◎「反民主主義映画」とされた『虎の尾を踏む男達』
昨日の話の続きである。
映画『虎の尾を踏む男達』をめぐって、黒澤明監督が日本の検閲官らと争ったというのは、本当にあったことだろう。しかし、〝日本の検閲官が、撮影中の日本映画の報告書から「虎の尾――」だけを削除した〟。その結果、この映画が「上映禁止」になったとする黒澤監督の証言は、信ずるに足らない。ウィキペディア「虎の尾を踏む男達」の項に、次のようにあるからである。
本作はGHQの検閲により、義経と弁慶の主従の忠義を描いていることから、GHQが日本政府に出した「反民主主義映画の除去」の覚書に沿った「反民主主義映画」の1本に選ばれ、上映許可が認められなかった。1952年3月3日、反民主主義映画に認定された映画のうち、CIE〔民間情報教育局〕の通達による第一次解除映画の1本に含まれ、ようやく上映の禁が解かれた。同年4月24日に一般公開された。
映画『虎の尾を踏む男達』の完成は、1945年(昭和20)9月だったとされる。この段階では、まだ、日本の検閲官による映画の検閲が続いていたようだ。一方、G・H・Q当局も、映画の検閲を初めていたらしく、『虎の尾を踏む男達』については、これを「反民主主義映画」と認定したもようである。黒澤監督自身、〝「虎の尾――」は、G・H・Qから、上映禁止を喰った〟と述べていることに注意しておきたい。
さて、日本の検閲官らが、『虎の尾を踏む男達』という作品を否定し、これを葬ろうと意図していたのは事実だと思う。黒澤監督が、自分の映画は日本の検閲官らによって葬られた、と感じたのも事実に違いない。そして、G・H・Q当局が、この作品を「反民主主義映画」と認定し、上映禁止にしたことも事実なのである。
これら三つの「事実」を統一的に説明する方法はないのか。実は、ひとつだけある。――日本の検閲官が、この作品は「反民主主義」的である旨、G・H・Q当局に申告した、と捉える場合である。「権力」に対し従順な官僚の本質を考えたとき、そのように捉えることは、必ずしも見当はずれではないと思うが、いかがなものだろうか。
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