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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本政府、非人道的兵器の使用に抗議

2025-08-01 03:35:01 | コラムと名言
◎日本政府、非人道的兵器の使用に抗議

 下村海南『終戦記』(鎌倉文庫、1948)の紹介に戻る。本日は、その十回目で、第二〇章「原子弾」の第三七節「原子爆弾の情報」を紹介する。都合により、この節は三回に分けて紹介する。

 第二〇章 原 子 弾

   第三六節 原子弾の出現 【略】

   第三七節 原子爆弾の情報
 原子弾投下に対し日本の政府なり言論界は之をいかに取扱うた〈トリアツコウタ〉か。
 先づ長崎に投下したる八月九日の夜アメリカのトルーマン大統領はポツダム会談の報告をラジオを通じて放送した。その中に
 一、ポツダム会談に於てソ連は米国の新型爆弾の秘密報告をうける前に対日戦に参加する事に同意した。
 一、日本国民は米国の原子爆弾がいかなる威力を発揮するかを目のあたり見た。もし日本が降伏しなければ今後引つゞきこの爆弾を日本都市に投下するであらう。
 こゝにことごとしく原子爆弾の慘禍をくりかへす要はない。只当時新聞、又は原子爆弾の文字をさし控へた。日本政府は十日スヰス公使館を経てアメリカ政府へ又万国赤十字社へあて戦時国際法の原則に反するものであり、全人類及文明の名に於て非人道的兵器の使用放棄を抗議したが、それにも只新型爆弾としるし原子爆弾の名を用ひず、国内では士気を低下してはならぬ、新聞にはコンクリート建物は安全、掩蓋壕〈エンガイゴウ〉は大丈夫白服は熱線に有効などゝ書き立てゝ新爆弾恐るゝに足らずと強調した。
 猶広島の原子爆弾の真相発表のおくれし実情につき久富〔達夫〕情報局次長は次の如く話してある。
 八月六日の広島爆撃については、何時間経つても被害甚大といふ程度以上には適確な情報は入らなかつた。(後から考へると、一発の原子爆弾で徹底的にやられた為め、普通爆撃の時のやうに各機関を通じて次々と情況が綜合され、真相が判明して来るといふわけには行かなかつたらしい)
 然し情報局に入つた情報によれば、侵入敵機は三機、そのうち二機は爆弾を持つて来なかつたらしい。つまりたつた一機がたゞ一発の爆弾を投じた。その結果が未曾有の混迷をきたして居る。幹部の頭には「これはたゞ事でない」といふ直感がついた。従つて、引きつゞき米英より大統領と首相の名をもつて、全世界に「原子爆弾投下」の声明を発して居るといふ報告をうけて、その内容を無条件に受け入れたのであつた。〈96~97ページ〉【以下、次回】

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尾高朝雄は、恩師ケルゼンをどう評価したのか

2025-07-31 03:35:06 | コラムと名言
◎尾高朝雄は、恩師ケルゼンをどう評価したのか

 青木茂雄氏の論考「尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む」を掲載している。本日は、その三回目。

 尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む 3  青木 茂雄

3、緒論(Einleitung)を読む その2 ケルゼン

(1)ケルゼンの何を評価すべきか 本文訳
 この理論的必然性の認識が今日我々にまさに強いられている時、 次のことがいっそう私の念頭につきまとって離れないのである。 それは、 その典型的な形式としての国家理論としての社会団体の理論の本質についての[ケルゼンの]原理的な議論には同意できる、 ということである。 この議論において、 まず最初に彼の批判的著作である『社会学的そして法学的国家概念』(1922年)において、 そしてその体系的な著作である『一般国家学』(1925年)において国家の根本見解が提出された。 この問題に関する客観的に妥当な見解はまさにそれゆえに、必須である。 なぜなら、 この議論は[一見すると]、 それらの議論が、 我々の前で行われている状態は、学問の進歩にとって積極的で内実のある成果を約束するよりも、 否定的な結果を約束しているかのように見える。
 事実に即して純粋にそして公平な視点からみれば、 ケルゼンの業績の意義はさしあたってはかれの批判的な推論にあるのであり、 その推論を通して彼はこれまでの試みが原理的に見込みのないこと、 その試みとは国家の現実性とそれによりまた、 その他の社会団体をどこかの「リアルな(reale)」現実性を根拠づけることなのだが、 彼はその試みを最終的に解明するのである。 この意味において、 我々は、 社会的な現実主義 (レアリスムス=Realismus) の保持しがたい[つまり、受け入れられない]ことの決定的な証明を[ケルゼンは行ったのであり]、 ケルゼンのこの達成を価値のあるものと認める。その現実主義(レアリスムス)とは、 社会科学の歴史の中において、 かつては素朴な自然科学的手法を用い、 またある時は、 教条主義的な形而上的な基礎に基づいて、 出現したのである。 さらに、 しかしながらケルゼンの積極的な貢献は、 次のところにある(1)。
 彼は、 国家の現存在をまず第一に、 観念的な領域に見いだそうと試みることを決断した。そしてそのことによって彼は、 精神としてこの領域を自然[という領域]に対して根本的に対決させた。 ケルゼンに従えば、 国家の現存領域を自然本位の現実性(Realität)の中に見いだそうとすることは、 そしてそれによって現実的な存在(wirkliches Sein)を感性的な知覚の事実性(Tatsächlichkeit)を見いだそうとすることは根本的に誤りである。 国家は、 その本質に従えば「自然の形象では全くなく(kein Gebilde der Natur)、精神的なもの(des Geistes)」である。 国家は、 「霊魂的かつ肉体的(seelisch-körperiche)なものではなく、全く他の様態における存在(Existenz)である」。 国家は「自然的なレアールな存在なのではなく」、 つまり「自然の現実性(Wirklichkeit)の部分」であるのではなく、 観念的な領域に所属する精神的な対象であり、 「観念の体系」である。 この二つの根本的な確立によって、 ケルゼンは国家理論についてだけではなく、 精神科学的に方向づけられた社会科学一般に、 現実性の感性的に知覚可能な領域から精神的形象の観念的な領域への、 根底的な視点の転換を要求する。 この精神的な存在は、 まず第一に観念的な存在として把握される。
 その際に、 人はケルゼンの国家理論について二つの本質的な点について、 批判的にならねばならない。 周知のように、 ケルゼンはまず第一に、 この「価値(Werte)」としての精神の観念的な世界を、 さらに同時にそして無造作に「規範(Normen)として」把握していること、 そして、 彼の有名な国家と法秩序との同一化として頂点を極める、 精神の規範的な把握としていることである。 どのようにして本書で提出されている社会団体の理論の基礎づけが 詳細に議論されているかは、 国家と法の同一化のこの理論が、 もしその理論が、 大変に鋭くそして意味づけられていたとしても、 それを支持できないということの最終的な根拠となる。
 第二に、 次のことに注意しなければならないだろう。ケルゼンによる考究が、観念的な精神形象としての国家が同時に、 歴史的・社会的規定の中で現実的(wirklich)な現存在を示すということがもし可能であるとしても、まだそれは詳細には論じていないということに。ケルゼンが「根本規範(Grundnorm)」という彼の仮説を通して国家の現実性(wirklichkeit)を、 法秩序の「実定性(Positivität)」といわれる概念を通して明らかにしようとしたにもかかわらず、 彼のその理論は深い哲学的議論に根拠を持つものではない。
 それにもかかわらず、 人は次のことを率直に認めなければならない。 ケルゼンの要請は、上にあげた選択された、 社会科学一般の方法的基礎を目指しての社会的世界の探究のためのいくつかの言いまわしによれば、 特殊であり、 しかし社会団体の理論の構築のための先駆的なものとしてとどまっている。 もし、 即ち、 社会団体一般が、 純粋に理論的な認識の客観的で事態に即した対象が研究されるべきであるならば、 彼は感性的に知覚するか、 又は形而上学的に仮説を立てられた「現実性(レアリテート)」 を必要とするのではなく、 彼は直ちに観念的(ideales)であるがしかし現実的(Wirklich)に存在している精神形象
(Geistesgebilde)が把握されねばならない。 この根本原則の獲得を通じて、 ケルゼンは事実上、 持続する認識という功績を得た。 この理論は無視されることは出来ないし、又無視されてはならない。 もし人が社会団体の理論を成果とともにさらに進めようとするならば。 それゆえにもし、 ケルゼンの達成が、 それが国家の観念的な現存在領域と、 従って社会団体の現存在領域が一般的に確立されるならば、 人は次のことをそれだけに一層、 残念に思う。 即ち、 ドイツの有力な国家理論家のうちもっとも若いものが、 “国家理論の危機"と、この理論(ケルゼンの国家理論)を判断していることが残念である。 (『Grudlegung』 s.5-6)

