礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「近衛上奏文」の原文と流通している本文

2017-05-09 05:03:52 | コラムと名言

◎「近衛上奏文」の原文と流通している本文

 数日前、図書館から、新谷卓〈アラヤ・タカシ〉氏の『終戦と近衛上奏文』(彩流社、二〇一六)を借りてきた。まだ読み終えていないが、興味深く刺激的であり、労作であることは間違いない。この本についての感想は、いずれ、述べてみたいと思う。
 読んでいて、ひとつ気になったことだが、今、「近衛上奏文」の原文というのは、どこに保存されているのだろうか。また、原文における表記は、どんな形になっているのだろうか。
 むかし、雑誌か何かで、「近衛上奏文」の影印を見たような記憶がある。たしか、カタカナ文であったと思う。しかし、今日、「近衛上奏文」が引用されるとき、たいていの場合は、ひらがな文になっている。適宜、改行がなされ、句読点、濁点が付き、ルビまで施されている。しかし、原文はおそらくカタカナ文で、改行はあまりなく、句読点や濁点はなく、もちろん、ルビもなかったのではないか。
『終戦と近衛上奏文』においても、もちろん、「近衛上奏文」が引用されている。しかし、全文が紹介されているわけではない。また、その表記は、『終戦秘録2』(北洋社、一九七七)に収録さているものに従っている。『終戦秘録2』は、岩淵辰雄が、その論文「近衛の上奏文」(『世界文化』第三巻第八号、一九四八年八月)に引いたものに依拠しているという。岩淵の論文を、初出の形で読んだわけではないが、少なくとも、『終戦秘録2』にある「近衛上奏文」は、ひらがな文になっている。適宜、改行がなされ、句読点、濁点が付き、ルビが施されている。判読し、利用しやすくなっていることは認めるが、原文のどこををどのように改変しているのかは、明らかにされていない。
 本日は、参考のため、『終戦秘録2』にあるものに基づいて、「近衛上奏文」の全文を紹介しておこう。その際、『終戦秘録2』の表記に従って、漢字は新漢字を使用したが、「ソ連」の連、「連盟」の連、および、「国体」のみは、旧漢字に戻しておいた。【  】内は、『終戦秘録2』における原ルビを示している。

