マッタリ風景

散歩写真と戯れ言のブログ

食器

2011年01月04日 | 戯言






年末年始の休みが終わって、久しぶりに通常の生活に戻りました。
でも、朝寝と夜更かしの生活パターンがすっかり身についてしまって、どうも調子が悪いです。
まだ、正月休みが続いているのか、朝の列車は結構空いていました、珍しく座ることができましたから。

いつも、昼ごはんを食べている食堂ですが、今日から経営者が変わりました。
テーブルとか椅子は全然代わり映えしないのですが、メニューだけは大きく変化しました。
食べていても、何か違和感があって、落ち着きません。まあ、経営者が変われば仕方ないのですが。
一番違和感があるのは何かと考えてみたら、それは「食器」です。今までは、ご飯茶碗やお皿は陶器製でした。
でも、今日からは「プラスチック製の食器」になってしまったんです。質感が全く違うので、それが違和感を倍加させているように感じました。

食器で思い出したのが、先日仕入れてきた本、「考古学の散歩道 田中琢&佐原真共著 岩波新書」に書かれていたことです。
佐原真さんが「わたしの茶碗」「わたしの箸」と題して食器の歴史を書いていました。
はるか昔の食事は、食器を使わなかったと想像されます。その後食器が発明されて、食器の種類が増えてゆきました。
現在、食事で使い食器は、共同で使う「共用器」、各自で使う「銘々器」を組み合わせた形になっています。
でも、日本(朝鮮半島も含む)ではさらに「属人器」なるものがあります。
皆さんが家庭で食事をするときは、少なくとも「茶碗」と「箸」は、「わたしの茶碗」「わたしの箸」ですよね。
茶碗と箸は、使う人個人に属人的な食器です。世界を見ても、ここまで属人的な食器を使っているのは、日本人+朝鮮半島だけなのだそうです。
自分自身の食器を思い浮かべると、「茶碗」「箸」「湯呑茶碗」「コーヒーカップ」「お酒をのむコップ」が属人器となっています。
当たり前と思っていることが、意外とローカルルールだったりしますね。









コメント
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