(2)コメント③
 尾高は、ヴィーンの地で恩師であるケルゼンを批判していくのだが、これだけ開かれた議論と当時の日本ではまったく行い難く、やはりヨーロッパの地、なかんづくヴィーンの地においてこそ可能であった。
 尾高にとって、ケルゼンの学説の中で最も評価できるのは、「レアリスムス」批判であった。つまり「国家の現存領域を自然本位の現実性(Realität)の中に見いだそうと」し、「現実的な存在(wirkliches Sein)を感性的な知覚の事実性(Tatsächlichkeit)を見いだそうとすること」は根本的に誤りである。
 国家は、 その本質に従えば「自然の形象では全くなく(kein Gebilde der Natur)、「精神的なもの(des Geistes)」の形象である。
 国家は自然の形象ではなく、精神の形象であるとは、自然の形態(政府の建物、軍隊、官僚)のどこをどうとってみても「国家」なるものは存在しない。マルクスの表現を借りれば、商品の自然的形態のどこをどうとっても「商品」なるものは存在しない。「商品」とは関係であり、関係とは精神の形象にほかならないからである。
 したがって、国家を「規範」に還元するのではなく、この途は、いずれ形而上学的、国家を形成している「精神」の観念的(ideales)であるが、しかし現実的(Wirklich)に存在している精神形象(Geistesgebilde)が把握されねばならない。
 しかし、このように尾高の追求により獲得されたとしても、 個人の「精神」の現実的(Wirklich)な存在は、 観念的(ideales)なものに留まる限り、 それはいずれ形而上学的な世界を形成するか、はたまた個人の精神に内属するものの様態として心理学的に描かれるかのいずれかとならざるをえない。これは現在もまた解かれていない大きな課題である。 この時点で彼は、その難問をフッサールの現象学で突破しようとするのである。それが成功したかどうかは、この書の本文全体を閲するほかはないが、問題を指摘しておくとすれば、それは認識の主体と学の対象の問題である。認識の主体の問題としては、この当時フッサールによってようやく問題提起された「間主観」の問題である。

 
(1)ケルゼンからの引用は次の文献による。 KELSEN: Der Staat als Integration. Eine prinzpielle Auseinandersetzung, 1930, S.11.ff(『統合としての国家、 その原理的考察』)
同 : Der soziologische und der juristische Staatbegriff. Kritische Untersuchng des Verhältnisses von Staat und Recht , 1922, S.77ff( 『社会学的国家概念と』

