kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

真田丸船賃六文波枕十五

2016-08-02 01:30:13 | 真田丸

 

黄昏

 

”黄昏せまる頃 ため息ひとつ

私の人生に 灯りをともす

生きてゆくこととは ただそれだけで

悲しいことだと 誰かが唄う”

 

これは、松山千春さんの「黄昏」の歌詞です。

 

……

 

秀吉の「黄昏」

 

秀吉が壊れ始めたようで…

 

側近の石田光成、真田信繫はそれを他に知られないようにと

 

必死になっています。

 

でも、一番知られたくないであろう、徳川家康の前で秀吉は

 

同じ申し渡しを何度も言い…

 

やってしまいましたね。

 

 

『がんこな人、ボケますな。

ほんま。

字の通り固いたちの人。

心もかたくなな人、おりまっしゃろ。』

 

これは京都のお医者さんで早川一光さんの本

「わらじ医者 京日記」

の一節です。

 

いちがいにみんながこうだとは思いません

 

 

秀吉さんて、元々は明るく自由な人で、心もやらかい人の様に思えますが…

 

「わらじ医者」にこんな人の話が載っています。

 

とある女性、だんなさんは大酒飲みで夫婦仲は悪いようなのに、子供は5人いました。

 

わらじ医者さんの心配通り、だんなさんは肝硬変で亡くなりました。

 

子供達はそれぞれに結婚をしたりで独立していき奥さんの所には三女が残りました。

 

しかし、その娘さんが慰安旅行の飛行機の墜落で帰らぬ人となり、

 

奥さんの束の間の平穏がまたもや…

 

でも、立ち直り一生懸命働いて、ボケる暇なんか無い様に見えたのですが、

 

ところが!

 

事故死した娘さんの弔慰金がドンっと入ったのです。

 

奥さんは次第に派手になり、家も買いわらじ医者さんの所へは来なくなりました。

 

それから一年、突然あの奥さんが尋ねて来たのです。

 

聞くところによると、独立して行った子供たちが色んな事情を抱え

 

戻ってきたというのです。

 

そして、お金の無心が次々と…

 

わらじ医者さんの目には、奥さんは何かに追われ誰も信頼することが出来なくなっている

 

明らかに心の疲れが見て取れたのです。

 

『人をボケさせ、バケさせるのは年や病気だけではないことを、

私ははっきりと見た。』

 

とわらじ医者さんは確信したそうです。

 

……

 

秀吉は天下人となってもその野望は留まることはなかった。

 

そのためには多くの人を殺す事さえいとわない

 

残忍な心をむき出しにする秀吉

 

反面、世継ぎの秀頼をとろけそうな顔をして溺愛する。

 

家康はじめ側近の者に自分が死んだあとのことを

 

懇願する姿は惨めにさえ映る

 

 

誰でもが欲しいからと言ってトップになれる訳ではありませんから、

 

天下人まで上り詰めた秀吉はそれは凄い人だと思います。

 

 

地位もある財力もある。

 

優しい奥様の寧々さんも素敵です、どこが不満なん?

 

程々のところで、

 

『これでもうええわ』

 

と手を打って、寧々さんと平穏な暮らしをしていたら、

 

気持ちは楽だったでしょうねぇ

 

可愛く壊れて、みんなに見守られて終焉を迎えることが出来たかも…

 

思い返せば 

 

私はひょっとして、あの茶々さんが引き金になったのではと思うんです。

 

元々秀吉さんは織田信長の妹のお市さんが好きで好きでしょうがなかったんでしょ?

 

そのお市さんの長女が茶々さんで、面影を重ねたとか。

 

自分よりずっと若い茶々さんの気を引くため自分に箔をを付けたかった

 

そのために領土を広げ、お城を築き、地位と財産で

 

茶々さん獲得大作戦を繰り広げた?

 

やっぱり茶々(淀殿)は魔性の女人、信長の呪いも抱えていたんでしょうかねぇ

 

 

…… 

 

 

わらじ医者さんは、あの奥さんが

 

『どうしてワテらついてへんのやろ』

 

と言うのを聞き、小声で

 

『おばさん、ついてたんやけど、つきをお金で洗ったんやで』

 

とつぶやいたそうな…

 

 

諸行無常…

 

 

コメント (2)