礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

来る八月九日、長崎に原爆投下を予定

2016-08-07 01:37:14 | コラムと名言

◎来る八月九日、長崎に原爆投下を予定

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、八月七日の日誌を紹介する(二五四~二五七ページ)。

 八月七日 (火) 晴
 午前零時、上番する。隊長、上山中尉とおられるので、上下番の挨拶はピシッとやる。下番者田原候補生の報告は、
「昨夜午後十時のニューディリー放送によると、昨日(八月六日)、米軍P51約百二十機は、関東中北部の埼玉、群馬、茨城各県の諸都市を空襲し、銃爆撃した旨放送がありました」と。
 昨日の午前五時、六時から隊長、上山中尉は、ずっと引きつづいての詰めである。隊長、上山中尉とも午前一時をすぎても席を立とうとされない。八月三日、四日、五日と、広島原爆投下を毎日毎日予告されながら手の打ちようがなかった後悔が一杯のようで、「お休みになられては?」と声をかけたら、はじめて二人そろって出ていかれた。
 出るとき隊長はラッキーストライクを一箱自分の机の上に置いて、「それでは後を頼む」といって出られた。一人になると、やっぱり広島のことがつぎからつぎへと頭の中に去来してくる。
 すでに十六時間もたっているのに、大本営から何も発表がないとはどういうことだろうか。それとも明日、詳細発表が行なわれるということなのだろうか。もう一つ問題なのは、隊長から連隊長経由の原爆関係の諸報告は、果たして大本営まで確実に行っていたのだろうか。あるいは、どこかでだれかが握り潰したのだろうか。
 爆撃と共に家は焼かれ、舗道も焼かれ、着衣も焼かれ、やむなく太田川の流れに飛び込んだ人も多いことだろう。あるいは、いまだに自分の家に帰れず探し歩いている人もあるのではないだろうか。
 上山中尉から原子爆弾の特性を聞いているだけにいろいろと想像する。送像はいつか見た関東大震災の絵図となり、地獄極楽の地獄の絵図に変わってきている。
 家のことが気になるがどうしよう。どうしたらよい。ふと思いついた。潮音寺の御本尊十一面観世音菩薩にお願いすることだ。きっと祖母をはじめ、叔母従妹たちも助けて下さる。【中略】
 観音経を二度三度、諷誦【ふうじゆ】していたら、心も落ち着いて来た。八月三日以来、なぜ早く気がつかなかったのか。しかし、決して遅くはない。観音様は時間、空間を超越して下さる。
 八月七日午前三時、ここ南支広東の白雲山麓の壕内はシィーンと静まり、何も聞こえない。広島ではまだ燃えに燃えているところもあるだろう。今夜も眠るに困る人も数多いのではないだろうか。まだまだ親や子を探し歩いている人たちも見えるのではないだろうか。
 静かな中、突然、隣りの部屋が賑やかになった。午前五時である。各放送の傍受班が所定の位置についた。いつもは午前七時ごろが早い時間帯であるのに、今日はそれよりも二時間も早いと驚きながら腕時計を見ていた。
 午前六時、突如としてニューディリー放送が流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれば、米軍は来る八月九日に、広島につづいて長崎に原子爆弾を投下する予定であることを発表しております。繰り返し申しあげます。…………。――
 またしても左頭をガツンと殴られた気がする。そういえば、九州南部にはたびかさなる爆撃、また北九州地区は八幡を中心に工業地帯を、さらに関門の港湾地帯をたびたび爆撃しているのに、長崎の大造船所のあるところだけは、今度のために残しておいたようだ。
 午前八時下番し、田中候補生と勤務を交替する。勤務は下番したものの、昨日、広島に原爆を落とし、今度は長崎にも落とす暴挙を考えると、自分は胸の中が煮え繰り返る。内務班に帰って睡眠を取ろうとしたが、興奮して眠れない。
 田原は自分が横になっているものの、ごろごろ向きを変えたりして寝つかれずにいるのを見かねて洗濯物を持って外に出る。
 広島での老若男女を問わずの大量虐殺をして今度はまたも、同じように大量虐殺を長崎でするという。ラジオ放送は一方的だ。なぜ? どうして? と疑問を持っても、答えてくれない。とうとう午前中は興奮してねつかれない。
 田原と雑談を交わしながら軽く昼食を食べる。昼食後は意外とよく眠れる。午後六時半起床、洗濯、入浴、夕食と時間帯よろしく消化する。夕食のときに四時に下番した田中に聞くと、
「今日、NHKの臨時ニュースで大本営発表が放送されました。それは前日の広島の被害から新型爆弾を使用せるもののごときも、詳細目下調査中というものでありました。これに対し上山中尉殿は、二十四時間以上も経っての発表で、なぜ原子爆弾と発表できぬのか。日本陸軍では昭和十七年ごろから原子核の研究が盛んとなり、かなり開発も進んでいるはずだ。その専門家に調査させれば、すぐわかるはずだ、といわれておりました」という。
 新型爆弾といえば新型爆弾だ。しかし、全身火傷しながら今日生きていた者が明日は死に、今週頭の髪が抜けていた程度の者が来週は死に、今月軽い火傷だといっていた者が来月は死に、単なる爆風だけで助かったと今年いっていた者が来年は死ぬる。上山中尉の解説により知り得た知識だが、この毒瓦斯以上の殺人武器を、単なる新型爆弾とだけに止めて欲しくない。

*このブログの人気記事 2016・8・7(9・10位にきわめて珍しいものが)

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