4.緒論(Einleitung)を読む その3 フッサールへ

(1)ケルゼン批判 本文訳
 この、 国家と国家理論についてのケルゼンとスメントとの間の国家と国家理論の本質についての論争(1)に対してどのような態度をとるかが、 方法的諸説融合の原理的主題であったように見える。 どのようにして、 それでは国家あるいは社会団体が、 観念的な領域では同時に、 そしてその観念性にもかかわらず現実性として、 現実的に存在する形象として理解されるのか? どのようにして社会団体が、 一方では観念性の領域では一者性として、 自分に同一の形象として存在し、 他方ではしかし、 歴史的な現実性の要素を示すのであろうか、 そしてそれは絶えず変動している生命の過程(Lebensprozess)の中で、 自らに同一的である形象の中で存在しているのである。 社会団体を同時に観念的かつ同一的な持続性と現実的で歴史的な変化可能性に帰することは、 おおざっぱて顕著な矛盾ではないのだろうか? 我々はさらに、 この見解をしっかりうちたてるかぎり、 ケルゼンの批判、 わけてもイェリネックとキスティアコウスキが立ち至っている「二面性の理論」に対する批判の見解(2)、 つまり国家を同時に観念的かつ規範的、 そして現実的かつ社会的領域において確立しようとする見解に対する批判をしっかりとうちたてる限りにおいて、 我々はいかにしてこの「二面性の理論(Zweiseitentheorie)」を逃れることができるであろうか? その批判とは、 つまり、 自然と精神を厳密に対置させようとすることから常に次の結論を導こうとする、 「それぞれの対象はひとつまたは他の領域に属し、 そして、 それゆえに、 国家は精神的形象か、或いはただそれは生命的現実性(Lebenswirklichkeit)として、 決して両者は同時に概念規定されない(3)。」
 我々がこの必然的に予想される異論に対しては、これまでに答えてきたところなので、 我々は、 何よりも次のことを示したい。 観念性の概念は、 人が生まれつきそうであるように、協調する余地なく対立してきたが、 そうではなく、 ちょうどその反対に、 それぞれは精神的には現実性はただ多かれ少なかれ具体的な観念形象としてのみあることができる。
 観念的な現実性(Wirklichkeit)の領域を把握するためには、 方法的諸説融合(Methodensynkretismus)ではなく、 事がら自身に根拠づけられた、 要求[が必要]である。 その際に、 この「現実性」 は、「存在」一般ですらないのである。 なぜならば、 観念的な精神形象は、ただの考えられ、 想定されたものとして、「存在」 しているにすぎず、 その際、 社会的現実性を自分の中に閉じ込めることはしないからである。 それに対して、 我々の観念的な精神形象については、 社会団体の理論の基礎づけが重要である。 それは、 歴史的かつ社会的な関連において、 現実的で真実に存在するように考えられるのである。 社会団体の存在様式はさしあたっては、 現実的に存在している観念的な精神形象として解明される。
 現実的に現存在(wirklichdaseindes)している精神形象は今や歴史的かつ社会的な現実性としての社会団体に属する。 社会団体はその上にこの現実性の最も重要な要素を形成する。 人はしかしながら、 歴史的かつ社会的な現実性を不断の、 流出し(ablaufenden)、かつ流動する(fluktuierenden)事実の出来事と同一化することを、 入念に避けなければならない。 外界からの歴史的現実性が、 人間の行為の流出する性格と人間の行為及び超越的な観念的な精神形象を克服する間に、 そのようなものとしての実際の絶えず自ら変化しつつある経過は辛うじて、 「歴史的」と特徴づけられる。 また、 個々の人間の「歴史的」行為は、 それのみがそれゆえに歴史的である。 なぜならば、 それがちょうどかれらの個人性によって、 ひとりの観念性と客観的な意味主体をつくり、 担い手となるか、 一定の或る特定の方法でひきあいにだされる(言及される)のである。「歴史的」とは事実的な生の進行ではなく、 観念的で客観的な精神形象自身である。 社会団体は、 それゆえに必然的にその現実的な現存在の歴史性によって規定されている。 その同一的な、そして超個人的な現実的存在はしかしながら、 一つの歴史的全体を持っている。
 それゆえに、 一方で、 社会団体の統一性と同一的な現存在はその独立的な観念性を認める、 しかし、 もう一方では歴史的なものとして、 歴史的かつ社会的な現実性の要素もみてとることができる。
 その際、 社会団体は、歴史的かつ社会的な現実性一般のように、 しかし、 必然的な関係における社会生活の事実的な経過とともに、ある。この関係は、次の点による。事実性はまず、観念的な精神形象としての社会団体の現実性によって基礎づけられる。観念的な精神形象は、とりわけて「社会的」形象は、同時に現実にそこにあることができる。それは、知られた(周知の)、形象に合致する(ふさわしい)生の経過(Lebensvorgang)に基礎づけられている限り、基礎づけられている限りにおいてのみである。観念的な精神形象と事実的な生の経過との関連は、すでにスメント(Smend)の「統合理論(Integrationstheorie)」に関連して既に概略を述べたところであるが、それは「基礎付け関連」(Fundierungszusammenhang)[とも言うべきもの]である。社会団体は、それゆえその形象を基礎づけていている「統合する」社会的な生の経過という、根底によって現実的に[生き生きと]現前しているものである。そう、まさに、社会的な生の経過を通してこの基礎付け関連を通して、何ゆえに社会理論がただひたすらに歴史性の規定の中でのみ、現実的であることができるという、最後の根拠が明らかとなった。事実としての社会的な経過がそれにより、基盤を形成する、そしてその上に社会団体がその歴史的な現実性を示すのである。このことは、それゆえに、[だからと言って]次のことを意味するものではない、すなわち、社会団体が最後の目的を、その現実性を基礎づけている生の経過と同一のものであることを。人はこの生の経過を、事実的な領域における団体の現実化と特徴付けることもできる。それゆえに団体の現実化または事実性の領域において現実化した団体は、もはやそのような、社会団体の理論がその固有の対象としている団体ではない。現実化(Verwirklichung)は観念的な対象の現実性(Wirklichkeit)の基盤であり、この対象自身ではない。にもかかわらず、分節化された生の経過、つまり統合としての社会団体は、その「現実性基盤」として必然的に伴うのであるが、社会団体は本来的に精神形象の観念的な領域に属し、そして常に観念的な精神形象として留まるのである。このような論証により、それゆえにケルゼンによる優れた批評「二面性理論」に逆戻りするという危惧はなくなったのである。       (『Grudlegung』 s.11-12)

(2)コメント④  ケルゼンによる「二面性理論」の「克服」
 ケルゼンの理論は、以下のように進展させられるしかなかった。
 つまり、現実性とは言っても、具体的には精神の観念形象としてのみあることができる。したがって、観念的な現実性の領域を把握するためには、 観念的な精神形象と事実的な生の経過との関連を把握する必要がある。それは例えば、スメント(Smend)の「統合理論(Integrationstheorie)」に基づく「基礎付け関連」(Fundierungszusammenhang)である。社会団体は、それゆえその形象を基礎づけていている「統合する」社会的な生の経過という、根底によって現実的に現前しているものである。
 それはつまり、社会団体論は「統合」理論によって「二面性理論」という隘路を克服できるとするのである。しかし、私の考えるに「統合」には常に統合する主体とはなにかという難問がつきまとう。そして統合されるものは観念形象であるが、それはどこの(誰の)観念形象であるのかというこれまた難問がつきまとう。「誰の」でもない観念形象は多かれ少なかれ、形而上的な何者かである。つまり、これも「メタ」領域への発進以外の何者でもなくなるのである。

(3)エドムント・フッサールの超越論的(先験的)現象学へ 本文訳
 我々は、これに対して次のような根本的な見解から出発しよう。つまりフレイヤーの言う意味での“ロゴス科学(Logoswissenschaft)”は同時にまた“現実科学”でもあることができ、そして社会学の中心領域としての社会団体の理論は、ただひたすらに社会的現実性の“ロゴス科学”である、つまり現実的で社会的な現存在として基礎づけられることができる。その際に、“現実性”(Wirklichkeit)の概念はもちろん事実性(Faktizität)の概念とは全く異なった意味において理解されなければならない。すでにただの観念的な“存在”(Existenz)のそれから区別されている“現実性”の概念は、単純な“事実性”とはここで再度対抗させられなければならない。ここでは、その“現実性”の概念が重要である。それは、観念的な精神形象をその観念性にもかかわらず、歴史性における本質的な決定において、提示するのである。そのまさに(提示された)現実性については、ディルタイが歴史的かつ社会的な“現実性”として表しているものであり、精神科学の対象領域として見いだしたものである。その構造はフレイヤーが正しくも“ロゴス科学(Logoswissenschaft)”と呼んだものである。観念性(Idealitat)と現実性とが決して非和解的なものではないように、“ロゴス科学”は“現実科学”(Wirklichkeitwissenschaft)とは全く対立するものではない。たった今までおこなってきたような、現実性(Wirklichkeit)という言葉の意味をしっかりと捉えようとするならばである。  
 しかしながら、このすべての推論はしかし、多方面で複雑な問題をもたらす。我々の前には、より長く、より困難な道がある。それだけよりいっそう、我々にはより深い哲学的な基礎が必要である。これらを解決するためには、西洋哲学の中でもより一層秀でている、エドムント・フッサールの超越論的(先験的)現象学による以外には方法がない。何故ならば、観念的な対象の現実性(Wirklichkeit)の問題の根底的な解明は、これまでの学説のどこにも見いだすことができない。もし我々がまた、観念的でしかも現実的で具体的な精神形象の存在構造(Seinsstruktur)を詳細に明らかにすることができるために、フッサールの成果を根底的に拡大された意味を以て適用しなければならないとするならば。我々はそれゆえに社会団体の観念的な現存在領域の批判的な確定を行わなければならない(第1章)。それによって、我々の基礎づけを、さしあたってはフッサールの現象学的立場に基礎を置きながら、現実的な存在の最終的な意味を、つまり観念的な対象一般の現実的な存在を論及できるようにする(第2章)。そして、もし我々がこの哲学的議論によって社会団体の現実的な存在を、それは疑いもなく中心的課題であるが、厳密に解明することができれば、それはこの基礎づけの課題は、その原理的な特性に到達したことになる(第3章)。さらに我々は、そのようにして哲学的に確立された対象をなおも立ち至って観察しなければならない。なぜならば、科学の基礎づけのために具体的な課題を取り扱うことにはきわめて重要な意義があるからである。この更なる課題は、必然的に二つの方向に分かれる。一つは社会団体のテンニースとヘーゲルによる内的な構造の分析である(第4章)。そして、一般的な世界における社会団体の外的な関係の総合的な探求、それはディルタイの精神科学的な基礎のうえに立って実行される(第5章)。最後に、さらに要約として方法的な振り返りを示す。その位置は、社会科学における全体領域の中で社会団体の理論の占めるものである(第6章)。このようにして我々の『社会団体の理論の基礎づけ』の体系の特色を決めるものである。      (『Grundlegung』 s.16-17)

