
「あっ、聞こえた」
昨夜、テレビをBSに切り替えたら、ちょうど花火大会の中継をしていて、ついそのまま見入ってしまいました。
画面に映っていたのは「長岡まつり大花火大会」。その名にふさわしく、最初から最後まで花火尽くしです。
中でも「フェニックス」は、長岡花火の代名詞。平原綾香さんが熱唱する「ジュピター」に合わせて、夜空に舞う花火の演出は見事でした。今年は終戦80年にあたる節目ということで、カウントダウンから始まり、真っ白なスターマインが空に咲き、その始まりにも祈りの意が込められていたように感じました。
打ち上げ前にはちょっとしたハプニングも。会場アナウンスで「打ち上げです」と流れたにもかかわらず、2度続けての中止。安全確認があったようですが、少し緊張感も漂いました。それでも、ゲストの平原綾香さんも涙を流しながら感動していた様子に、やはりこの花火が持つ意味の深さを思わずにいられません。
正三尺玉の白菊や「天地人」も素晴らしく、見応えのある一夜でした。
長岡花火には、忘れられない2つの思い出があります。一つは母のことです。
花火大会の始まりは、長岡空襲で亡くなった方々への慰霊、復興への感謝、平和への願いからだと聞いています。
母は、その空襲があった8月1日に長岡で被災しましたが、奇跡的に九死に一生を得たそうです。後に語ってくれた、当時の悲惨な状況は、今も心に残っています。
母が長岡にいたのは勤め先の関係でしたが、その会社は元は川崎にあり、空襲を機に長岡へ疎開してきたとのこと。つまり母は、川崎でも長岡でも空襲に遭っていたわけで、2度も命拾いをした計算になります。どちらかで命を落としていたら、私はこの世に存在していない。そう考えると、長岡花火の祈りの意味が、私の中でも強く響いてくるのです。
もう一つは、ある年の花火大会と同日に開催された講演会のことです。
本社のお偉方がやってくる、それだけならよくある話ですが、開催地がいつもと違っていました。普段なら新潟市が定番なのに、この日は長岡市。
「なんで長岡なんだろう?」とつぶやくと、上司が「今日は花火大会だから、それに合わせたんだよ」と教えてくれました。本社経験もあるその上司の苦笑いが、なんとも“昭和的”でした。
講演会の後、幹部たちが集まり、会場をそのまま花火大会にスライドさせたらしく…。これぞ「昭和の接待」。今もそんなことってあるんでしょうかね。
もちろん私たち聴講者は、花火を観ることなく、静かに帰路についたわけですが(笑)。
実は私は、これまで一度も長岡花火を生で観たことがありません。
見てみたい気持ちはあるのですが、今は会場が有料となり、まずは抽選に当たらないといけない。そして行き帰りの交通事情…。そう考えると、どうにも気力が萎えてしまいます。歳のせいでしょうか。
タイトルの「聞こえた」は、長岡花火の音ではありません。
新潟市からでは、長岡の打ち上げはさすがに聞こえないと思います。長岡に近い区なら、あるいは可能性はあるでしょう。近隣市町村の花火――「ござれや花火」の音なら、我が家でも聞こえます。場所によっては打ち上げの光景がちらりと見えることもあります。
さて、「聞こえた」のは虫の音です。
今日も猛暑日で、熱中症警戒アラートが発令中。それでも昨夜、虫の声がはっきりと耳に届きました。秋の気配です。もう少しの辛抱で、この暑さにも区切りがつくのでしょうか。そうであってほしいと、願わずにはいられません。
添えた写真は、うなだれるヒマワリ。そして白い花の写真は「ハッカ」。Googleレンズによれば、アップルミントとも呼ばれるそうです。
このハッカは野良で、おそらくどこかの庭から“逃げてきた”のでしょう。繁殖力が強く、我が家でもかつて庭じゅうに広がって慌てて刈り取ったことがあります。

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