埼玉から、久しぶりに娘にとっては「伯父さん」(私にとっては、義兄さん)が来てくれた。
彼岸なので、こちらの墓参りもしてくれたのだった。
今回はお土産に持って来てくれたのは、テレビ画面並みのディスプレイ。
パソコンとつなげて、画面が大きく見えるという。
さっそくつなげてもらって、サッカーJ1第4節の横浜-新潟のLive映像を見たのであった。
ま、それはそれとして、娘の様子を見て、「半年前に比べて、うんと良くなっている。」と言ってくれた。
自分ちの子どもの成長には気がつかないが、人様の子どもの成長には驚く、とはよく言われることである。
残念ながら、うちの娘は、確かに私の子どもであるが、成長する時期はもう20年以上前に終わっている…。
それでも、「よくなっている」ということに気付くのは、久々にあった人ならではの感覚。
伯父さんにそう感じてもらえるのなら、確かな事実だと思える。
歩き方やしゃべり方にそれが感じられるということだった。
記憶に関しても、多少残るものがある時もあるようだ。
先月下旬、娘は、妻と共に、4年前の病気の発症以来初めて講演会のようなものに出かけて行ったのだ。
その内容は、真打ちとなっている若手落語家を招いてのものだった。
実は、その招かれた落語家は、幼稚園以来の娘との同級生(?)だったのである。
今は、立派な落語家「○○亭◆◆」となっているが、娘にとっては、今でも「Sくん」であり、そう呼んでいる。
講演と落語の双方を聞いてきたのだが、娘は、3週間たった今でも、その話を聞きに行ったことを忘れていない。
「Sくんがかんだり、話をとちったりしないか、ドキドキした」とは、娘の弁である。
そのドキドキがあったから、忘れていないのかもしれない。
今日、息子が例のディスプレイ画面で新潟のサッカーの試合を映していたら、「ああ、昨日の試合ね。」と娘がつぶやいていた。
ということは、前日のことを覚えているということになる。
こんなふうに、印象的だったものが、少しにせよ記憶に残る時もある。
そんな姿も見られることは、確かによい兆候だと言える。
ただ、そんなによく覚えていられることがたくさんになったわけではないのだが…。
ほかには、妻に対して、ちょっかいを出したりからかったりすることもあるようになった。
その言い方が、ずいぶん回復傾向にあるなあと感じさせる時がある。
そんな娘の話の仕方や対応の仕方に、伯父さんは、よくなっているものを感じてくれたのだと思う。
ただ、結構ボケボケな状態であることの方がまだまだ多いのだけれど。
それでも、客観的に見られる人から、娘がよくなっていると言われるのは、実にうれしい。
伯父さんは、娘の毎日の習慣である昼寝の時間の前に、帰って行った。
夕方、家に帰り着いたと、伯父さんから電話があった。
高速の事故で帰着が遅れたとのことだった。
その電話に最初に出て話したのは、娘だった。
そんなところにもちょっとした回復ぶりが見られると思ってもらえたなら、うれしいものである。