(2)コメント⑤ 何が問題か? フッサールの方へ
 観念的な対象の現実性(Wirklichkeit)の問題の根底的な解明は、これまで検討したどの学説によっても不可能である。解決の途は、観念的でしかも現実的で具体的な精神形象の存在構造(Seinsstruktur)を詳細に明らかにすること以外にはない。そのことはフッサールの超越論的な現象学以外には在り得ないというと尾高は主張する。そのねらいがこの著書の中でどこまで達成されているかの検証は、 『基礎づけ』の本論の検討に待たなければならない。

 
(1)ケルゼン前掲 KELSEN: Der Staat als Integration、スメントSMEND: Verfassug
und Verfassugslehre 1928(『憲法と憲法理論』)
(2)JELLINEK : Allgemeine Staatlehre 1922 (イェリネク『一般国家学』 この大著はすでに全巻日本語訳され、 学陽書房から刊行されている) KISTIUKOWSKI: Gessellschaft und Einzelwesen
(3)このあたりのケルゼンの見解は: Der Staat als Integration s.21f 及び: Hauptprobleme der Staatsrechtlehre 1923

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尾高朝雄の社会団体論における全体構成

2025-07-30 01:24:47 | コラムと名言
◎尾高朝雄の社会団体論における全体構成

 青木茂雄氏の論考「尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む」を掲載している。本日は、その二回目。

 尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む 2  青木 茂雄

2.社会団体論の全体構成 緒論(Einleitung)を読む その1 ギールケとシュパン
 
『社会団体理論の基礎づけ』(以下『基礎づけ』と略)は全体が六章(これに「結論」が付される)から構成されている。以下がその内容である。
緒論 (Einleitung)
第一章 社会団体の観念的な存在 (Das ideale Sein des sozialen Verbandes)
第二章 観念的な対象の現実的存在 (Das Wirklichsein des idelen Gegenstandes)
第三章 社会団体の現実的存在 (Das Wirklichsein des sozialen Verbandes)
第四章 社会団体の内的構造 (Die innere Struktur des sozialen Verbandes)
第五章 社会団体の事象に満ちた社会的形象との外的な関連
(Der äußere Zusammenhang des sozialen Verbandes mit den sachhaltigen sozialen
Gebilden)
第六章 社会団体の理論についての学説的回顧
(Methodischer Rückblick auf die Lehre vom sozialen Verband)
結論 (Schluß)

 以上の内容に関して本格的に展開することは今後の課題であるが、緒論の検討の中でまず明らかになるのが、「観念的(ideal)」に対する「現実的(wirklich)」の概念である。 それは通常「観念的(ideal)」に対置される「現実的(real)」とは異なった概念であるが、 尾高は本書の中では、 主要にはrealではなくwirklichである。 つまり、 idealとrealの二項対立関係を越えて、 wirklichを鍵概念として展開していることが注目される。
 wirklichはrealやidealとは次元を異にする概念、独自の主体概念、 また敢えて言えば時間概念を媒介していると考えられる。このあたりの所は当時の哲学界の議論を踏まえているので今後の追究課題としたい。 
 さて、緒論(Einleitung)であるが、当時の哲学の一般的な叙述方式に従えば、執筆にあたってのこれまでの到達点の整理であり、問題点の明示である。尾高の『基礎づけ』でもその方式は忠実に踏襲されている。緒論において、執筆以前の到達点と執筆時点での課題が明確に示されている。以下は緒論の部分的な試訳であり、序文と同様大意訳である。
 重要な、 論述の鍵となる単語については原語を( )の中に示した。筆者による補足は[ ]で示した。文中の「 」は、原則として本文では原著からの引用を含むものであり“ ”で示されているものである。原注は繁雑になるので割愛し、筆者の注の中で言及した。(1)(2)……とそれに付された簡単なタイトルは筆者が便宜的に付けたものである。

