イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

フロイト、のその前に

2008年05月01日 19時41分48秒 | Weblog
今日からフロイトです。と言いたいところですが、やはり一言、いや二言三言いいたいのです。私が読んでいる本のタイトルは「寝ながら学べる構造主義」であるはずなのですが、まるで寝ながら学べないのです。「寝ながら」いう言葉から感じ取れるものは、寝そべりながら煎餅でもぼりぼりかじって、と言う程度のもののように思えるのですが、私のやっていることと言えば、絶えず赤ペンを握りしめ、単語を囲ったり、重要だと思えるセンテンスに波線を入れてみたり、理解できたことを余白に書きなぐったり、あるいは読み返したりと、それはもう受験生のようなありようで、根をつめて読んでいるのです。いわば私の知力の全てを注ぎ込んで読み込まなければ到底理解に及ばない代物なのです。
私はこんなにも読解力に乏しい人間であったのかと打ちのめされるような感情と戦いつつ、硬い硬いコンクリートにスプーン一つで穴を開けるかのごとく、本当に苦労しながら読み進んでいるのです。
それでも言いたいことの少しばかりはわかってきました。誰もが等しく、もう少し広い視野を持ってみて見ましょうよといっているのです。たとえばそれは生きることに疲れきってしまった人にだって問いかけることのできるものなのです。あなたが絶望的に感じているその感情はもう少し視野を広げていけば本当は乗り越えることができるものなのかもしれませんよと。もう少し冷静になって、観察してみましょうよと言っているのです。
私はそんな風に感じました。構造主義とは相互理解のための思考方法でしょうか。
と書いては見たものの実はまだ本格的な構造主義に入っていません。次に登場するフロイトも構造主義の源流であって、構造主義そのものではありません。さらにその後に控えているニーチェもです。
「寝ながら学べる構造主義」をこのように噛み砕いていく作業は、今後私のライフワークになりそうです。
すいません。大袈裟すぎました。
明日こそフロイトです。
それではまた明日。