◎天皇は国家の元首云々は即ち機関なり(昭和天皇)
成宮嘉造の論文「天皇機関説のゆくえ」(1979年3月)を紹介している。本日は、その五回目。
本日、紹介するのは、「4.天皇・西園寺公望・渡辺錠太郎の天皇機関説」の章の「第1 天皇の天皇機関説」の節の全文である。
4.天皇・西園寺公望・渡辺錠太郎の天皇機関説
第1 天皇の天皇機関説
「天皇自身機関説に立っていた」と認められている⑴.それは天皇親ら〈ミズカラ〉「憲法第4条に天皇は国家の元首云々は,即ち機関なり,之が改正を要するとせば,憲法を改正せざるべからさることとなるべし.又伊藤〔博文〕の憲法義解には天皇は国家に臨御〈リンギョ〉し云々と説ありと仰せらる」(「本庄日記」3月20日).かく天皇は天皇即国家説を採らず,天皇機関説を認めらる.従って天皇を国の元首とする説悪いというなれば,憲法第4条の改正を要求することとなると仰せられ,「要するに,天皇を国家の生命を司る首脳と見,爾他のものを首脳の命ずる処によって行動する手足と看るは,美濃部等の云う根本観念と別に変りなく,敢て我国体に悖る〈モトル〉ものと考えられず,……若し主権は国家にあらずして君主にありとせば,専制政治の譏り〈ソシリ〉を招くに至るべく,又国際的条約,国際債務等の場合には困難な立場に陥るべし」と仰せられ,美濃部博士と同旨である.
更に,天皇は「在郷軍人の機関説排撃パンフレット」につき憂慮あそばされ,御下問された.陛下は,「もし思想信念をもって科学を抑圧し去らんとするときは,世界の進歩は遅るべし,進化論のごときを覆えさぎるを得ざるが如きこととなるべし.さりとて思想信念はもとより必要なり.結局,思想と科学は平行して進むべきものと想う,と抑せらる」(「本庄日記」4月25日)と.天皇は,主観的な信念で科学,例へば客観的進化論を否定すべきでないと,当時の軍部や右翼の信念による学説否定を正しくないと所断されていたのであろう.
(1)利根川裕「私論・天皇機関説」〔学芸書林、1977〕27頁.
本庄日記によれば、昭和天皇は「天皇機関説を改める場合には、帝国憲法を改正する必要がある」という見解を持っていたという。この鋭い憲法観は、刮目に値する。
日本政府は、二度の國體明徴声明により、天皇機関説を、国家として否定したのである。しかし、帝国憲法第四条が改正されることはなかった。
このことは何を意味するのか。――天皇機関説の否定により、帝国憲法が、事実上「改憲」された、あるいは「解釈改憲」がなされたことを意味するのではないか。
当時、あるいは、その後において、そのような憲法観を表明した憲法学者、ないし知識人はいなかったのだろうか。この点、博雅のご教示が得られれば幸いである。