   上奏文
 敗戦は遺憾ながら最早【もはや】必至なりと存【ぞんじ】候。以下此の前提の下に申述【もうしのべ】候。
 敗戦は我國體の一大瑕瑾たるべきも、英米の輿論【よろん】は今日迄の所國體の変更とまで進み居らず(勿論、一部には、過激論あり、又将来如何に変化するかは測知し難し)随【したがつ】て敗戦だけならば國體上はさまで憂ふる要なしと存候。國體の護持の建前より最も憂ふべきは敗戦よりも敗戦に伴ふて起ることあるべき共産革命に御座候。
 つらつら思ふに我国内外の状勢は今や共産革命に向つて急速度に進行しつつありと存候。即ち国外に於てはソ聯の異常なる進出に御座候。我が国民はソ聯の意図は的確に把握し居らず、かの一九三五年人民戦線戦術即ち二段革命戦術採用以来、殊に最近コミンテルン解消以来、赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、これは皮相且安易なる見方と存候。ソ聯は究極に於て世界赤化政策を捨てざるは最近欧洲諸国に対する露骨なる索動により明瞭となりつつある次第に御座候。
 ソ聯は欧洲に於て其周辺諸国にはソヴィエット的政権を爾余【じよ】の諸国には少くとも親ソ容共政権を樹立せんとして、著々其の工作を進め、現に大部分成功を見つつある現状に有之【これあり】候。
 ユーゴーのチトー政権は其の最典型的なる具体表現に御座侯。波蘭【ポーランド】に対しては予【あらかじ】めソ聯内に準備せる波蘭愛国者聯盟を中心に新政権を樹立し、在英亡命政権を問題とせず押切申候。
 羅馬尼【ルーマニア】、勃牙利【ブルガリア】、芬蘭【フインランド】に対する休戦条件を見るに内政不干渉の原則に立ちつつも、ヒットラー支持団体の解散を要求し、実際上ソヴィエット政権に非らざれば存在し得ざる如く致し候。
 イランに対しては石油利権の要求に応ぜざるの故を以つて、内閣総辞職を強要致し候。瑞西【スイス】がソ聯との国交開始を提議せるに対しソ聯は瑞西政府を以て親枢軸的なりとして一蹴し、之が為外相の辞職を余儀なくせしめ候。
 米英占領下の仏蘭西、白耳義【ベルギー】、和蘭【オランダ】に於ては対独戦に利用せる武装蜂起団と政府との間に深刻なる闘争続けられ、且之等諸国は何【いず】れも政治的危機に見舞はれつつあり、而して是等武装団を指揮しつつあるは主として共産系に御座候。独逸に対しては波蘭に於けると同じく已に準備せる自由独逸委員会を中心に新政権を樹立せんとする意図なるべく、これは英米に取り今日頭痛の種なりと存候。
 ソ聯はかくの如く欧洲諸国に対し表面は、内政不干渉の立場をとるも事実に於ては極度の内政干渉をなし、国内政治は親ソ的方向に引きずらんと為し居り候。
 ソ聯のこの意図は東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコーより来れる岡野を中心に日本解放聯盟組織せられ朝鮮独立同盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊等と連絡、日本に呼びかけ居り候。
 かくの如き形勢より押して考ふるに、ソ聯はやがて日本の内政にも干渉し来る危険十分ありと存ぜられ候(即ち共産党公認、ド・ゴール政府、バドリオ政府に要求せし如く共産主義者の入閣、治安維持法、及防共協定の廃止等々)翻【ひるがえ】つて国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条、日々具備せられゆく観有之候。即生活の窮乏、労働者発言度の増大、英米に対する敵愾心【てきがいしん】の昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一部の革新運動、之に便乗する所謂【いわゆる】新官僚の運動、及び之を背後より操る左翼分子の暗躍等に御座候。右の内特に憂慮すべきは軍部内味の革新運動に有之候。
 少壮軍人の多数は我國體と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存じ候。職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者にして、其の多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり又彼等は軍隊教育に於て國體観念だけは徹底的に叩き込まれ居るを以つて、共産分子は國體と共産主義の両立論を以て彼等を引きずらんとしつつあるものに御座候。
 抑々【そもそも】満洲事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは是等軍部内の意識的計画なりしこと今や明瞭なりと存候。満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座候。支那事変当時も「事変は永引くがよろしく事変解決せば国内革新は出来なくなる」と公言せしは此の一味の中心人物に御座候。
 是等軍部内一味の革新論の狙ひは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及民間有志(之を右翼といふも可、左翼といふも可なり、所謂右翼は國體の衣を着けたる共産主義なり)は意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵し居り、無智単純なる軍人之に躍らされたりと見て大過なしと存候。
 此の事は過去十年間軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亘り交友を有せし不肖が最近静かに反省しで到達したる結論にして此結論の鏡にかけて過去十年間の動きを照らし見る時、そこに思ひ当る節々頗【すこぶ】る多きを感ずる次第に御座候。
 不肖は此間二度まで組閣の大命を拝したるが国内の相剋摩擦を避けんが為出来るだけ是等革新論者の主張を容れて挙国一致の実を挙げんと焦慮せる結果、彼等の主張の背後に潜める意図を十分に看取する能【あた】はざりしは、全く不明の致す所にして何とも申訳無之【これなく】深く責任を感ずる次第に御座候。
 昨今戦局の危急を告ぐると共に一億玉砕を叫ぶ声次第に勢を加へつつありと存候。かかる主張をなす者は所謂右翼者流なるも背後より之を煽動しつつあるは、之により国内を混乱に陥れ遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候。
 一方に於て徹底的に英米撃滅を唱ふる反面、親ソ的空気は次第に濃厚になりつつある様に御座候。軍部の一部にはいかなる犠牲を払ひてもソ聯と手を握るべしとさへ論ずる者あり、又延安との提携を考へ居る者もありとの事に御座候。
 以上の如く国の内外を通じ共産革命に進むべきあらゆる好条件が日一日と成長致しつつあり、今後戦局益々不利ともなれば此の形勢は急速に進展致すべくと存候。
 戦局の前途につき何等か一縷でも打開の望みありというならば格別なれど、敗戦必至の前提の下に論ずれば勝利の見込なき戦争を之以上継続する事は、全く共産党の手に乗るものと存じ、随て國體護持の立場よりすれば、一日も速かに戦争終結を講ずべきものなりと確信仕り候。
 戦争終結に対する最大の障害は満洲事変以来今日の事態にまで時局を推進し来たりし軍部内のかの一味の存在なりと存候。彼等は已に戦争遂行の自信を失ひ居るも、今迄の面目上、飽くまで抵抗可致【いたすべき】者と存ぜられ候。
 もし此の一味を一掃せずして早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼、左翼の民間有志、此の一味と響応して、国内に大混乱を惹起し所期の目的を達成し難き恐れ有之候。従て戦争を終結せんとすれば先づ其の前提として此の一味の一掃が肝要に御座候。
 此の一味さヘ一掃せらるれば、便乗の官僚並に右翼、左翼の民間分子も影を潜むべく候。蓋し彼等は未だ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達せんとするものに外ならざるが故にその本を絶てば枝葉は自ら枯るるものなりと存候。
 尚これは少々希望的観測かは知れず候【そうら】へ共【ども】若し是等一味が一掃せらるる時は、軍部の相貌は一変し、英米及び重慶の空気或は緩和するに非らざるか。元来英米乃至重慶の目標は、日本軍閥の打倒にありと申し居るも、軍部の性格が変りその政策が改まらば、彼等としても、戦争継続に付き考慮する様になりはせずやと思はれ候。
 それは兎も角として、此の一味を一掃し軍部の建て直しを実行する事は、共産革命より日本を救ふ前提、先決条件なれば、非常の御勇断をこそ願はしく奉存【ぞんじたてまつり】候。

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