礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

山本五十六は「早期講和」を目論んでいた

2021-12-08 02:40:55 | コラムと名言

◎山本五十六は「早期講和」を目論んでいた

 数日前、DVDで、映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(東映、二〇一一)を観た。ジャケットに、「監修・原作/半藤一利」とあった。
 山本五十六が、三国同盟に強く反対していたこと、三国同盟は日米戦争につながると危惧していたこと、そして日米が戦えば日本は必ず敗れると予想していたこと、などが描かれていた。山本が、優れた戦略家であったことが、実感できた。
 一方、ハワイ奇襲を立案し指導した山本について私は、以前から、その用兵に疑問を感じてきた。映画を観たあと、そうした疑問は、さらに深まった。
 映画では、「聯合艦隊司令長官 山本五十六」(役所広司)は、事前の作戦会議で、ハワイ奇襲はバクチではないと熱弁している。緒戦で敵主力艦隊を叩き、米海軍・米国民の士気を阻喪せしめ、「早期講和」に持ち込む。――これがハワイ奇襲の眼目だ、というのが山本の主張であった。
 一理あるように聞こえるが、日本海軍は、このハワイ奇襲で、敵空母を沈めることができなかった。米海軍・米国民の士気を阻喪させることもできなかった。結果的に見ると、ハワイ奇襲は失敗だったと言える。
 また山本は、「早期講和」を目論んでいたことになっていたが、一軍人としての山本に、早期講和を実現できる政略があったとは、とても思えなかった。
 なお、作戦会議の中で山本は、「敵機動部隊を自由にさせることは、房総沖に敵の飛行場があるのと同じことだ」と述べていた。こうした山本の危惧は、一九四二年四月のドーリットル空襲によって現実のものとなった。【この話、続く】

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