イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

書いているうちにまとまりが付かなくなってしまいました。

2009年07月25日 20時53分56秒 | Weblog
2002年から2003年にかけての一年半、
ぼくの心は本当にどん底の中にありました。

訳あって前橋にある妻の実家に入ったのですが、

これが本当につらかった。

まず、仕事が見つからないのです。

足を棒のようにして毎日毎日職安に通い詰めるのですが、
そうそう新しい募集があるわけも無く、

さりとて妻の両親の目もあるので
ゆっくりとする事もできず

ないと分っていても早々と朝食を済ませ
職安に出かける毎日でした。

職安に行ったとて
毎日見ているのですから
新しいものを探すのに30分とかからないのです。

だからと言ってすぐに家に戻るわけにもいきませんから、
職安の近くを流れていたヒロセ川という川のほとりの
ベンチでどうしようもない時間を毎日何時間と費やしていました。


その他アルバイトニュースからデューダまで職探しの雑誌
と言う雑誌を買いあさり見つけようとしたのですが、

ないのです。

探して探してようやく見つかった仕事は派遣社員。

ひと月半探し回ってようやく見つけた仕事は派遣社員です。

このひと月半、妻の実家でただ飯を食っているようで
本当に気が引けました。

気が付けが体重は10キロも落ちていました。

何をしたわけでもないのです。

ただ精神的に苦しかったと言うだけなのです。

ただそれだけで10キロも体重を落としてしまったのです。


仕事を見つけてからもつらい時間は続きました。

派遣社員とは「社員」とは名ばかりのアルバイトそのものなのです。

それに正社員とはどのようにしても埋めることのできない
隔たりがあって、どれほどの時間がたっても「派遣さんね」
という見下された感じを受けることがありました。

派遣社員とは働けば働くほどに最下層の人間であることを
自覚させられる、そのような職なのでした。

しかも明日の保障すらなく、体調を崩し休めば、それがそのまま
給料に響いてしまうのでした。


このようなことを言う人がいます。

どん底とは何を基準にしていっておられるのですか。
世界には明日をも知れない人が五万といるではないですか、
その人の前であなたの環境を嘆くことが本当にできますかと。

確かにそうです。

あらゆることは相対的事象でしかないのですから、
あるところから比べれば、それなりにまともな生活が
できているだけでもいいじゃないかと言うことになるのかもしれない。

でも僕は言いたい。

確かにとんでもない貧困な国の中で
日本におけるところの最下層な生活レベルを
確保することができるのであるならば
それでおおいに満足できるかもしれないけれども

現実には、

私は日本国民であり、
日本国の中で生活しているのであり、
日本国の中でだいたい許容されている
生活水準と言うものを指標として
自己評価を下しているのですから、

行ったこともない貧困な国を引き合いに出されて
「まともですよ」、なんていわれても困るのです。

日本では毎年3万人強の人たちが
自ら命を落としていくのだそうです。

その人たちを前にして「世界には」
なんて話しをしても何の説得力もないんです。

書いているうちにとりとめがなくなってしまいました。

でも、

何か書こうと思って書きました。