かれやすい人だったのかな



一件落着かと、思うも束の間でした

今度は、蚕卵紙に問題が起きました

貿易のバランスが崩れて来たらしい

金が換金され円安

金や綿織物の輸入が増え、金銀が外国に流れている

まあ、こんなややこしい話、よく分からない私ですが

楽しんで見ています

国の大久保利通が、とうとう民の栄一に頼み込んだ

「国を助けると思って、味方になってくれ」

この言葉、栄一には承服出来たようで

そのための資金をもらうことで、やってみることになった

おかしれえ、だそうですよ栄一さんは

で、

あれあれ、荒療治に出ました


外国が、蚕卵紙を買い控えている

ならば、こちらは逆に売り控える

売れずに困っている蚕卵紙を相場の4倍の値で買い上げた

そのためでしたか、国に出させた8万5千円

それだけではない、

外国商人の買い控えが止むまで蚕卵紙を燃やし続けた

更に、

この時代として新しい発想かなと思いました

それは、

「世論を味方に付ける」

その方法は新聞社に取材を依頼した

発表された記事とは

”国の蚕卵紙は貿易上最も大事な品である
その衰退を挽回し、価値を保たねばならない
そのために停滞の蚕卵紙を一気に焼き捨て、
今後の禍根を発つ!”

記事は世に広まり、外国商人は慌てふためいた


これを「横浜焼き討ち」と喜作は称した


栄一も喜作も、昔とは違う

論語を心の拠りどころとしたはずの武士も

今は刀の代わりに算盤、ひいては、お金…


のちに私立の三井銀行を開業した三野村さんが言っていた

「開けてはならない扉をあけたしまったかも…」





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第34回 栄一と伝説の商人

Women’s Empowerment


岩崎弥太郎、濃いですね

ドラマの副題の伝説の商人とは誰でしょね




明治十年ころ、三菱商会会頭の岩崎弥太郎は
軍需景気を独り占めしてるように、羽振りが良かった
本人が言ってるのですしそうだったのでしょうね



久しぶりの家康さん登場
「安政の五か国会議」これがネックになって
まだまだ日本は一等国には程遠い、と仰る

徳川のせいなのか?
という質問には、お茶を濁してまた、来週


商人が手を組み、力を出す所、「東京商法会議所」を
栄一が発足させた


子供の頃、私の父が民商と呼ぶ組合に入っていました
個人企業でしたので、税金対策や色々なこと
学んでいたのでしょうね(以前にもブログに書きましたが)


私がレストランで働いていた頃、近くに施設があったのか
月一度、中小企業民主商工会の会議に出席の方々が
ランチタイムに、どどどどっと、押し寄せ
バタバタ忙しかったのを覚えています
店長は、その時特別のシフトを決めました
一気に、大ぜいの来客の食事を
短い休憩時間内に食べて頂けるようにと
皆さん、休憩は一時間くらいだったと思います
それはそれは、戦争でした
懐かしい思い出です



栄一と岩崎弥太郎が、お茶屋さんに一席設けたが
どうも、違う
岩崎の考えは自分の考えと違う
もうここで、栄一は岩崎は自分の求める仲間にはならないと
思ったと思う
そのお茶屋さんで偶然会った平岡円四郎の妻やすさんが別れ際に

「あの人のためにもいいようにしておくれね」

あの人
「おめえはおめえのままで生き抜け、必ず」

そうそう、平岡円四郎さん、言ってましたね
最期の言葉になってしまった…

栄一の心はあの頃にリセットされたような



「東京養育院」
明治5 (1872) 年に明治政府が維新の混乱による困窮者救済のため
養育院掛を設け老幼 240人を収容したのが始り
日本で最も古い社会事業施設の1つで
次第に施設の専門化が行われていった


初代から50年間、院長は渋沢栄一が務めた
明治、大正を通じ一貫して施設の基礎づくりに大きな役割を果した


その養育院に、妻の千代を連れて行った
本人の希望だった
子供達の暗さ、寂しさ、何かをじっと我慢している
千代はそれをすぐさま感じ取り、
その後、娘や一緒に暮らす愛人のくにと共に
子供達に会いに行った
千代さんはほんとに偉いなあ~💗


更に、日本に米国グラント将軍の訪問があるという事から
栄一は、民間も政府と共にもてなすべきと
その役目を千代や娘に頼んだ
ちょっとためらう娘をよそに、千代は「がんばんべ!」
大事な仕事を頂いたと高揚していた


ユリシーズ・グラント将軍は
どんな方
米国南北戦争の英雄(北軍)
元大統領として初めての来日
浜離宮にて明治天皇に謁見
増上寺や上野公園に植樹をしている


次回、華やかな日本の大イベント見せて頂けるのですね


”ざん切り頭を叩いてみれば 文明開化の音がする”


そんなフレーズを学校で習った気がします




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