(1) ギールケ 本文訳
緒論(Einleitung)
第1節 社会団体理論の基礎についての論理的必然性(thoretische Notwendigkeit)
 社会科学のすべての領域において、社会団体の本質(Wesen)及び現実性(Wirklichkeit)についての問題はほとんど解決されておらず、問題は残されている。 伝統的な見解の原理的な理解しがたさは明らかにされているにもかかわらず、 その理解しがたさは社会団体の「リアルな(reale)」 現実性を素朴に前提としてきたことによるものである。[つまり]社会団体の構造を自然科学的に解明するか或いは独断的な仮説として扱おうとしてきたのであるが、現在に至るまで、認識のひとつの自立的な対象としての社会団体の真実の現存に対する確固とした実証的な論証となるように要求されてはいなかった。それどころか、しかも次のように主張されている。[社会団体論の]統一的な(einheitlicher)そして自己同一的(identischer)な対象(Gegenstand)は「経験的に(empirish)」 認識可能な社会的な諸現象の領域の中に見いだされるのではない。 そして社会団体は、 従って、 人が社会科学を「経験的な」科学としてのみ可能であると考えているところでは、 そのようなものとしては社会科学の対象を形成することはできないのではあるまいか、 と。
 現在の社会学は大抵、 社会団体を社会科学の対象として、 社会団体またはその主体的な意味(Sinn)によって規定されている精神的な「表象(Vorstellug)」、 或いは人間の実際の行為、 として理解している。 このことは、 正確に把握されるならば、 社会団体自身の真実のそして自己同一的な現存在、 以外のなにものでもない、ということを意味している。 理論的な社会科学の知見のこの傾向は、 社会的政治または独断的な法解釈学のように、 いやそれどころか実践的な社会生活それ自身、 19世紀の個人主義的な見解から集合主義的な(kollektivistischen)方向への転回点へと達している現在の公然たる傾向に見られるような、 実践的に方向づけられている社会的な諸部門として見いだされる。
 現代の社会科学の発展史の中で、 それにもかわらず、 社会団体の理論を精神科学的な基礎の上に、 自主的・自立的な科学として構築するという、 様々な試みが見いだされた。 とりわけても、 今世紀の初めの頃に、 社会団体の理論の構築の要請が最も強く主張されたということを、 人は忘れないほうが良い。 オットー・フォン・ギールケが彼の学長就任式の機会に行われた1902年の演説において(1)、 間違いようもなく明らかに、人間的な団体の精神的な現実性を指し示した時には、 精神科学的の団体理論の構築のための試みの礎石がすでに敷かれていたのである。 彼がまた、 彼の理論を「有機的(organische)」と名付け、 それにより社会団体の存在構造を生物学的な有機体との類比によって解明しようとしたのであるが、その時このような関係とこのような類比は、 次のことを具象化する以外のいかなる目的をも持っていなかった。 即ち、人間的な共同社会が「部分を構成している全体の生命統一体(Lebenseinheit eines aus Teilen bestehenden Ganzen)」にほかならないことを。 ギールケはむしろこの類比によって人間的な団体に本源的なものを精神科学的な領域において議論するために、 人間的な団体の自然科学的の領域の外的な限界を知ろうとしたのである。 この間人間的に形象化された全体性(zwischenmenschlich gebildeten Ganzheit) の現存在は、 ギールケによれば感性的には知覚できないものである。 社会団体の認識においては、 我々はそれゆえに、 原理的に「目に見えない」世界において動くものだからである。このことは、 決して社会団体が現実性(Wirklichkeit)を持っていないということを意味するものではない。 なぜならば、 現実的なものは、 感性的な知覚と一致しないことはないからである。 完全に正しい方向づけの上に、 ギールケは社会団体の現実性を精神科学的な認識の超感覚的な領域(übersinnlichen Sphäre)の上に確立しようと試みるのである。   (『Grudlegung』 s.1)

(2)筆者によるコメント①
 尾高がまず問題としたのは学としての「社会団体論」における認識の対象についてである。経験的にも認識可能な社会的な諸現象の領域は、従来の実証科学におけるような、「リアルな(reale)」現実ではない。静止した「現実」ではなく、活動的な働いている現実、つまりwirklichな現実の領域である。しかし、尾高は更にもう一つ条件を付け加える。それが統一的なそして自己同一的というものである。単にwirklichなだけではなく、einheitlichそしてidentischでなければならないのである。これは「社会団体論」のハードルを高めている、と言える。そして、このハードルの高さが尾高の『Grndlegung』における悪戦苦闘のそもそもの原因である。この、最高にeinheitlichでidentischであるものこそ最高にwirklichであるという彼の思念の源は、京都で西田と米田から受けた薫陶であることは間違いない。そういう問題意識から尾高は二十世紀初頭の主としてドイツとオーストリアの「社会学(Gesellschaftslehre)」をひもといて行くのである。まずギールケであった。ギールケは、日本でもドイツ団体法の大成者として名前は良く知られている(しかし、その重要性にもかかわらず、現在の日本では最も研究されていない法学者の一人である)。

(3)シュパン 本文訳
 精神的な全体性としての社会団体についての解釈は、 今日の社会学、 とりわけてもオトマール・シュパンに立ち至る(2)。 この「普遍的な(universalistischen)」理論によれば、 社会団体はその本質から言って、 「精神的な行動する全体性」である。 そのことは、 三つのことを意味する。 第一に、 全体性としての社会団体を、 流出する根源的な現実性(Ganzheit ursprungliche Wirklichkeit)として示すのである。 一方、 社会団体を構成している個々の構成員は、 全体の部分として、 この全体の分肢(Glied)として現実的に存在することが出来るのである。 団体はそれゆえに根元的なものである。 個々人の存在はそこから導きだされるものである。 第二に、 社会団体は自然的な全体性から自分自身を区別する。 それはつまり、 精神的なものというその導かれた特性を通した生物学的な有機体から社会団体は自分自身を区別するのである。 なぜならば、 人間的な精神というものは本質的な現存形式への共同性を持っているからである。 精神はそれゆえに精神的な共同性の成員(Glied)としてのみ現実的なのである。 人間的な団体の本質と流出点はこの精神的な共同性の中に存在しているのである。 第三に、 社会団体は行動する全体性である。 なぜなら、 その生 (Leben) は人間的な行動から成り立っているからであり、 その行動は、経済的行動のように 精神的な目的の手段としてか、 或いはそれ自身の目的としてか設定される。 それぞれの現実化が精神的な価値自体であるように。 この精神的全体性に関して、 シュパンによれば、 その全体性は単なる感性的に知覚できる世界において解明されるものではない、 という特性を持っている。 社会団体の普遍主義的な考察方法は、 経験的な、 自然科学的な帰納法による方法には、 そもそも関係がないのである。 それ(普遍主義的な方法)はそれに対して、 それからその分岐をたどって降りるために、 真実に現存する、 精神的な全体に由来しなければならないのである。 社会団体についてのシュパンの理論はそれゆえに、 その本質に従えば「分析的、 帰納的であり概念科学」である。 同様に、 次のことがそれゆえに深い意味において強調される。 社会団体の現存在は因果的に規定され、 そして感性的に把握可能なものではなく、 なによりもまず超感覚的で、 純粋に精神的な領域において確立することができる。 (『Grundlegung』 s.2-3)

(4)筆者によるコメント②
 シュパンは日本では戦前でこそ読まれたが(3)現在は全く顧みられない(古書店の店頭からもすっかり姿を消した)。全体主義の理論的バックボーンとして、戦前日本ではカール・シュミットと同様、或いはシュミット以上に読まれたが、シュパン自身はやがてナチズムによっても排除された。同じ全体主義とは言っても(シュパンの場合はuniversalismus)指導者原理にもとづくナチズムのそれとは違って飽くまでもカトリック的な普遍主義である。個々の構成員は全体の分岐であり、団体有機体説とも言えよう。ヘーゲルの国家有機体説の系統にたつものであるが、ヘーゲルの国家有機体説はナチズムとはそもそも異なるものとされたのである。
 また、シュパンは尾高の指摘のように、個に対する全体の優位を「流出説」で根拠づけている。尾高は「流出説」こそとっていないが、後に見るように、「原初」、 「第一」、 「固有」として換骨奪胎している。「流出説」は新プラトン主義等の影響と見られるが、日本思想史の中では、丸山真男らにも大きな影響を与えている。

