「三十路になりたくない!」
…そう言って騒いでいた娘が、突然倒れてしまった時から、早いもので7年半。
退院して自宅で暮らすようになってから6年と数か月。
また新たに誕生日を迎えた。
なりたくなかった三十路どころか、アラフォー世代になってきてしまった。
家で普通の生活をして過ごしていられるのは、よいと思う。
ICU(集中治療室)で、太い管を口から通されて、ベッドに固定されたままガリガリにやせていき、今後どうなるのかわからなかった時期があったことを思うと、現在、普通に生活ができることほどありがたいことはない。
ただ、1日2回の服薬と定期的な通院が欠かせないのは変わらない。
薬は、相変わらず日に2回、1回につき数種類10錠くらいを飲む。
当初からほんの少ししか減っていない。
まあ、薬の処方箋を書いている医師自身が、「どの薬が効いているのかよく分からない」と言うのだから、仕方がない。
今も、「発作が起きたり倒れたりしないようにするためには、薬を飲み続けた方がいい」ということになっている。
通院も続いている。
だが、その回数は、半減してはいる。
1つの病院は、月4回だったのが、今は月2回。
もう1つの病院は、毎月1回だったのが、2月に1回に減った。
まあ、当分これ以上回数が減ることはないだろうけど。
家でのリハビリ的な生活も、いろいろとやるようになった。
病でダメージを受けた脳の働きをよくするために、毎日やっている「脳活」関連の問題を解くのもずいぶん早くなった。
その難易度も以前に比べればかなり上がっている。
詩の暗唱も、いろいろやってきた。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、清少納言の「枕草子」から「春はあけぼの」、落語の「寿限無」、谷川俊太郎の詩「明日」などを、毎日声を出して読むことによって、それぞれ暗唱できるようになった。
昔やっていたピアノの練習も毎日行い、かなりスムーズに指が動くようになってきた。
足腰を鍛えるために、スクワット30回、ステッパーで1000回以上をノルマにしている。
そのほかに、天気が悪くなければ毎日3000歩以上の散歩もしている。
食後は、1日3回とも、家族全員の食器洗いを担当して行っている。
このように、リハビリと称して、様々なことをこなしている。
日課の散歩は、週に1回、3kmのジョギングになる。
半年前にジョギングを始めた頃は、1km9分くらいで2kmを走るだけだった。
だが、今は、1km7分を切るくらいで3kmを走っている。
まだまだ速いスピードではないけれども、走る足音を聞いていると、リズムが乱れずにいい感じのジョギングだ。
さすが、昔は持久走の女王だっただけはあると、この年になっても親バカは思う。
7年半前、新しい職場になって2か月間働いていたときに、突然倒れて救急車で運ばれた娘だった。
それから、2つの病院で1年と4か月の入院生活を送ってから、6年と2か月余り。
中学校を卒業した子が、高校・大学を卒業して働き出すのよりも多くの時間がたってしまった。
先日、娘もつれてドライブに出たとき、7年前に働いていた職場のそばを通り、その建物を見せた。
だが、娘は、7年前とはいえ2か月間も通って勤めたはずなのに、見覚えがないと言う。
車でどこから入り、どこに止めたかはおろか、中のことも何も覚えていないのだと以前からずっと言ってはいたが…。
完全に、その部分の記憶は欠落してしまっているのだ。
改めてそういう病だったのだ、と私も妻も再認識した。
それでも、まずはここまでしっかり元気になって生きてきている。
幸いなのは、こんな現状であっても、娘は暗い顔を見せない。
明るく周囲を笑わすことが好きなのだ。
だから、私たちは希望をもって明日を信じて生きていくことができるのだ。
HAPPY BIRTHDAY !