◎『日本人はいつから働きすぎになったのか』に書評をいただいた
十日あまり前、畏敬する思想家の塩崎雪生氏から、拙著『日本人はいつから働きすぎになったのか』(平凡社新書、二〇一四年八月)についての書評を拝受した。「書評」と言っても、ただの「書評」ではない。A4用紙一〇ページに及ぶ本格的な書評である。いや、書評というのも当たらない。書評という形をとって、塩崎氏が、その思想の一部を披歴されたエッセイと言うべきか。
以下、その「書評」を、何回かに分けて紹介させていただく。なお、この書評には表題がなく、小見出し等も付されていない。一行アキの部分は、引用にあたってもそのままとした。
前略
昨年末には貴著『日本人はいつから働きすぎになったのか』をご恵贈いただき、誠にありがとうございます。年頭は野暮用多く、実際に繙いたのは三が日を過ぎてからなのですが、一読種々触発されるところがありました。以下思いつくままに記しましたが、なんらかのご参考ともなれば幸甚に存じます。
年末の某日、たまたま中野泰雄『政治家中野正剛』上巻巻頭の、正剛自決前夜を描いた序章『断 十二時』を読んでおりましたが、はからずも下掲のごとき一文に逢着したため、傍線を施さざるを得ませんでした。
「国生と書いてコクショウと読ませる名の憲兵をわきにして、雑談はつづいた。仮面をかぶりあったような雑談に私は興味が持てなかった。父は憲兵に、「泰雄もこの一一月一日に徴兵検査だが、兵科はなにが一番よいだろうか。」憲兵は自分としては憲兵がよいと思っているが、経理などがよいのではないでしょうか、と答え、これにたいして、父は、「経理はつまらんね、やっぱりいくさをする部隊がよかろう、馬が得意だから騎兵はどうだ」と言っていた。「軍隊生活からはなにか得るところがあるかね」という父の問にたいしては、憲兵は、軍隊生活は人間をきっちり型にはめてくれますからよいですと答え、父はこれにたいして、人間は型を破ってゆくのでなければ、ものにはなれない、といっていた。型にはめられながら、矛盾があっても命令にしたがうことによって責任をさけることのできることを、この憲兵は若いくせにすでに会得していた。」(14~15頁)
昨今あまり聞かれなくなりましたが、かつては巷間、小役人根性を指弾して「休まず遅れず働かず」などと揶揄したものです。上記憲兵の心性などはまさしくそのモデルタイプで、いかなる大戦争が勃発しようとも決して死ぬことはない部署を本能的に選んでいます。戦地憲兵などというものもありましたが、それとて最前線で敵とドンパチやるわけはない。この憲兵国生は内地勤務の、しかも丸腰の政治犯・思想犯を相手にしているだけですから、一億が目の玉を三角にして奮闘している狂乱状況を安楽な桟敷から眺めやって、内心「憲兵が一番有利だが、経理なら死ぬことはないぞ。なぜ騎兵などになってわざわざ死にたがるのだ」と冷笑しているわけです。
如上の問答のあと正剛は、俺は早く休みたい、誰か起きていると気になって寝つけない からみんな早く寝ろ、と家族にも憲兵にも告げて人払いをします。すでに最後の決意はで きていたのです。
翌早朝、当然のことながら家中騒然となるのですが、午前8時ごろ泰雄のもとに憲兵がやってきて言うには、「御容態はいかがですか。私たちは前の晩の様子でお察ししてはいたのですが」。そして「御大事に」となんら実意のともなわぬ捨てせりふを残し任務無事完遂 とばかりにそそくさと辞していく。帰趨を察していながら「どうか思いとどまりください」 と一言かけるわけでもない。まるで「最後を見届けよ」と密命を帯びていたかのようです。決して責任が問われぬよう「静観」を常とする狡猾さはまさに賤吏の亀鑑と申せましょう。
さて、やにわに本題に入りますが、この憲兵国生は「勤勉」なのでしょうか。それとも「怠惰」なのでしょうか。下級官吏としての本領を遺憾なく発揮し、当面の国策に反する不平分子掃滅に寄与し、職務を滞りなく全うしているのですから、「勤勉」といえるのでしょうか。それとも大戦のさなかにありながら真箇《皇国軍人精神》とやらに「覚醒」するわけでもなく、安穏安楽安閉悠長な立場に安住し、保身のみを計算しているから「怠惰」なのでしょうか。宮沢賢治の言葉に「ほめられもせず、苦にもされず」というのがありましたか、あるいは「そういう者に私はなりたい」と思わせるほどの理想像として仰ぐべきなにものかをこの憲兵は体現しているのでしょうか。