(5)ギールケとシュパンの到達点と課題 本文訳
 しかし、 社会団体の理論のこれまでの理論構築の試みには、 次の点で共通の欠点がある。即ち、 その正しく方向づけられた推論が、 一般的に認識されている哲学的な基礎と論証に基づいていないということである。 ギールケは、 それどころか社会的な生の統一性の現存在の直接的な証明可能性を最初から自分から断念している。 彼は単に次のことで満足なのだ、 人はその真実の存在は、 それゆえに否定しなくてもよい、 なぜならば個別の生の統一(die individuelle Lebenseinheit) は同様に僅かしか直接的にはわからないからである。それゆえに、ギールケにとって社会団体の現実性はただ単に「間接的(mittelbar)」でしかあり得ない。そしてたしかに一方では外的な経験を通して、 他方では内的な経験(innere Erlebnis) を通して把握されることができる。 なぜならば、 我々にとって進行する社会的出来事の考察は、とりわけ「人間の歴史における深化」 は我々に次のことを示す。 人間の活動と働きは、 個人だけではなく、 同時に共同社会 (Gemeinschaft) に由来している、 即ち共同社会はいずれにせよ 「活動している何か」である。
 しかし、このような外的な経験[つまり共同社会における歴史的経験]によって[間接的に社会団体の現実性]が教えられたとしても、 その確証を我々の内的な経験の中に見いだす以外にないのである。なぜならば、 我々のおのおのは、 それ自体として個別の生の一体性を見いだすだけではなく、我々は同時により高い生の統一を部分一体性(Teileinheit)として属していること、 そのことを我々にとって確信とともに経験できることだからである。 ただひとえに、 社会団体の現実的な現存在の彼の主張の確証のために、 この双方の「間接的な」根拠をギールケは提出するのである。 社会的な生活において実践的に行動する人間は、 その生活からかれらの確信をつくる。 科学的な根拠づけについて彼らがそれ自身の価値を要求することができないときに。
 ギールケにおいて、 深い基礎的考察なしに、 社会団体の理論を構築しようという試みがなされる一方で、 シュパンは彼の普遍主義的な社会理論に、 哲学的な熟慮による入念に構築されたシステム、 「全体性というカテゴリー理論(Logik der Kategorienlehre der Ganzheit)」を基礎においた。 しかしながら、 次のことは疑いの余地のあることである。その理論を詳しく解明しようと没頭している時に、 シュパンはむしろ、 社会的全体性という彼の理論が疑う余地のない公準を前提としていることで満足してしまっていることである。 全体(das Ganze)は決してその構成要素によって決定されるのではなく、 全体は、 反対に、 原初のもの(Primär)、 第一のもの(Erste)、 固有のもの(Ureigne)を表現するのだということ、 つまり、 全体はその構成要素から分離しているものだという、 そういう純粋な事実性を疑うべきではない。
 全体がその部分に対して論理的に優位にたつことは自明のことである。 けれども何が我々の議論の中核をなさねばならないかのかは、 この純粋な事実性それ自身ではなく、 むしろ具体的な問題が、 いかに広く、 社会団体のどのような意味において、 その全体性が現実的にそこにあるのか、ということである。 社会団体、 それが社会科学として取り扱われるためには、 単に論理的ではなく、 歴史的・社会的な世界の現実的な現存在の何かが重要である。 そしてしかも、 社会団体の現存在は明らかに、 物や身体の様式と同等のものではない。どのような存在の様式社会団体を示すことができるであろうか。 社会団体の現実的な存在を超個人的な全体を一般的にそしてまたより厳密な科学性でもって証明することができるであろうか。 人はこの問題を、 次の見解を繰り返すことによって解決してきた。 社会団体は全体としてのみ理解される、 彼は「全体」として根元的で本来的な「現実性(Realität)」を社会団体を構成する個々人よりも示すのである。
 すでに多くの深遠な思想家によって熟慮により言明されてきた社会団体の現実的な現存在についての主張の最終的な理論的基礎について正確に論じることが、 社会団体の理論が自立的な現実科学としてしっかりと根拠づけることができるようになるためには、 それゆえに無条件に必要である。 社会団体の理論の哲学的基礎づけは、 それゆえに、 現在の社会科学的思想にとって、 疑いもなくもっとも重要な、 差し迫った課題である。       (『Grundlegung』 s.3-4)

(6)筆者によるコメント③
 ギールケはたしかに共同社会に注目している。しかし彼の捉えているのは、外的な経験つまり共同社会における歴史的経験という間接的な経験である。ギールケによっても社会団体の直接的現実性まで把握できず、内的な経験の把握は課題として残されている、尾高は言う。
 ギールケに比べれば、シュパンの場合は共同社会(Gemeinschaft)をとらえるには、それが由来している「何か」を把握することが必要である。共同社会はいずれにせよ「活動している何か」であるから、 と。
 しかし、このようなことが教えられたとしても、 その確証を我々の内的な経験の中に見いだす以外にない。全体(das Ganze)は決してその構成要素によって決定されるのではなく、 全体は、 反対に、 原初のもの(Primär)、 第一のもの(Erste)、 固有のもの(Ureigne)を表現するのだということ、 つまり、 全体はその構成要素から分離しているものだという、 そういう純粋な事実性を疑うべきではない、とシュパンは言うのである。
 シュパンの言う、 原初のもの(Primär)、 第一のもの(Erste)、 固有のもの(Ureigne)は当時の日本国内で流布されていた「國體」という言葉でも表されるのではなかろうか。 しかし、 尾高はそのようには言っていない。 やはり、 脱するルートを考えていたのである。

 
(1)ギールケからの引用は次の書による。 GIERKE: Das Wesen der menschlichen Verbände. Rede, bei Antritt des Rektorats am 15.October1902, S.12ff(『人間的団体の本質について─1902年10月15日の入学式での挨拶 』12頁以下)。
(2)シュパンからの引用はすべて SPANN:Gesellschaftslehre,Ⅱ. 1923,s.509(『社会学』第2部 509頁等)
(3)たとえば、シュパン『全体主義の原理』(原著Kämpfende Wissenschaft「戦闘的科学」1934)秋沢修二訳、1938年、白揚社。 プロパガンダ文書だが、 第2部の「哲学」の部分だけは読みごたえある。 他にも幾冊か翻訳紹介されているがおおむねプロパガンダである。

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青木茂雄氏の尾高朝雄論を掲載する

2025-07-29 00:41:06 | コラムと名言
◎青木茂雄氏の尾高朝雄論を掲載する

 グーブログの投稿期限まで、残り数か月となったが、ここで、当ブログへの投稿者のおひとり青木茂雄氏の論考を掲載させていただきたい。タイトルは、「尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む」。
 今のところ、「1」から「3」までの原稿をいただいている。本日、掲載するのは、「1」にあたる部分である。なお、尾高朝雄(おだか・ともお、1899~1956)は、高名な法哲学者で、その学問をさらに発展させようとしていた矢先に、ペニシリン・ショックで亡くなったことで知られている。

