礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

過激派にして保守派の西部邁氏にとっての伝統とは

2013-07-30 04:16:29 | 日記

◎過激派にして保守派の西部邁氏にとっての伝統とは

 西部邁氏は、その著書『破壊主義者の群れ』(PHP研究所、一九九六)の二〇五ページで、次のように述べている。

 私のことを転向者よばわりする御仁がまだ時折にいるのであるが、二十五年経っても思想的に混濁したままでいるのは私にはかなわぬ話である。もっというと、混濁を振り切るのに二十五年もかかったのは度外れに鈍足な思想家だと自覚しもしている次第である。ともかく私はほとんど変態せぬカマキリよりもきちんと変態するチョウのほうが好きなのだ。
 いったい自分はなぜあのような不法者になったのであるか。私の逸脱者の習性がその基因であったことは疑いようがないものの、その逸脱が新左翼という具体的な姿をとったのはなぜなのかは別個の説明を必要とする。人生につきものの偶然もしくは運命という難物のことを除いていうと、私は「平和と民主」という戦後的観念の枠組に、その枠組を固守しているものたちの代表者たる旧左翼に、破壊を仕掛けたいと念じたのである。当時そのことをしっかりと意識していたわけではないものの、私にとって「過激」であるということは戦後体制から逸脱することだと曖昧にせよ感じとられていた。その意味でならば、私は昔も今も過激派である。

 また、同書二〇七ページでは、次のように述べている。

 リボリューションつまり革命とは、歴史に内蔵されている(はずの)良き価値・規範を「再び(リ)」「巡りきたらせること(ボリューション)」である。そのようなものとしての価値を伝統と呼ぶなら、伝統の「再巡」としての革命を願うものは歴史的な秩序を保ち守るという意味で保守派たらざるをえない。

 西部氏は、「平和と民主」という戦後的観念の枠組に対して言えば、破壊主義者であり、過激派なのである。また、伝統の「再巡」としての革命を志向する点においては、革命家とも言えるのである。
 その西部氏が、保守派を自称し、自分以外の「破壊主義者」を批判しうるのは、みずからは「伝統」=「良き価値・規範」を代表する立場にいるという確信に基いているようである。しかし、この西部氏の確信を担保するものはあるのか。その確信が妄想ではないということを、氏はどのように説明されるのか。
 特に、西部氏にお聞きしたいのは、明治維新という変革をどう位置づけているかということである。明治維新が、伝統の「再巡」としての革命であったというのであれば、そのことを積極的に主張すべきであろう。
 明治維新のスローガンである「王政復古」が、伝統の「再巡」を意味するものであることは、指摘されなくてもわかる。問題は、明治維新の実質である。
 明治維新は、その実質を見る限り、欧米諸国を範にとった近代化であり、欧米化であった。大日本帝国憲法にしても、プロシア憲法等を範にして作られている。その有力な草案のひとつが、ドイツ人法律顧問ロエスレルによって書かれていることは、否定しがたい事実である。
 昨日のコラムでも指摘したように、西部氏が明治維新を、あるいは大日本帝国憲法をどのように評価されているのかが不明である。「伝統」=「良き価値・規範」を代表する立場にいると自覚される保守主義者の西部氏が、まず鮮明にすべきは、明治維新の捉え方ではないのだろうか。
 このようなことを言うと、そういうオマエの明治維新観はどうなのか、と問われるかもしれない。そのことについては、新刊の『日本保守思想のアポリア』で述べておいた。参照していただければさいわいである。

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