kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

じゃっどん西郷どん34

2018-12-16 13:29:19 | 西郷どん

 

 

西郷どんが、小吉と呼ばれていた頃、

 

「やっせんぼ、強くなれ」

 

と言ってくれた斉彬に憧れ、この言葉を心に刻みました

様々な人と出会い、西郷どんは変わっていきました

  

小さく打てば 小さく響く

大きく打てば 大きく響く

 

龍馬は西郷どんに初めて会って、こう感じたと勝海舟に言いました

 

妻の糸さんにしてみれば、大きく打ちたくなかった

薩摩で毎日一緒に畑を耕していたかったでしょうね

 

「願いは一つ、だんなさまが、西郷隆盛でなかったら、どんだけよか」

 

ほんとに一生のうち、いったい何日一緒に暮らせたのですか?

民のためにと、あちらこちらに赴いていく

ほとんど、単身赴任家族でしたね

 

とうとう最終回がやって来ます

その前に、ずっと気になっていた人がありまして、今、打ち明けます

なんて、言うたりして(^-^;

そんなな気持ちとは違うのですが…

 

薩摩藩国父 島津久光さん

 

鹿児島市照国神社近くの島津久光像

 

マザーコンプレックスだった若い頃、

ま、マザーがあれなものですからね~

 

それでも、斉彬兄ちゃんに憧れ

お兄ちゃんのようになりたかったのです

 

じゃっどん、中央にはあまり出向くことなく、西郷どんが占めていました

薩摩の芋侍とか言われて、斉彬と比べられて

幕府から蔑まれて、頭に来てました

 

斉彬の死後、久光の子の島津茂久が薩摩藩主となり

久光は国父となりました

こうなると、藩を動かすのは実質、久光だったのではないでしょうか

久光は、よお~しがんばるぞ~、お兄ちゃんみたいになるぞ~!

と言ったかどうか、知らんのですけど(^-^;

 

江戸でも活躍する西郷どんに敵意がいっぱい

斉彬に憧れるふたりなのに、対立していきました

 

西郷どんが、天皇行幸に同行して鹿児島に帰って来た時、

衣冠束帯の姿の久光に会いました

廃藩置県があって間もない時、政府は大変な状況に直面している

ふたりは、そんな中、それぞれの役割で、

政府を、鹿児島を守らなくてはならない

久光は、西郷どんといつまでもいがみ合ってる場合ではないと思ったのですね

 

「このやっせんぼが!

やり抜け、最後までやり抜くんじゃ

やるだけやって倒れたら、薩摩に帰ってこい」

 

まるで、斉彬が乗り移ったような言葉でした

 

この時、ふたりの心は斉彬のもとに、ビビビッと繋がった、と思います

 

廃藩置県が成った時、久光は花火を打ち上げ続けたそうです

桜ん島も、噴火したかったでしょう

 

まだ若い茂久を支え、薩摩藩から鹿児島県へ移行の時を

久光は、しっかり背負って行ったのだと思います

立派な方だったと思います

 

久光役の青木崇高さん、面白かった

とてもいい俳優さんになられました

初めて見たのは「ちりとてちん」の落語家の草々

この朝ドラ、何年前だったかなあ?

 

 

今夜はいよいよ最終回

いかように描かれるのか?

 

じゃっどん、西郷どん生き残り説などもあるというではないですか

作家林真理子さんは、どんな西郷どんを?

 最終回、ひったまがったあ~

と言わせてくりしゃり~♪ 

 

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