結論から言ってしまえば実もふたもないのですけれども、貴著の最終ページにおいて到達されたお考えから喚び起こされる人間像は、実際どのようなものになるのか、と考えた際、ふと想い起こされたのは、この決してハッチャキにもならず、またこれといって目立った粗相もしない、きわめてノンビリでありながら要領よく立ち回る憲兵国生の去就でありました。国生はどう間違っても過労死することはありません。そしてまた、どう間違っても甚だしい懶惰に流れることもありません。大してほめられもせぬと同時におそらく上司同僚から苦にされることもないでしょう。いかなる状況に立ち至ったとしてものらくらとしたたかに生き抜いてゆきます。しかし、この男の生きざまは決して美しくはありません。それこそ映画「一番美しく」で描かれた登場人物とは対極にあるといえます。
「新映画」1943年3月号に「一番美しく」と題する黒沢の随筆が載っているそうです。 映画製作着手以前の執筆かと推測します(以下は浜野保樹編『大系黒沢明』第1卷〔講談社、2009〕収載文からの孫引き)。
「……簡単に映画の面白さなどと云うが、日本人が映画から受けとっている面白さと云う ものの性質をもっとよく研究して見る必要があると思う。
(中略)
アメリカ人はハッピイ・エンドが好きで、日本人は悲劇的な結果が好きだと云う事実にしても、そのかげにアメリカ人が単に面白さだけに満足しているのに、日本人はそれ以上にある美を求めているのだと云う様な理由が何かある様に思われるのである。
僕は、『ハワイ・マレー沖海戦』の試写の時、尊き犠牲……飯塚機が自爆するところでスクリーンを拝んでいるお婆さんを見た。
入道雲を背景にスモークをひっぱって飛んでいる艦上戦闘機に向って手を合せているその老婆の顔は何か物凄く美しいものに酔っている様な表情を浮べていた。
僕はジーンと目頭が熱くなって来る中で、これだと思った。
これがつかめれば、アメリカ映画糞喰えと思ったのである。
(中略)
面白さと云い、美しさと云い、すべては見物の胸の中にあったのである。
先ずその琴線をさぐりあてるのが第一なのである」(153~154頁)
アメリカ人は美など考慮せず面白さだけで満足していると断定する偏見にはこの際目をつぶるとして、観衆がなにに美を見出して心底称賛するのかを映画人は把握しなければならないと黒沢は自分自身に言って聞かせているわけですが、それはたとえ悲劇的末路を迎えようとも職務に尽瘁する姿こそが美しいのだという認識に要約できます。
貴著論述の最終到達点「怠けてもいいじゃないか」からは、容易に「美しくなくてもいいじゃないか」「見苦しくてもいいじゃないか」が導き出せるはずです。しかし、大衆心理というものは意外なことになかなか「醜くてもいいじゃないか」と割り切る方向へは働かないものです。現実に置かれた状況が醜悪この上もなく自分自身が日夜いそしんでいる営為そのものか見るに耐えないということをあやまたず認めていればいるだけ、どうにか現状を変えたい、いくぶんなりとも美しくなりたいと願うものです。それが戦時下の隸従状況であっても、また戦後焼け跡のルンペン状況であっても、(究極的には表層現象に過ぎないとしても)よりよい生活をしたい、堕落した現状から脱出したいと願いながら庶民は懸命に努力していたのではないでしょうか。
かかる貧困脱出の努力志向というものは、万人通有のものなのではないでしょうか。それがある限られた民族性に根ざすとか、ある特定宗教・宗派の教義が根柢に作用しているといった捉えかたは、それこそ「心的機序」をどうにかうまく説明できているかに見えて、僭越ながらいまひとつ本質に迫れていないのではないかと当方は思っています。
たとえば、ピューリタニズムや浄土真宗が教勢を張る地盤において「勤労農民」が多数登場してきたということがたとえ事実であったとしても、そのほかのカトリックやギリシア正教や、勤倹を絵に書いたようなユダヤ人、あるいは禅(とりわけ曹洞宗)・日蓮宗諸派などが「怠農」ぞろいだったとはどうしても思えません。余英時が朱子学に裏打ちされた士大夫精神のなかに宋明時代以降の商業勃興の原動力を見ようとしましたが、この捉えかたも同様に整いすぎの感があり、肝心なツボをはずしているように思われてなりません。【以下、次回】
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