待望の自宅への一時帰宅ができたというのに、翌日、娘の記憶には家に帰ったことは残っていなかった。
たくさんの看護師さんから、「よかったね。家に帰れて。」と祝いの言葉を次々にもらえたというのに、当の本人は、「あたし、家に帰ったの?」と言うのだから、なんとも…。
入院以来初めての帰宅、11か月ぶりの帰宅、ということで、多少疲れてしまったのかもしれない。
また、病院に戻った直後に、知り合いの方のお見舞いを受けて、感情が高ぶったこともあり、刺激が多かったからかもしれない。
息子と付き添いを交代した後、娘は少し不調を訴え、呂律が回らない、と言ったため、息子が寝るように促したのだそうだ。
たぶんこれはきっと、小発作だったのだろうと考えている。
それでも、その後は、何の不調もなく5日間を過ごした。
今日は、2回目の外出。
今日まで桜は残っていたが、娘の滞在した6時間の間にだいぶ散ってきていた。
家にいる時間を1時間長くして、2度目の帰宅であった。
先日は入院後初めての一時帰宅なので、食べたかったマックのバーガーを買って食べさせたりしたが、今回は、好きなものを食べさせはしなかった。
なぜか!?
それは、娘本人が一番よくわかっている。
― 太り過ぎだ。
平常時と比べると、10kgも多い。
腹回りも、ぽっこりだ。
帰宅して、体重計に乗ると、わかっていたとはいえ、がく然としていた娘であった。
だから、今日の昼食は、カロリーをおさえて、「そば」。
食後、洗い終わった家族4人分の丼が重なってあるのを見るだけでも、本来のわが家はこうだった、と少ししみじみしてしまった。
さて、娘には、今日の帰宅でしたいことがあった。
長い入院で生え際から途中まで完全に黒くなってしまった、髪を染めることである。
本来は、美容院に行きたいのだが、その余裕はない。
昼食後、洗髪し、その後染めていた。
ただし、量が少なかったために、結構まだらな染まり具合であった。
それでも、以前に比べたら、だいぶ明るい色になった髪の毛であった。
外出ができるようになった娘であるが、今後のことが大きな問題となっていた。
近づいてきた退院後のことである。
主治医は、私たちの面談で、在宅、あるいは何らかの形で作業所のようなところでの様子見を提案しようとしていた。
ただ、私は、娘に対するリハビリの継続を望んだ。
徐々にであるが、できることが増えてきている。
退院することによってリハビリが受けられなくなることは、回復の可能性にふたをすることのように思えたのである。
だから、リハビリを専門に行ってくれる病院に転院できないか、という希望を主治医にお願いした。
主治医は、これを快く聞き入れてくれ、リハビリ専門病院への紹介を約束してくれた。
早ければ来週にも転院となるかもしれない。
この話は、娘にも伝えておいた。
娘は、まだ自分の脳の状態の回復が十分でないことはよくわかっている。
だから、この話には同意したが、こうも言った。
「ただ、みんな、お見舞いに来れなくなるね…。」
…そうなのだ。その病院は、わが家からは少し遠いところになる。
毎日会いに行ける訳ではなくなるであろう。
娘は、そのことをしっかりわかっていた。
毎日の記憶がきちんと残らなかったり、物の位置の認識が正しくできていなかったりしていても、こういう判断力はしっかりしているのだ。
そんな娘だから、脳の機能の回復に少しでも可能性が高い道があるのなら、条件をよくしてあげたいのだ。
そんな事情の中、今日の外出が行われた。
特段、何も変わったことは、起こらなかったようだ。
何よりの結果である。
明日は、今日家に帰宅したことを覚えているだろうか…???
まあ、忘れていたとしても、そんなことに一喜一憂する時期はもう過ぎてしまっている。
そう実感している最近である。
たくさんの看護師さんから、「よかったね。家に帰れて。」と祝いの言葉を次々にもらえたというのに、当の本人は、「あたし、家に帰ったの?」と言うのだから、なんとも…。
入院以来初めての帰宅、11か月ぶりの帰宅、ということで、多少疲れてしまったのかもしれない。
また、病院に戻った直後に、知り合いの方のお見舞いを受けて、感情が高ぶったこともあり、刺激が多かったからかもしれない。
息子と付き添いを交代した後、娘は少し不調を訴え、呂律が回らない、と言ったため、息子が寝るように促したのだそうだ。
たぶんこれはきっと、小発作だったのだろうと考えている。
それでも、その後は、何の不調もなく5日間を過ごした。
今日は、2回目の外出。
今日まで桜は残っていたが、娘の滞在した6時間の間にだいぶ散ってきていた。
家にいる時間を1時間長くして、2度目の帰宅であった。
先日は入院後初めての一時帰宅なので、食べたかったマックのバーガーを買って食べさせたりしたが、今回は、好きなものを食べさせはしなかった。
なぜか!?
それは、娘本人が一番よくわかっている。
― 太り過ぎだ。
平常時と比べると、10kgも多い。
腹回りも、ぽっこりだ。
帰宅して、体重計に乗ると、わかっていたとはいえ、がく然としていた娘であった。
だから、今日の昼食は、カロリーをおさえて、「そば」。
食後、洗い終わった家族4人分の丼が重なってあるのを見るだけでも、本来のわが家はこうだった、と少ししみじみしてしまった。
さて、娘には、今日の帰宅でしたいことがあった。
長い入院で生え際から途中まで完全に黒くなってしまった、髪を染めることである。
本来は、美容院に行きたいのだが、その余裕はない。
昼食後、洗髪し、その後染めていた。
ただし、量が少なかったために、結構まだらな染まり具合であった。
それでも、以前に比べたら、だいぶ明るい色になった髪の毛であった。
外出ができるようになった娘であるが、今後のことが大きな問題となっていた。
近づいてきた退院後のことである。
主治医は、私たちの面談で、在宅、あるいは何らかの形で作業所のようなところでの様子見を提案しようとしていた。
ただ、私は、娘に対するリハビリの継続を望んだ。
徐々にであるが、できることが増えてきている。
退院することによってリハビリが受けられなくなることは、回復の可能性にふたをすることのように思えたのである。
だから、リハビリを専門に行ってくれる病院に転院できないか、という希望を主治医にお願いした。
主治医は、これを快く聞き入れてくれ、リハビリ専門病院への紹介を約束してくれた。
早ければ来週にも転院となるかもしれない。
この話は、娘にも伝えておいた。
娘は、まだ自分の脳の状態の回復が十分でないことはよくわかっている。
だから、この話には同意したが、こうも言った。
「ただ、みんな、お見舞いに来れなくなるね…。」
…そうなのだ。その病院は、わが家からは少し遠いところになる。
毎日会いに行ける訳ではなくなるであろう。
娘は、そのことをしっかりわかっていた。
毎日の記憶がきちんと残らなかったり、物の位置の認識が正しくできていなかったりしていても、こういう判断力はしっかりしているのだ。
そんな娘だから、脳の機能の回復に少しでも可能性が高い道があるのなら、条件をよくしてあげたいのだ。
そんな事情の中、今日の外出が行われた。
特段、何も変わったことは、起こらなかったようだ。
何よりの結果である。
明日は、今日家に帰宅したことを覚えているだろうか…???
まあ、忘れていたとしても、そんなことに一喜一憂する時期はもう過ぎてしまっている。
そう実感している最近である。