イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

これくらいしかありません

2009年11月16日 20時31分10秒 | Weblog
新しいETCカードが届きました。

それまでのだってまだ期限は二ヶ月も先なのに

今日から使えるから旧いのははさみで切り刻んで捨てて

下さいと書いてありました。

いや、正確には切り刻めとは書いてません。

ICチップのところをはさみで切って処分してください

でした。

だいたい人間と言うものは、目にした事や耳にしたことを

ありのままに伝えることをせず、必ずと言っていいほど

主観を入れるのだそうです。

そういうことだから、僕が多少の主観を入れたからと言って怒ってはいけません。

それでさっそく言われたとおりにICチップのところに

はさみを入れてみたのですが、

そこには明らかにプラスチックとは違う何かが入っていました。

その何かは今の段階では特定できませんが、

何かとても高度な技術による何かが入っているようでした。

今日は特にこんなことしかありません。

しょゆこと。 

結局買ってしまった

2009年11月15日 16時51分09秒 | Weblog
インターネットで買おうと思っていたのですが、

どうしても読みたくなって一冊だけ買ってしまいました。

池谷祐二著「単純な脳、複雑な私」。

どうして内田樹の本ではないのか。

それは、

今僕が一番知りたいことが「脳」と「心」と「言葉」の繋がりだから。

これが今ところ一番の関心事なんです。

こういうことをマテリアルなといいますか、物質的な側面と言うか、

何度も何度も仮説を立て直し、実験を重ねて

法則性を発見できたものを先に知って、

それから内田樹さんの本を読むと

哲学的な側面からアプローチされたものが、

また一段と味わい深いものになるのです。

それはなんと言うか、

人間の日常の所作や行動から導き出された人間と言うものの本質も

毎日顕微鏡を覗き込んで得た人間の本質と言うのも、

結局は同じところにたどり着いているように僕には見え、

それを知ることがなんとも味わい深いのです。

本を読むのって楽しい。

それと、

僕はどうしても読みたいという本は決して図書館では借りません。

絶対に買うことにしています。

何度も何度も読みたいし、余白に気づいたことを書き込みたいから。
 

今欲しい本

2009年11月14日 18時36分41秒 | Weblog
本屋に言ったら内田樹さんの本が平積みされてました。

新潮新書「日本辺境論」。

平積みされるほど内田樹さんの本は読まれているのかなぁ、

と思いましたが、でも確かに平積みされていました。

少なくとも私の周りに内田樹さんを知っている人は一人もいません。

一人もです。

それが僕にはとてもさびしい。

仕方なく妻に話してみるのですが、

これも暖簾に腕押し、まったく反応がありません。

でも、平積みしているということは売れるんでしょね。

僕ですか、まだ買ってません。

マイレージを貯めたいのでインターネットで買います。

因みにこれから買おうと思っている本は

「態度が悪くてすみません」「日本辺境論」共に内田樹著。
「パターンではなせる英会話一秒」
「単純な脳複雑な私」池谷祐二著

以上です。 

あのとき気づいていれば

2009年11月14日 10時25分17秒 | Weblog
イスラエルにいた頃、

出会う人の中に洗い立ての服の香りがとてもいい人がいて、

この人はどんな洗剤を使っているのだろうと良く思ったものです。

その香りの正体を知ったのは日本に返ってきてから五年後、

つまり今年のことですが、その正体は洗剤ではなく
柔軟剤で、今年になってようやく当たり前に売れ出してきたダウニーだったのです。

そうです、あの可愛い熊の絵が描いてあるダウニーです。

この柔軟剤がドンキホーテで売られていることは知っていましたが、

大衆にはそれほど浸透していなかったのです。

イスラエルにいたあの時、何の洗剤が突き止めていれば

何か商業のチャンスをつかめたのでは、なーんて思うことがあります。

それから美容室。

これもイスラエルのほうが圧倒的に進んでいました。

六年前、テルアビブの町を歩き回りながら感じたことは、

美容室がおしゃれ、と言うことでした。

イスラエルで六年前に見た水準にようやく日本が追いついてきたように

思えます。

もちろん日本のほうが水準の高いものは山ほどあります。

でもその水準の高さは簡単に追いつけそうなものばかりなんです。

イスラエルの水準の高さは、いつになったら追いつけるんだと思えるほど、

圧倒的な高さがありました。

街並みなんかも到底かなわないでしょうね。

インフラが整備されていると言うことではなく、街全体のつくりと、

美観風致が徹底されていると言う点でです。

テルアビブの町はそれこそ毎日のように歩き回りましたが、

飽きると言うことが一度もなかった。
 

必ずチェックする動画

2009年11月13日 20時46分04秒 | Weblog
毎週必ず、ドラゴンボールをユーチューブで見るものです。

ドラゴンボールはみちゃうよね。

再放送のたびに見て、おさらいしてるんです。

子供たちとは一緒にみません。一応大人として、

もうアニメなんか興味ないもんね、というふりをしてみせ、

後でこっそりユーチューブで見るんです。

アップされてると必ず見てしまう動画はカップラーメンと、あと、
堂々と顔出して、自分で買ってきたさまざまなマテリアルなものを
評価しているやつ。つい最近は「でかいサイズの靴の買い方」をアップ
していました。

