海と緑とこどもたち HONDA ECOACT

地域にこどもたちと自然とのふれあいの場をつくろう!

京都ふち歩き②鷹ヶ峰~柊野堰堤~上賀茂神社

2015-02-18 10:18:31 | あちこち自然探訪

 前回に続いて京都ふち歩きの続きですが、簡単な地図で歩いたコースを紹介します。ほんとざくっとした地図ですので、曲がり角なんかはアバウトです。さて、今回は鷹ケ峰~鴨川が京都盆地に出る扇の要の位置にある柊野堰堤を経由して上賀茂神社までです。

 さて、2月15日に現地に行ったのですが、この日はなんと京都マラソンの日。バスが混雑で動けないだろうということで、北大路から乗ったバスは千本北大路で降りて、あとはひたすら歩く。すると、途中ではじめにのる予定だったバスに追い抜かれました。なんのこっちゃ。奥の道路案内看板の左方向が鷹ヶ峰。左の建物は佛教大です。


鷹ヶ峰の目的地土天井町バス停には結局15分ぐらいで付きました。途中の家が道路に対して少し斜めに立っているのはなぜ?


有名な御土居につきました。次の写真が説明図ですが、戦乱で荒廃した京都の復興のために秀吉が作ったものだそうで、ここは東西方向の御土居です。もう少し先で南に向きを変えます。その先は紙屋川です。説明には鴨川の水害を避ける目的があったと説明されていますが、紙屋川に対する備えでもあったのではないかと思います。この写真の右手側(北側)は洛外ということになります。




鷹ヶ峰の街道を北へ進むとT字路にあたります。そこを左へ行くと光悦寺があります。光悦寺の土地は家康からもらったとのことで、このあたりは江戸時代になって開けた場所ということでしょうか。


光悦寺の庭園は多数の茶室と本阿弥一族のお墓があります。庭園といっても茶室の間の通路の植込みを見て歩く感じです。なお、茶室は入れません。ただ、西の端からは鷹ヶ峰三山と京都市街が望めます。これがこの庭園の一番の見どころでしょう。この写真の左の山が鷹ヶ峰、右の途中まで見えている山が鷲ヶ峰とのことです。次の写真に山名の説明があります。あいにくこの日は雨がちの天候で煙ってしまってよく見えませんが、きれいなマツ山みたいです。




光悦寺の前をさらに進むとホテルがありました。ここの左を進むと道は山に入っていくので引き返しました、そこでホテルの右へ進みました。


そこには北山杉の圃場がありました。低いところで伐って萌芽させたということですね。仁和寺のサクラといい、京都には萌芽の文化があるのでしょうか。


さらに進むと道は山に入っていきました。このあたりの地層は堆積岩みたいですね。このあと道はさらに山に入っていくので引き返すことにしました。


けっきょく光悦寺の前を戻り、T字路の反対側に出て、鷹ヶ峰から降りました。このあたりは西賀茂といいます。
そこで北方向に歩いていきました。東海自然歩道が通っています。

途中山麓には寺院がたくさんあります。ただ、背後の山は鷹ヶ峰のように急傾斜で山麓におりている山でなく、山の下には比較的なだらかな丘陵が広がっています。


そうした緩傾斜面を利用してゴルフ場や墓地が作られています。


ゴルフ場や寺院の写真が続きましたので、ずいぶん市街地を離れたところみたいですが、そのすぐ下は住宅地です。昭和に開かれた地域でしょうか?下の写真は住宅地の中の公園です。クスノキ、ケヤキが大きい。


鴨川が近くなってきましたので、川沿いに降りることにしました。住宅地から下には畑が見られますが、その間を勢いのよい水路が流れています。かなりの水量ですから、鴨川からの取水でしょう。


鴨川に出ました。


鴨川が京都盆地に出る扇の要の位置にある柊野堰堤です。柊野は川の東側。後ろの山は鷹ヶ峰と違ってマツが少なく、雑木率が多いように見えます。枯れたマツの白い幹も散見されます。
鷹ヶ峰や嵯峨野広沢池の背後の山を見たときずいぶんきれいなマツ山と思いました。そうした場所は観光地ですから、景観整備のためマツ林の手入れがしっかりされているのではないか、こちらは観光地ではないので現在普通に見られる近郊林の姿なのではないかと想像しました。


さて、柊野堰堤ですが、やはり大きな農業用水取水口がありました。魚道もついています、同じ構造は反対側にも作られています。


柊野の背後の山の姿です。西賀茂地区と同じく山麓部はなだらかな丘陵地で、田畑が広がっています。


上の写真の続きです。


柊野を潤す水路。さきほどの柊野堰堤から流れているものでしょう。嵐山から来る途中で嵯峨野、宇多野、柊野・・と野の付く土地を通ってきました。宇多野をのぞき灌漑水路が整備されています。思うにこうした土地は古くは原野もしくは放牧地などであったものが、近世近代に入り、水利が充実することによって田畑として利用されるようになったのではないでしょうか。水利の歴史を紐解けばそのあたりの経過はわかると思いますが、ま、ここは想像まで。


柊野の先には山が半島のように突き出ています。山腹の建物は京都産業大。この右側に上賀茂神社があります。上賀茂神社の横のバス停の名称は柊野別れ。そこで柊野は終わるのでしょう。


上賀茂神社に近付きますと、水量豊富な水路が見えました。このまま行くと上賀茂神社の境内の流れに続くもののようです。これも柊野堰堤から来ているのでしょうか?


上賀茂神社に来るとここでもやはりナラ枯れが。木はシイノキのようです。


上賀茂神社境内の小川。この先は上賀茂神社の神体山である背後の山につながっているようです。ただ、、水量がけっこうあるのでほかにも合流している川があるのかもしれません。


右側から来ている川が上の写真の川。前方から合流している川はさきに紹介した街中を流れている水路です。ここで合流して有名な社家の町に続きます。鴨川からの水路は比較的新しいもののはずですから、上賀茂神社の創建時代とは景観が異なっているのではないかと思います。あるいは鴨川からの流れを加えることで元の景観をより力強く演出したのかもしれません。


上賀茂神社の鳥居です。背後の神体山が少し見えますが、常緑広葉樹林が主体の山ではないかと思います。思うに、社寺や庭園の背景・借景の山の姿は創建当時の景観を反映しているという仮説はいかがでしょうか?そういう見方で景観を見ていきたいと思います。さて、上賀茂神社前からはたくさんバスが出ています。これに乗って帰ります。きょうはここまで。


最新の画像もっと見る