日曜にB-センスフォーラムという催しがあり、そこで事例発表を頼まれて行って来ました。B-センスというのは生物多様性(Biodiversity)についてのセンスということらしく、生物多様性を普及させようという催しで、今回は特に企業や広告業界の人がたくさん参加した催しでした(なじめるかな)。やっぱり生物多様性を伝えるのは難しいなあと思いました。前段の発表で土壌が生物多様性によって成り立っているという話がありましたが、これは良い事例だと思うのですが、どのていどの人に伝わっているかなあ。思うに生物多様性を理解するには絶対自然体験が必要です。しかも、生物の観察だけじゃなく、里山管理や草刈などインパクトが自然に与える変化を経験することも必要です。
自然環境保全について課題をまとめる作業をしている途中ですが、今のところ次の2つが課題の大項目かな?
①環境優位の実現
②自然環境の量的確保
淡水魚保護協会の木村英造さんの文章の中に「ナチュラリスト」と「コンサーベショニスト」を対比する文があった。イタセンパラの再放流は最近実現されたが、それがまだ議論の最中にあった時代の話だ。コンサーベショニストとは、コンサーベーションをする人すなわち保全活動家という意味らしい。
そのときその違いはよくわかならなかったが、最近こんな経験をした。浜寺公園のバッタの原っぱについて「マダラバッタは良くしまった堅い土地にいる」という話をしていたときに、「土壌の硬度は調べましたか?」という質問を受けたのだ。私はその意味がわからなかったが、土地が堅いという場合、硬度をデータ化するというのはナチュラリストならば当然考えることだろう。
しかし、コンサーベーションのためには土地を掘り返して柔らかくしなければ足りるのであって、さしあたって硬度は必要がない。また、硬度を測れば、当然どうやってその硬度を実現するかを考えなければならない。重石で土をたたくのか?重機を使うのか?そんなことは市民レベルではできない。したがって、今のところ測定の必要性を感じていない。
木村さんの書かれたことが自分の問題意識と同じかわからないが、最近ナチュラリストとコンサーベショニストの違いが気になるようになってきています。もちろん自分にもナチュラリストの側面はあり、それなりに楽しんでいますが。