礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

品川弥二郎、水戸黄門の美談を踏襲する

2014-10-15 04:14:38 | コラムと名言

◎品川弥二郎、水戸黄門の美談を踏襲する

 品川弥二郎について調べているうちに、興味深い「美談」を知った。それは、明治一〇年代に水戸で、徳川光圀(水戸黄門)に関する美談を聞いた品川弥二郎が、感動のあまり、自分もまた、その美談を踏襲したという話である。
 この話は、村田峰次郎の『品川子爵伝』(大日本図書、一九一〇)に載っていた。同書四五六~四五九ページから引用してみよう。

 品川君は夙に〈ツトニ〉山林事業に注意し、木材の要途を説き、林木伐採の害を痛感せり。農商務省に山林局の置かれ、山林学校の設けらるゝや、林学のため殖林のために苦心し、宮内省に御料局長官たるや、木曽地方その他、御料林整理のためには、終始勉強を以て貫けり。彼の〈カノ〉関根矢作、田島直之、金原明善〈キンパラ・メイゼン〉等を奨諭せる、亦その深志の程を察すべし。
 或年品川君、水戸に巡遊しけるに、多数の客座に満ち、談偶々〈タマタマ〉山林の必要に及びければ、座中の老翁語て曰く、むかし藩主光圀の西山〈ニシヤマ〉に隠居せるとき、一日〈イチジツ〉粗服微行して、山村を過ぎけるに、一老人の寸大の苗木を沢山に植付くくるを見たり。問て曰く、其方〈ソノホウ〉は余程の老年なるべきに、斯る〈カカル〉小木の苗を植付け、今後何年にて用に立つと思ふや、迚も〈トテモ〉其方の生存中には役に立たざるべし、これ望〈ノゾミ〉少なき労苦にあらずやと申されしかば、老人憤然として曰く、貴公の如き考の役人多きため、山林は次第に良林闕亡〈ケツボウ〉するばかりなり。今に国中の山には、木は一本もなくなるべし。先づ此方〈コノホウ〉の言ふ事を能く聞き給へ。爰〈ココ〉に小苗を植付くるは、決て〈ケッシテ〉新規の工夫にあらず、伐採せし跡に植続きをする為めなり。人間も御互に、跡目相続人を断やさぬ様にせぬと、一家は忽ちに滅亡し、貴公の様なる、武家にては末期〈マツゴ〉となり、家禄を減少さるゝ如き禍〈ワザワイ〉も来るべし。夫故〈ソレユエ〉私の苗木の植継も、固より〈モトヨリ〉自分の身に即益を急ぐ考に非ず〈アラズ〉。上等の木材は、孰れ〈イズレ〉数十年を要する理なれば、死後に至りて、後世の財宝と成るやう残置く〈ノコシオク〉次第なり。仮令〈タトイ〉身は老年余命とてなき賤者なれども、此国に生れて、殿様の御恩を忘れぬため、責めては老後の置土産と、五十年の後を思ひ数百本の苗木を植継ぎ、終らば、早や明日死ぬとも、御恩を報じた訳になる。貴方の如き馬鹿な役人では、相手に成し難し。御名前は何と曰ふ方にや、御尋ね申したく存ずると詰懸けたれば、サテ此方〈コノホウ〉は、西山の御隠居なりと曰はれたり。スルト其〈ソノ〉老人、俄に〈ニワカニ〉地に平伏し、コレハ御隠居の殿様と知らずに、御無礼を申せし段、何とも恐入りましたと、頻に〈シキリニ〉過言を謝し、冷汗背を潤したり。然る処イヤイヤ決して苦しくない、誠に感心じや、善く言て呉れた、孰れまた遇て礼を申さうト言放て、光圀の御隠居は、直ぐ西山に還られたり。翌日近侍を右の老人の許へ遣はし、即刻出頭致せとの命を伝へられしに、老人は過言の廉〈カド〉を以て、必ず御手討〈オテウチ〉となることならん、再び家に帰ること覚束なし〈オボツカナシ〉と、家内の者と訣別の水杯を酌みて、使者の後に従ひ、苦憂の余り西山にと参りたり。御隠居は椽側〈エンガワ〉に出向はれ、アヽ昨日の老人か、ずつと近寄れと言はれたので、果して御手討に相違なし、されど厳命には背かれぬと、口の内では念仏題目を唱へながら、最早この世もこれ限りと、黙思膝行して椽先〈エンサキ〉まで進むと、頭を挙よとの声を掛けられたり。さて如何致して宜しからんと、呆然と図らず上を見たるに、其方へ昨日の礼として、この一通を遣はすべし。側〈ソバ〉に差控へたる役人が、之を受取り開きて読下すと、要するに此度〈コノタビ〉知行を与へ家来に抱へ〈カカエ〉山林掛〈ガカリ〉の役人にするとの事なり。この老人は如何にも意外なる恩典に打驚き、唯今迄必ず殺さるゝ事と覚悟したるを、助命にてさへ喜〈ヨロコビ〉余りあるべきを、更にかゝる特命の優遇を蒙るとは、夢路をたどる心地せりと、しばし感泣に咽びて〈ムセビテ〉、恩謝の辞も発し得ざりし。夫〈ソレ〉より後ち此老人は、能く林務官の職に勤め、精忠の功を尽し、ます々々勲績を垂れて、天年を終りたり。其子孫も今に家名を継ぎ居れり云々と語れり。品川君は静坐して、始終謹聴し居たりしが、談了るや感涙に堪へず、膝を進めて曰く、右老人の子孫は、何処に在るか、余は是非とも急に面会の必要ありとて、頻にその招致を頼みければ、程なくして其人来れり。君はその人に向ひ、今日斯〈カク〉の如き有益の美談を聞けり。西山公の大徳は勿論なるも、御祖先の卓識は、また実に恐入る。弥二〔品川弥二郎の自称〕等〈ラ〉殖林の秘訣も、亦果して此に外ならず、誠に以て千秋不磨の亀鑑なりと、遂に彼が祖先の功労を賞し、且つ当人が忠良の美質を以て、能くその祖業を受くるを喜び、君は後日帰京のとき、当局官吏と謀り、右老人の子孫たる人を、山林局の役人に採用し、専ら林務に従事せしめられしと云ふ。これ平生〈ヘイゼイ〉君が林業に熱心なりし美談の一例なり。

 原文は、読点(テン)のみで、句点(マル)はなかったが、読点の一部を、適宜、句点に変更した。この文章は、この時代としては珍しく、読点が多用されている。あらたに読点を加えることはしていない。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2014・10・15

地方のどこに創生の余力があるか

「乞食」の言葉で自殺を思いとどまった上田操

ルビつき活字を考案した大阪朝日の松田幾之助

古畑種基と冤罪事件

『トラ・トラ・トラ!』撮影にまつわるウラ話

石原莞爾がマーク・ゲインに語った日本の敗因

「孤独の文学者」本多顕彰のプロフィール

憲兵はなぜ渡辺錠太郎教育総監を守らなかったのか

引用しやすい文献・引用しにくい文献

いつから「幕末」は始まったのか(三田村鳶魚)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする