大坂の陣の発端となった、
「国家安康」 「君臣豊楽」
方広寺(大仏殿)の釣鐘 (重要文化財)
片桐且元は釣鐘の銘文を南禅寺の僧「文英清韓・ぶんえいせいかん」
に命じました。
文英は漢詩文に秀でた僧だったようですが、
この文は迂闊やわ~ねえ。
当時の五山の僧も問題視したそうですよ。
そもそも、家康が仕組んだものという風にも伝わっているので、どうなんでしょう。
片桐且元さん、秀吉に仕えていた頃から胃の具合があまり良くなかったみたいですが、
さぞや、更に調子悪くなったでしょうね。
中堅社員の辛いところは今も昔も…
格天井、華やかですね~
ここにあった大仏殿や大仏はもう残っていないのに、
一番問題にしたこの梵鐘だけは、1614年鋳造以来ずっと残っています。
どういうこと?
方広寺本殿
本尊は盧舎那仏
隣には秀吉を祀った
豊国(とよくに)神社があります。
この辺りに元は大仏殿が建っていました。
方広寺を区切った石垣が残っています。
特に角のは大きな石でした。
京都国立博物館ですが、この敷地も元は方広寺でした。
三十三間堂の南出口から北向きに撮ってます。
道のどん突きの白い屋根は博物館です。その向こう側に方広寺大仏殿がありました。
方広寺の南大門、この両側に「太閤塀」という土塀が続きます。
京都にはどんだけ豊臣氏の遺構が残っているのかと感心します。
JR京都駅の1番ホーム、降り立ちますとその足元は元 「御土居」 だった…
今度京都に来られましたら、1番ホームをしみじみと踏みしめて下さいね(^^♪
この面々、みんな若いな。
鴨川の七条大橋を歩いていたら遥か南に伏見桃山城がうっすらと見えました。