礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

500万人の失業者がいて労働不足だった敗戦直後

2017-05-30 06:25:03 | コラムと名言

◎500万人の失業者がいて労働不足だった敗戦直後

 今月二五日のブログで、戦後のヤミ屋について、多少、言及した。そのとき、戦後のヤミ商売は、失業者を吸収する役割を果たしていたという指摘をしている文章を読んだことを思い出した。探してみたところ、意外に簡単に見つかった。『失業対策と公共事業』(東洋経済新報社、一九四八)という本にある、北岡寿逸〈ジュイツ〉の「完全雇用と公共事業」という文章であった。
 この本は、東洋経済講座叢書の「第二十一輯」にあたっており、計四人の専門家がおこなった講演の記録が収録されている。北岡寿逸の「完全雇用と公共事業」は、その最後に収録されているもので、講演がおこなわれたのは、一九四七年(昭和二二)四月二一日、講師の北岡寿逸(一八九四~一九八九)は、なかなか話題の多い人物だが、この当時の肩書は、経済安定本部第四部長。
 北岡の講演記録「完全雇用と公共事業」は、全十二節および「質議応答」から成っているが、本日は、その第五節「我国現在の失業者」を紹介してみる。

 五、我 国 現 在 の 失 業 者
 さて、次に現在の我国〈ワガクニ〉における失業問題並に〈ナラビニ〉これに対する公共事業についてお話ししたいと思いますが、まず問題は一体現在我国に失業者があるかどうかということであります。これについては、いろいろの説があつて、失業者を多く見る場合には、我国には現在十万以上の失業者があるといいます。即ち、終戦以来、工場労務者の動員解除、或は国内及び海外軍隊からの復員者、海外からの引揚者〈ヒキアゲシャ〉等の合計が約千三百二十万になつております。その内幾許〈イクバク〉が本当に就業した者であるか、厚生省は当初はそのうち約六百万人が就業し、七百万人余が失業者であろうと推定を下したことがある。しかしその六百万人が就業するであろうということは、生産状態が戦前に復するといことを前提にしてです。ところが戦後の状況を見ると、我国の生産状態は戦前に復すどころか、生産の萎微〈イビ〉沈滞が甚しいことは、統計の示す通りであります。即ち主要産業についていえば、平均戦前の三〇%前後で、洵に〈マコトニ〉驚くべき生産の低下といわざるを得ない。若し労働者の使用量が生産に比例するものであると考えるならば、先程いつた千三百万人の復員、動員解除、海外引揚者等が新たに職を得るどころか、その他に生産低下のために、解雇される者が続出して、失業者はそれよりも更に多いということもいい得る。ところが、実際の統計を見ると、失業者はそれ程多くない。実際に推定しても、一番多く見積るのが五百万といつておりますが、その根拠は昭和二十一年〔一九五六〕四月二十六日の人口統計によれば、一日も働かない者が百五十九万、一日以上七日以下しか働かない者が九十六万五千で、その後海外から引揚げて来た復員軍人、一般引揚民の中で職を求める者が約百五十万位、全体で四百万余の失業ということになつている。統計の漏れも考えれば、まづ五百万人と見るのが多い見方であります。
 ところが、他面から見ると、我国には殆ど失業がないともいえる。という第一の根拠は、先程挙げた職業紹介所の統計を見ると、終戦以来何れの時期を見ても、求職よりも求人の方が遥に多い。たとえば、製材業の求職は求人の十分の一位、炭坑では四万人位欲しいが、職業紹介所に殆ど求職がない。鉦〈カネ〉と太鼓で探してやつと人を得ている状況であります。紡績においても、労働不足であります。更に工場等で労働者の給源〈キュウゲン〉として一番大切な国民学校の卒業生の内、求職は求人に対して、大体三分の一位しかいない。本年は小学校が延びるせいもありましようが、卒業生中就業希望者は一割足らずという状況で、各事業場では人を集めるのに困つております。
 しかし以上は主として肉体労働であつて、知識階級引揚者、高年齢者についていうならば、いかなる点からいつても失業者が多い。これはあまり表面に統計的に現われておりませんが、相当の数に上ることは確かであります。
 成程現在職業紹介所、工場、鉱山等から見ると、労働者は不足であります。それはいろいろな事情により工場や鉱山に行つても、そこの労働に耐え得ないとか、生活の安定を得られないとかからで、本当に生活の安定する仕事を提供するならば、労働の希望者は相当多くある筈であります。
 私共が一番怪んでいるのは、失業救済のために公共事業を起しても、労働不足のために仕事ができないという皮肉な現象であります。それは公共事業に人が要るから来いといつても、そこに住む家が無い。また相当の賃金を払つても、家族を連れて行つたのでは、今日の物価では飯が食えない。現在の所にそのままいるなら、たとえば千円なら千円の年収でどうにか一家が口を糊する〈ノリスル〉ことができる。他所〈ヨソ〉へ行つて千円貰つたのでは飯が食えない。したがつて仕事があつでもそこへ行かないで、やはり元の所にいるという状態であります。
 前述の如く現在我国の産業は、戦前の三分の一操業率でありますが、これに対して労働者は大体戦前の九割前後の者が働いている。即ち一人当りの生産は戦前の大体三分の一に近いのであります。そのことはいろいろの仕事についていうことができるが、たとえば、国鉄労働者にしても能率は非常に低く、列車の運転日数は昭和六、七年〔一九三一、一九三二〕頃と同様で、従業員はその時代の三倍いる。石炭業においても、戦前の順調な時代には、十五万人の労働者が、三千万瓲〈トン〉以上の石炭を出していたが、現在は四十万人近く労働者がいても二千五百万瓲も出ない。一人当りの採炭は三分の一以下に下つており、その他大きな工場においても、大体一人当りの生産は、戦前の三分の一見当であります。
 なおその他に現在失業が表面に現われないものにいわゆるヤミ商売といふものがある。これが一体どの位あるかということは、統計には現われておりませんが、私は非常に多いものと見ていいと思う。というのは、第一に現在我国における正当な価格とヤミ価格との差が非常に大きいということであります。第二にヤミに従事する労働者の労働能率は非常に低いという事実であります。具体的にいうと、紙一連の公定価格は先達つて〈センダッテ〉まで七十円であつた。山から木を伐り出してから紙に作り上げる迄の一切の費用を七十円で賄わなければならない。労働者一日の賃金を三十五円と考えて、生産費を賃金のみと考えても一連七十円では、一連の紙の製造に二人の労働者を使へばもう一ぱいである。ところがこの紙を横に流せば千五百円に売れるのであつて、そこに千四百三十円の開きがある。紙一連を作るために二人しか使えないが、横に流せば二十倍の人間が従事してもペイできる。即ちヤミの過程において、正常の生産過程の二十倍の労働者の収容能力を持つておるということがいえると思います。
 また能率の方面から考えると、ヤミの人は恐しく能率が悪い。たとえば買出しに例を取れば、一つの貨物列車なら五百瓲運べる。それに従事する鉄道従業員はたつた五人でいい。五百瓲、十三万三千貫をヤミ屋がルックザックでかついでくると、二万五千人の人が要る。いかにヤミに従事する人間の能率が悪いかということはこれでも判ると思います。

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