 尾高朝雄『社会団体の理論の基礎づけ』を読む   青木 茂雄
 
1.尾高『社会団体の理論の基礎づけ』について

 尾高朝雄は1929年から1932年にかけてのヨーロッパ留学の最後に『社会団体の理論の基礎づけ』と題する長文をドイツ語で執筆し、それがヴィーンで1932年にシュプリンガー社から刊行されている。A5判で本文全279ページの大部のものである (1)。まだ日本国内では翻訳刊行はされていないが、尾高が『国家構造論』の序で「本書の前身」と述べている通り、尾高研究の上では必須の文献であることは間違いない。
 この書の執筆に至る事情は序文にやや詳しく書かれているので以下に抜粋して紹介する。(筆者による大意訳。筆者の解釈〈または思い違い?〉によりやや変形されている所もあるのでご容赦願いたい。以下同様)。

 序(Vorwort)
 私は、 帝国日本政府の委任により、 1929年の春よりヨーロッパに滞在し、 法哲学及び社会学の領域における更なる研究に没頭できるという、 有難い境遇を得た。 そして私は、 すでに長いこと心に抱いてきた、 社会団体の理論(Lehre)を哲学的に基礎づけるという企てを実現することが可能となったのであった。 この作業に、 私はまずヴィーンで、 次にフライブルクで、 そして最後にヴィーンで没頭した。 私の滞在地のこれらのつながりは、 私の思考の発展と密接に関連している。
 社会団体の現存領域(Daseinssphäre)を基礎づけようとする私の努力は、 まず第一にハンス・ケルゼン教授の純粋法学とその「ヴィーン学派」との接触へと導いた。 これらの理論の批判的な探究から、 私は二つの根本的な成果を得た。 第一に、このような観点から私は純粋法学から教えられた途を追及したのだが、統一的な(einheitlich)、 そして自分自身に同一的な(in sich identisch)社会団体が、独立した認識の対象、 つまりただひたすらに観念的な精神形象の領域(die Sphäre der ideale Geistesgebilde)の対象に属することができる。 第二にしかしながら、 そして、この確認は、純粋法学の定説と相違するものなのだが、社会団体は一般的に諸規範の複合体と同一化されるものではないし、国家は特殊的に法規範と同一化されるものではないのである。
 社会団体の現存領域の確定とその存在様式から、更なる原理的な問題が結果として生じる。即ち、どのようにして社会団体は、観念的な精神形象(idealen Geistesgebilde)として、その歴史的かつ社会的世界に現実に存在しているものとして、これを対象として観察されるだろうか? このような問題設定は、フライブルクにて、この著書が捧げられているエドムント・フッサール教授のもとでひきおこされた。そして私の研究は継続され、先験的(超越論的)な現象学的な哲学の基礎の上に観念的な対象の現実性(Wirklichkeit)という課題を研究した。そして、ようやくフッサールの現象学的認識批判を、具体的かつ観念的精神形象の対象領域に適用することを通じ、また「意味的な(sinnhaft)」直観が「範疇的な(kategorialen)」直観のひとつであり、 超感覚的な自己認識の形式と並列的であるとの指摘を通して、その適用の更なる進展により、私は次の考えに達した。即ち、社会団体はその現実性を、その団体に即応した(entsprechend)「意味的な」直観の中で示す。もしその社会団体が内的な調和のある共同性の関係(vergemeinschaftende Beziehungen)がその団体に属している人々によって基礎づけられるならば。(『Grundlegung der Lehre vom Sozialen Verband』、以下『Grundlegung』と略、s.Ⅵ)

 尾高の論究の筋道が本人によって手際よくまとめられている。また、この序で示された、〈社会団体の現実性は、その団体に即応した「意味的な」直観により示される〉、というのが、序の持つ位置を考えるならば、尾高がこの書の中で示した到達点であると考えられる。もとより、その具体的な検証が必要なのはいうまでもないが。最後に尾高は、自分の学説に影響を与えた人々に対して、次のように謝している。

 研究をさらに続けていく中で、私は多くのドイツの哲学者と社会学者の研究仲間に出会った。わけてもディルタイ、ヘーゲル、ジンメル、マックス・ヴェーバーの業績からは深い影響を受けている。これらの論者の論を深めるにあたって、私は特に日本の恩師たち、京都大学の西田幾多郎教授と米田庄太郎教授に多くを負っている。その講義とゼミナールにおいて私が得たものは、学問内容と学問的刺激のまさに尽きることのない源泉であった。同様に、京都の臼井二尚(じしょう)博士との長年にわたる共同研究は、私の考えの発展の上に大きな影響を与えた。博士は、経験的に受け取ることのできる社会的事実の領域から、具体的且つ観念的な意味の領域へと社会科学的な認識への視点の転換の必然性について私に示唆してくれたからである。
 私は、ヴィーンのフェリックス・カウフマン博士とアルフレート・シュッツ博士に対しては最大限の感謝をしなければならない。二人には、最大の決意と細心の注意で、私の労作物であるこの原稿と校正刷りを通覧していただき、内容と形式の上においての様々な提案を通して、有益な支援を与えていただいた。同様に、フライブルクのオイゲン・フィンク博士にも多大な感謝をしなければならない。フィンク博士からは先験的(超越論的)現象学の意味をご教示いただいた。それは、本書の第二章での展開の大きな助けとなっている。私が常に闘わなければならなかった言語的困難さについては、ヴィーンのフリッツ・ヴァイス博士との熱心な共同作業によりかなり軽減された。このような人達による友好的な支援なしには、この比較的に限られた時間で、しかも広範囲にわたる学問的な労作を外国語によって完成させることは、私にはとうてい不可能であった。
    ヴィーン ハイリゲンュタット、 1932年 3月末 尾高 朝雄
          (『Grundlegung』 s.Ⅵ )
        ◇        ◇        ◇
『社会理論研究』25号で、尾高関係の文章を書いた(2)際に、「社会団体理論」の研究が必須であると書いた。書いた以上読まなければならないと思い、原本を入手して浅い語学力を省みずに読み始めた。日本人が書いただけあって、ドイツ語独特の言い回しもなく、ドイツ語としては比較的平明であり、 中級程度の語学の素養があれば一応は読み進めることは可能である、ように見えた。 そういうわけで、八カ月かけて読み了えた。さて、読み了えたところが、頭の中は真っ白なのである。いままで何を読んできたのか。読んでいる時は解った気がした。しかし、悲しいことにただそれだけなのである。たとえて言えば、乗船している船の航跡がほどなくして跡形もなく海上に消え去るように…。
 言語の壁は想像以上に大きいのである。私の、大変に苦労してここまで読んできたドイツ語の語彙群は私の日常生活の中では跡形もなく消え去るのである。やはり、母語である日本語で考えるしかないのか。
 日本語に翻訳し、それをもとに考えるしかないのか。そう思い直して、いくつか抜粋してでも訳文を作成することを思い立ったが、そもそもこの本の内容は、複雑多岐にわたり、論理は幾重にも込み入っていてなかなか一筋縄には行かない。
 そこで、今回は取り敢えず、序文(Vorwort)と緒論(Einleitung)の抄訳だけに限った。しかし、やってみて訳文作成の作業がいかに難しいものであるかを痛感すると同時に、訳を作成してみないとその内容は本当には解らないことも痛感した。