カップラーメンの動画は一つにつき40秒くらいで評価しているのですが、

僕のカップラーメンを買う際の指針はだいたいいつもこの動画によります。

今日はこんなところで。

 

政権交代したのですね

2009年11月12日 19時45分45秒 | Weblog
一刻も早くタバコを増税しましょう。

その税金で繁華街などの人の集まるところに喫煙室を設置し、

その代わりに歩きタバコを全面禁止にしましょう。

きちんとした法律を作り、道交法のように警察官に

取り締まってもらいましょう。

民主党さん、お願いします。

民主党と言えば、選挙のときに掲げたマニフェストは

どの程度進んでいるのでしょうかね。

高速道路をただにすると言っていましたが、

地方のどうでもいいような高速道路をただにして、
マニフェストを実行しました、なんて言われても納得できないんだよなぁ。

ガソリン税はどうなんでしょう。

くそみたいな独立行政法人と公益法人をバンバンぶっ潰してくれるのでは
なかったのでしょうか。

官僚の天下りは根絶する方向で進んでいるのかな。

結局抜け道たっぷりの妥協案を呑まされるのではないのかなぁ。

レンホウのパフォーマンスなんかにごまかされませんよ。

そんなことで茶を濁そうとしたってだめなんだからね。

やっぱりガソリン税は必要でした、高速道路をただにすることは

あまりに現実離れしていました、子供手当てなんて無謀すぎました、

天下り廃絶なんて夢の夢でした。

と言うことになるのではないかな。

民主党に対するごくごく私的な感想でした。
 

考えがまとまりそうでまとまらない。

2009年11月11日 21時38分37秒 | Weblog
雨の日は全日ライト点灯、と言う法律を作ってくれないかな。

言葉と言うものの本質を考えていくと

他者と言うものが動機の根本にあるように思えます。

つまりそれはどう話すかではなくて、どう聞かれているか

と言うのが話す上での最重要事項のように思えるのです。

会話の主導権は常に聞き手が握っているのですから。

さらに言葉以外のことでも、あらゆる動機の根本は

殆どの場合が他者にあると思われてきます。

きれいに着飾るのも、他者にきれいだと思ってもらう

と言う思いが根本にあるのだろうと、

それはつまり、ちょっとまどろっこしい言い方をすれば、

きれいですね、と言う言葉は自分がきれいだと確認できたから

うれしいのではなく、その言ってくれた人に自分がきれいにうつった

と言うことがうれしいのではないかと。

そんなふうに人間の、人間としての行動はその殆どが他者がいて

成立するものではないかと、、、、。

ここで、「人間としての行動」と表現したのは、人を人たらしめている

と言う意味合いを強くしたかったからです。

考えずにはいられない。

でも、こんな話し、誰も面白がってのってこない。

 

おら子供大好き

2009年11月10日 20時50分13秒 | Weblog
四歳の子供にとって安全を保障してくれる

絶対的な存在は親です。

四歳の子供にとって親は絶対であり、

一番安心できる存在です。

あらゆるものから守ってくれると信じています。

そして四歳の息子にとって私は、
さしずめ世界中で一番安全で刺激的な遊具です。

よじ登ったり、空中に放り投げられたり、

時にはきつく抱きつかれたり、伸びてきたひげでジョリジョリされたり、

時には無理やりチュウまでされたり

世界中で一番愉しい遊具です。

安心はお母さんから、刺激はお父さんから

子供は子供でうまいこと使い分けています。

うまいこと使い分けているのだけれど、

それがお父さん、お母さん両方の満足にもなっていたりする。

子供を見ていて学ぶことは非常に多いです。 

よく使う表現

2009年11月09日 20時08分04秒 | Weblog
僕はシュールと言う表現が好きである。

そのくせシュールの意味は曖昧にしかわかっていない。

このドラムの叩き方がシュールなんだよね、とか、

シュールな演技だよね、とか事あるごとに「シュール」を

使いたがるだけれども、「え、シュールって何」と聞かれてしまうと、

途端に口ごもり、

ほら、なんていうかな、一般の人には到底ないような魅力というか、

そういうものだよ、なんてごまかしながら、しどろもどろになってしまうのである。

もちろん今に至るまで本当の意味を突き止めてもいない。

あまり知りたくない。

僕なりに捉えているシュール感が僕は好きなのだ。

ニュアンスですよ。

きっとそんなに間違った使い方はしていないと思います。

ここに書いてしまった手前、これからさきも本当の意味は

調べません。