 
(1)『社会団体の理論の基礎づけ』(Grundlegung der Lehre vom Sozialen Verband)は、ヴィーンのVerlag von Julius Springer社から刊行された。
現在でもアマゾンを通して入手可能。英訳はあるが、 日本での邦訳刊行はまだなされていない。刊行はされていないが、全文の日本語訳は2024年にすでに藤田伊織氏によってなされている。インターネットで閲覧可能であり、grundelegungjtext00000re.epubからダウンロードが可能である。原文は長大であるため、訳文も大部のものとなっており、翻訳にあたっての苦労がしのばれる。私も今回訳文を作成するにあたり所々参考にさせていただいた。この場で感謝したい。
(2)『社会理論研究』25号(社会理論学会、2024年12月)所収 青木茂雄「尾高朝雄『国家構造論』を読む」

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ポツダム宣言は、ただ黙殺するのみ(鈴木首相)

2025-07-28 00:53:48 | コラムと名言
◎ポツダム宣言は、ただ黙殺するのみ(鈴木首相)

 下村海南の『終戦記』(鎌倉文庫、1948)を紹介している。本日は、その九回目で、第一九章「対ポツダム宣言閣議(七月二十七日)」の第三四節「鈴木首相の一問一答」の全文を紹介する。

   第三四節 鈴木首相の一問一答
 愈〻戦局も大詰となつた。東郷外相は閣議の席に於て、本件につき政府として何等意思表示をしない事を強調したが、軍の方では軍の士気に影響するといふので首相より進んで強く反撃してほしいといふ要求が強く、首相としては一面外交の手を打ちつゝあるさ中であるから、挑戦的の態度はとるべきでなく、一応何等進んで意思表示をなさゞる事とし、新聞には只ニュースとしてのせるが之を批判せず、黙殺する事とした。しかし世間に対し政府はいつまでもウンともスンとも言はずにゐる事はをかしい、しかも内外の実状は全く知らされずに居るから国内の輿論もいよいよ本土作戦でといふ空声〈カラゴエ〉が強く、一億玉砕を呼号してゐる、軍部は此際逆に徹底的反撥を加へ士気の沮喪を防ぎ、さらに進んで戦意の昂揚し資すべきことを強く迫つて来る。首相としてはまさしく外交工作と軍部の極端なる抗戦意識、本土決戦対策の間にはさまれて両立できない苦しい事態に立つ事となつた。いづれにしてもボツダム宣言に対し政府が何等の声明もしないといふ事は外からも腹をよまれる事になり内には国民の疑惑を助長する事となる。何んとか政府の態度につき一応のあいさつが無ければならぬ。そこで私は職掌柄から首相と記者団と定例の一問一答に織りこますべき旨を提言した。かねてより首相の第三回新聞記者会見はあくる二十八日に予定されてゐた。此度一方的声明にせよ三国共同宣言があつて見れば、何んとしても記者団より此点につき第一の質問なくんばあらず、又応答もなくてはならないい。従つて此会見上に当然質問あり首相より軽く答へる事にして始末をつけるが然るべしといふ事になつたのである。閣議後定例の記者団会見の席上にては記者団よりポツダム宣言に対し情報局総裁談をといふ要求が少くは無かつたが、私は今までとかく総裁談が多きに過ぎてゐた。それで此場合にも、各紙が思ひ思ひに軽く扱つて、それぞれ新聞社の声を伝へる事が内外に通じ一般の空気を反映するものとして一層効果的である旨を説き、総裁談によらぬ取扱方に話し合がついた。
 しかし私は深く気にかゝり翌二十八日早朝試みに総裁として一問一答なるものを川本秘書官〔川本信正情報局総裁秘書官〕に口授して見た。あとから朝刊の各紙を見るといづれも私の言はんとしてゐるところを、それぞれに私よりは手際よく筆にされてあつた。
 此朝宮中の情報報告会議室へ出かけると、今日は珍らしく豊田〔副武〕軍令部総長の顔が見えて居り、陸海両相両総長両軍務局長は別室へ引上げて談合してゐる。結局首相の一問一答談の中へ軽く黙殺の意味を述べるといふ事に同意したものらしい。午後の記者団との一問一答には首相は三国宣言にふれては
 私はあの共同声明はカイロ会談の焼き直しであると考へてゐる。政府としては何ら重大な価値ありとは考へない。たゞ黙殺するだけである。我々は戦争完遂に飽くまでも邁進するのみである。
といふ数語に止めた。ところで此詞がソ連の八月八日の参戦の理由にとりあげられ、
 日本の武装兵力の無条件降伏を要求した三国の要求は日本の拒否するところとなつた。従つて極東戦争に対する調停に関するソ連にあてたる日本政府の提案は一切の基礎を失つた。
 と提言する事となつてゐる。我調停の申込みをうけてゐるソ連としては、後に知る限りでは、ヤルタ会談により既に九十日以内に参戦の約束があり、広島の原子爆弾を見るに至りては大急ぎに参戦が速められ、英米では特にソ連の名誉のため原子弾事件以前にソ連は参戦を承認してゐた事を公表してゐるのである。要するに戦局の足取りはあまりに早く我方の外交対策はもはや手おくれであり、時期既に遅きに失してゐたのである。我政府はいかなる態度をとりても、先方の献立は出来上つてゐたのである。長い間長い間彼は我の情報を巨細となく知りつくし、我は彼の情報を巨細となくあまりにも知らなすぎてゐたのである。
 いづれにしてもさうした経緯により時局はますます急迫をつげてくる。我等の五体も爆弾によりケシ飛んでしまへば、誠に簡単で自分だけとしては却て〈カエッテ〉始末はよいが、いよいよ押しつまつた問題は国内に於ける和戦の相剋摩擦である。さうすると我等は真先きに相剋の犠牲となるものと覚悟せねばならぬ、それも仕方が無い、とにかく終戦が片付けばよい。しかしもし終戦がうまく片付かぬ事になれば日本は滅茶苦茶になる。國體も糸瓜〈ヘチマ〉もあつたものでない。民族の滅亡となるのである。
 現状では力が無ければ外交なく、力があれば頭は下げられぬ。今やさうしたヂレンマに陥つてゐる、しかもその外交にはもはや脈が無いと見ねばならぬ。かうなれば老少不定である。かねがね認めおいた左近司国務相あての遺書も同君の手許へ前以て手渡したのは、あくる日曜日の二十九日であり、鈴木首相の私邸をたづねてあらかじめ遺書を差出し時局につきいろいろと懇談を重ねたのは空襲で黒白もつかぬ八月一日の夜であつた。あくる二日首相公室でも外交談が出たと見えて日記帳に記されている
  戦はまさに敗れたり彼を知らず
    おのれを知らず敗れたりまさに   〈89~92ページ〉

 下村海南『終戦記』の紹介は、このあとも続けるが、明日は、いったん話題を変える。

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